KRS-One
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KRS-One(本名 ローレンス・クリシュナ・パーカー、Lawrence Krisna Parker、1965年8月20日 - )は、ヒップホップのMCとして活動するジャマイカ系アメリカ人。他にも、クリス・パーカー、ブラストマスター、ティーチャなどの別名も持っている。彼はヒップホップ界に大きな影響力を与えてきており、数多くのラッパーたちの詩に登場したり、ヒップホップの「権化」などと表されたりすることもある。
[編集] 名前の由来
KRS-Oneという名は、英語で「知識がほぼ全ての人間を完全に支配する」を意味する「Knowledge Reigns Supreme Over Nearly Everyone」を縮めたもの。彼は、元々はブギーダウン・プロダクションズのメンバーであった。現在では、ハードコアラップや社会派ラップの先駆けとも位置付けられている。
[編集] 経歴
1987年に、ジュースクルーとのビーフ「ブリッジ戦争」によって盟友スコット・ラ・ロックが射殺されるという悲劇に見舞われた以降、ブギーダウン・プロダクションズは、徐々にその社会性を強めていく。同時に、彼はコンピレーションの「HEAL」の製作や、ストップ・ザ・バイオレンス・ムーブメントの結成を行った。数多くのラッパーたちと共に、ストップ・ザ・バイオレンス・ムーブメント名義で「セルフ・ディストラクション」を発表した。彼のラップの特徴が社会性を増す共に、暴力性を減じていく中で、自分自身をティーチャと呼ぶようになっていく。そして最終的には、KRS-Oneを名乗るようになった。
1993年に発表した最初のアルバム「リターン・オブ・ザ・ブーム・バップ」には、DJ・プレミア、ショービズ、キッド・カプリが参加した。キャッチーだが、ハードコアな「サウンド・オブ・ダ・ポリス」が、このアルバムに収録されている。1995年には、アルバム第2弾「KRS-One」を発表し、黒豹党の一員であったアフリカ系アメリカ人で、白人警察の殺人で死刑の判決を受けながらも、無実を訴えつづけているムミア・アブ=ジャマールに関するラップが収められている。またアルバムには、マッド・ライオン、バスタ・ライムス、ダズEFX、ファット・ジョーと言った面々が客演を果たしている。
1997年、アルバム「アイ・ゴット・ネクスト」を発表し、周囲を驚かせた。アルバムには、商業的ラップの申し子パフ・ダディによる、1970年代に活躍したロックグループ、ブロンディーの楽曲をサンプリングした「ステップ・イントゥ・ザ・ワールド」のリミックス版が収められている。他にも、オールドスクールの名曲、ティーチャラス・スリーの「フィール・ザ・ハートビート」をネタに使った、アンジー・マルチネスとレッドマン客演の「ハートビート」も収められている。このような名の知れた大衆向けアーティストとの競演は、多くのファンや、KRS-Oneを非大衆派的な存在として認識していた批評家を驚かせた。しかしながら、1997年8月、彼はBBC第一ラジオのティム。ウエスト・ウッドに出演し、パフ・ダディーのような売れ線アーティストを好み、自分のヒップホップのスタイルを理解しようとしないDJやラジオ批判を行った。
1999年、先行シングル「ファイブ・ボーロー」が映画「コラプター」のサントラに収録されたのに続き、「マキシマム・ストレングス」と呼ばれる実験的なアルバムの発売を行う計画が存在した。しかし、リプライズ・レコードのA&R部門の副社長に就任するために、その計画を断念した。2000年、アルバム「レトロスペクティブ」の発表をもって、ジャイブ・レコードとの契約を打ち切った。翌年、リプライズでの職を辞し、コッホ・レコーズから、アルバム「スニーク・アタック」を発表した。2002年には、ゴスペル・ラップのアルバム「スピリチュアル・マインデッド」を発表し、往年のファンを驚かせた。かつて、彼はキリスト教を「奴隷保有者の宗教」と非難し、アフリカ系アメリカ人が従うべき道ではないと語ったことがあるためである。2003年半ばには、テンプル・オブ・ヒップの結成に続き、「クリスタイルズ」を発表した。また2004年夏には、「キープ・ライト」を発表した。2007年にはブリッジ戦争でビーフのあったジュース・クルー主催者マーリー・マールと和解。ナズが2006年に発表した「Hip Hop Is Dead」に異を唱える形で「Hip Hop Lives」を発表した。