Zuse Z3
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Zuse Z3は、1941年にドイツでコンラート・ツーゼによって開発された計算機である。自由にプログラム可能で完全に自動化された機械であり、コンピュータの定義に適合する属性を備えている。
Z3は2200個のリレーから構成され、動作周波数はおおよそ 5~10Hz、ワード長は 22ビットである。演算は二進数で表現された浮動小数点数に対して行われる。1941年に完成し、5月12日にはベルリンの科学者たちの前でデモを披露した。オリジナルの Z3 は1944年のベルリン爆撃で破壊された。完全に動作する複製が1960年代にオリジナル作成者の会社 Zuse KG によって作成され、ドイツ博物館に永久展示されている。1998年、Z3 はチューリング完全であることが証明された。
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[編集] Z3 の歴史上の位置づけ
[編集] 前後の計算機と Z3
- ヴィルヘルム・シッカートが 1623年に製作したプログラム不可能な計算機とは異なり、1941年に製作された Z3 はプログラム制御されている。
- Zuse Z3 の成功は単純な二進数システムを採用したことによると言われることが多い。これは約3世紀前にゴットフリート・ライプニッツが発明したもので、後にジョージ・ブールがブール代数を作り上げるのに採用した。1937年、MITのクロード・シャノンはブール代数をリレーをつかったデジタル回路に再現する研究をしている。結局ツーゼはこれらをまとめて、プログラム制御された Z3 を作り上げた。
- 最初のプログラム制御されたコンピュータの「設計」は1800年代中頃、チャールズ・バベッジが行った。しかしこの設計が実際に装置として動作することはなかった。というのも十進数ベースであったために Z3 の二進数に比較して、装置が複雑になりすぎたためと思われる(1991年、バベッジの誕生200年を記念してバベッジの本来の設計を元に階差機関が復元され、正しく動作した。ただし、プログラム制御されたコンピュータの原型は解析機関の方だが)。
- ENIACは Z3 の4年後に完成した。ENIAC は真空管を使ってスイッチを実装したが、Z3 はリレーを使用した。ENIAC は十進数だったが、Z3 は先行して二進数を使っていた。1948年まで、ENIACでのプログラミングとは配線を変更することだったが、Z3 はテープ(セルロイド製)からプログラムを読み込んだ。
- Z3 はプログラムを格納するテープを外部に必要とした。ジョン・フォン・ノイマンが 1945年の論文で示したプログラム内蔵式のコンピュータとして世界初と言えるのは1948年の Manchester Baby か 1949年のEDSACである。
[編集] 万能チューリングマシンの概念との関係
- Z3 でループを構築することは可能であるが、条件分岐命令を持っていない(代わりに条件によって一命令をスキップする命令を持っている)。しかし、(記憶容量が無限で故障がないと仮定した)Z3 に万能チューリングマシンを実装する方法があることが1998年に証明されている。非常にぎこちない方法ではあるが、チューリングマシン自体がぎこちない装置であるし、効率よりも単純さと汎用性を目的として設計されている。
- 実利的な観点で見れば、Z3 は1940年代の科学技術計算に適した「実用的な」命令セットを備えていた。ツーゼは土木技師であって、コンピュータを製作し始めたのは本業で必要だったからである。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
いずれも英文。
- ベルリン工科大学の Z3 に関するページ 写真あり
- Was Zuse's Z3 the First Programmable Computer? – 2004年6月7日の Slashdot の項目。いくつかのリンクとコメントあり
- Konrad Zuse’s Legacy: The Architecture of the Z1 and Z3 (PDF)