金庸
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金庸(きんよう、ピン音: Jīn Yōng 1924年6月6日 - )は中国の小説家で、香港の『明報』とシンガポールの『新明日報』の創刊者。武侠小説を代表する作家で、その作品は中国のみならず、世界の中国語圏で絶大な人気を誇る。本名は査良鏞。金庸とは筆名で、鏞の字を偏と旁に分けたものである。
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[編集] 略歴
金庸は、浙江省海寧県袁家鎮の出身、祖籍は唐山で、明代末期の文人で、反清運動に身を投じた査継佐を祖先に持つ。当初は外交官を目指し、中央政治大学で外交について学んだが、不正に抗議した舌禍事件が原因で退学を余儀なくされる。その後、杭州の『東南日報』で取材記者や英語の国際放送受信の担当を経た後、蘇州の東呉大学法学院で国際法課程を修習した。
ほどなく金庸は、『大公報』の電気通信翻訳の試験を受けて採用され、香港支社に派遣される。『大公報』の娯楽紙面である『新晩報』が創刊されると、『下午茶座』の編集担当となり、林歓の筆名で映画評論の執筆を行った。
ちょうどその時、大陸では共産党政権の誕生を迎えた。金庸は単身北京に赴き、自分を外交官として採用するように申し出る。しかし、金庸の思想が共産党と相容れないものだったために、この申し出は拒否された。また、父が反動地主として逮捕される事件も発生する。
これによって外交官への夢を完全に諦めた金庸は、香港に戻り、記者として復職した。その後、同僚であった梁羽生が武侠小説の執筆を始めた影響もあって、1955年、『新晩報』に第一作である『書劍恩仇録』を発表した。それを皮切りに、武侠小説の執筆を開始し、一躍人気作家となった。1959年には独立して中道日刊紙『明報』を創刊するが、その原因は『大公報』の左傾化への反発である。
以降、『明報』に社説と武侠小説を毎日執筆連載して、人気作家としての地位を不動のものとすると共に、かつて属した『大公報』などの左翼系各紙と、共産党の施政を巡って激烈な論争を繰り広げ、文化大革命勃発時には、その真の目的が劉少奇打倒にあることを、終末期には当時権力の絶頂にあった林彪の失脚をそれぞれ予言し、政治評論家としての才能も遺憾なく発揮した。1972年には『鹿鼎記』の連載終了と共に、突如作家としての断筆宣言を行って世間を驚かせた。
香港の中国への返還が決まると、香港基本法起草委員会の委員に、中国側の推薦で任命されたが、返還後の香港の政治体制について、金庸が示した方案は、香港の政治的安定を優先させ、中国側の意向に沿ったものだったために、民主派から激しい非難を浴びた。ところが、1989年に天安門事件が発生するや、金庸は抗議して即座に委員を辞し、再び世間を驚かせた。
その後、金庸は『明報』を辞し、持ち株の大半を売って引退した。しかし、引退後もオックスフォード大学の客員教授に選ばれたり、香港特別行政区準備委員会に香港側の委員として参加するなど、その活動は衰えていない。1999年より浙江大学の人文学院長を務めた。2002年には、15作品ある自身の武侠小説の改訂を開始した。
[編集] 金庸の武侠小説
1955年に処女作『書劍恩仇録』の連載を開始して以来、1972年に『鹿鼎記』を最後の作品として断筆するまでに、長編を中心に15作の武侠小説を書き上げた。それらの作品群は、文学的な表現と巧みな展開の物語で、爆発的な人気を引き起こし、香港中国のみならず、台湾や華人の多い東南アジア各国でも広く読まれている。その浸透ぶりは、「中国人がいれば、必ず金庸の小説がある」と言われるほどで、中華圏における民族作家として確固たる地位を確立している。
