非自民
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
非自民(ひじみん)は、日本の政治において自由民主党に所属・協力しない立場のこと。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 保守対革新
1955年、左派と右派が合流し日本社会党が一本化し、同年日本自由党と日本民主党が合併し唯一の保守政党として自民党が結成された。
[編集] 社公民
- stub
[編集] 非自民政権
1993年5月、政治改革をめぐる党内抗争の結果、小沢一郎・羽田孜らは宮沢内閣不信任決議に賛成した。当初は離党しない方針であったが、決議に反対した武村正義、鳩山由紀夫ら若手議員が離党し新党さきがけを結成し、賛成したグループは離党せざるを得ない状況となった。改革フォーラム21の議員は集団離党し、新生党を結成した。新生党は社会・公明・民社と非自民政権の樹立で合意した。
同年7月の第40回総選挙で自民党は過半数の奪回ができず、小沢は日本新党の細川に総理就任を打診、細川はこれを受諾し統一行動をとっていたさきがけも非自民政権の樹立に合意した。
[編集] 新進党
1994年、村山政権の発足により非自民勢力は下野し、小選挙区制になる次期総選挙に備え統一グループ(新・新党)の結成を目指した。創価学会を支持母体とする公明党との合流に反発し一部議員は参加を見合わせたが、12月に衆参214名で新進党を結成した。
1995年、第18回参院選において新進党は比例区で自民党を上回る40議席を獲得したが、「自・社・さ」の獲得議席を上回ることはできなかった。
[編集] 民由合併
2002年12月、勢力拡大に限界を感じた自由党党首の小沢と民主党代表の鳩山は合流に向けた協議を開始。しかし民主党内の反発により凍結、人事への反発などもあり鳩山は翌2003年、代表辞任に追い込まれた。再度代表に就任した菅は当初は合流に慎重であったが、小沢から「党名は民主党、政策・綱領・人事は現状維持」の提案を受け党内を合意させ、10月に自由党と合流した。
[編集] 現在
- stub