RPK軽機関銃
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75連発ドラムマガジンを装着したRPK軽機関銃 |
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RPK軽機関銃 | |
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種類 | 軽機関銃 |
製造国 | ソビエト連邦(開発国) |
設計・製造 | |
口径 | 7.62mm (RPK) 5.45mm (RPK-74) |
銃身長 | 590mm |
ライフリング | 4条 右回り |
使用弾薬 | 7.62mm×39 (RPK) 5.45mm×39 (RPK-74) |
装弾数 | 30発(AK47/AK74マガジン) 40発(RPK専用マガジン) 45連発(RPK-74専用マガジン) 75発(RPK専用ドラムマガジン) |
作動方式 | ガス圧作動方式 |
全長 | 1040mm(基本型) |
重量 | 5000g |
発射速度 | 600発/分 |
銃口初速 | |
有効射程 |
RPK(ロシア語:РПКエルペカー;ручной пулемёт Калашниковаルチュノーイ・プリミョート・カラーシュニカヴァの略)はRPD軽機関銃の後継分隊支援火器として、AKMを軽機関銃に改良し、1961年に制式採用した軽機関銃。名称は、「カラシニコフの手持ち機関銃」の意味。
[編集] 概要
内部の構造はAKMとほとんど同一と言えるが、弾丸の初速を増大させて射程を延長するため、通常のAKMより長いバレルを装備しており、マズル下方にプレス加工成形を施した軽量の折りたたみ式二脚を追加してある。ショルダー・ストックは保持性の良い大型のものに変更された。AK-47の30発弾倉の他、それを長くした40発の弾倉、75発のドラム型弾倉などが開発され、供給された。
第2次大戦後に、NATO(北大西洋条約機構)がアサルト・ライフルと汎用マシンガンに単純化する道を選んだが、旧ソ連は分隊支援火器を残す道を選んだ。旧ソ連は、戦後に第一世代分隊支援火器のRPD軽機関銃を採用した。弾薬はAK47と共通だが、部品の交換性が無かったため、AKMをベースにRPK軽機関銃を開発することによってAKMと部品の交換性を達成したほか、操作法も統一されたため訓練にかかる手間も大きく減少した。
[編集] RPK-74
1970年代に小口径の5.45mm x 39弾を使用するAK-74が制式採用されると、AK-74と同一の弾丸を使用するRPK-74が新たに登場した。RPKとRPK-74の差異は基本的に使用する弾丸の違いのみであるが、弾倉はAK-74用の30連発バナナ型弾倉か延長型の45連発バナナ型弾倉の2種類であり、ドラム型弾倉は存在しない。 また、西側のメディアで小口径AKの実物が初めて確認されたのは、当時コンバットマガジン誌のライターであった作家の東郷隆がアフガニスタンに取材に行き、ムジャヒディンにより捕獲された分隊支援火器タイプのRPK-74を取材した1980年のことであった。
[編集] 関連項目
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