金庸の武侠小説は動乱の時代を舞台としたものが多く、壮大な歴史背景に、実際の歴史上の人物も多数登場して虚実入り混じった世界を形作り、武侠小説の枠を超えた壮大な歴史叙事文学と呼ぶに相応しいものとなっている。また、作品の中では、民族間の葛藤が描かれることが多いが、それらの関係は伝統的な中華思想によっては捉えられておらず、諸国家・民族が客観的かつ平等に描かれているのが大きな特徴となっている。
武侠小説はそれまで低俗な大衆小説として知識人からは軽蔑される傾向が強かったが、豊かな教養に裏打ちされ、また西洋小説の影響も受けた金庸の作品は知識人の間でも好評を博し、金庸の作品の主題や物語、登場人物を研究する「金学」なる学問まで生まれた。武侠小説を文学としても評価される域にまで引き上げたことで、金庸は、「武侠小説の第一人者」との呼び声も高い。また、作品の多くは映画やドラマ、漫画、ゲームなど様々な媒体に進出して大衆に広く愛され、中華圏における広範な娯楽文化の一翼を担っている。1995年に、現代中国の代表的な作家を選んだ「二十世紀中国文学大師文庫」で、金庸は、魯迅、沈従文、巴金に続く、第4位に置かれている。
[編集] 文学以外の活動
金庸は、香港を代表する名士の1人であり、小説の執筆は多彩な活動の一部に過ぎない。
1959年5月20日に創刊した『明報』は中国語圏のみならず、世界的にも影響力を持つ新聞で、金庸は創刊以来、武侠小説の連載と共に社説の執筆も手がけてきた。中国で文化大革命が行われていた時期、金庸は共産党の施策に反対する態度を明らかにし、左派の論客たちと紙上で激しい論戦を繰り広げた。一時は身の危険を感じ、香港を離れたこともあったほどである。
香港の中国返還が決まるや、返還後の香港の政治体制を決める香港基本法起草委員会に、中国側の推薦で選ばれた。一貫して共産党を批判してきた金庸が中国の推薦を得たのは、香港内外でのその影響力が考慮されたことに加え、中国の政治指導者層内部にも、金庸の武侠小説の愛読者が少なくなかったからと言われる。金庸の提出した香港の政治体制についての方案は、現実を直視して香港の政治的安定を優先し、中国の許容範囲内での民主主義と自由を認めるというものだったために、香港では不評で、特に民主派からは総攻撃を浴び、香港の初代行政長官を狙う野心家との非難も出た。だが、1989年に天安門事件が発生すると、即座に中国への抗議声明を発して委員を辞したことで、世間を驚かせた。方案自体はその後紆余曲折を経たものの、基本的には金庸の草案に沿ったものとなっている。
その後、『明報』を辞して引退したものの、各方面での活発な活動を続けており、中華圏において、大きな影響力を持っている人物の1人である。
[編集] 作品一覧
- 武侠小説
- 書劍恩仇録(1955年、邦題:書剣恩仇録) 紅花会と乾隆帝の間の秘密とは…
- 碧血劍(1956年、邦題:碧血剣)
- 雪山飛狐(1957年) 雪山にいる謎の侠客雪山飛狐とは…
- 射鵰英雄傳(1957年、邦題:射鵰英雄伝)蒙古で育った素朴な郭靖と、東邪の娘・黄蓉の冒険
- 神鵰侠侶(1959年、邦題:神鵰剣侠)武侠世界で最も有名な恋人・楊過と小龍女の物語
- 飛狐外傳(1960年、邦題:飛狐外伝)雪山飛狐の少年時代を描く。紅花会の面々もゲスト出演
- 倚天屠龍記(1961年) 手に入れた者は武林を制すと言われる「倚天剣」と「屠龍刀」に隠された謎とは…
- 鴛鴦刀(1961年)
- 白馬嘯西風(1961年、邦題:白馬は西風にいななく)
- 連城訣(1963年)主人公・狄雲に次々とふりかかる不運と悪意
- 天龍八部(1963年)喬峰・段誉・虚竹・慕容復の4人の若者が、親の代からの因縁に翻弄される
- 侠客行(1965年)ある少年が偶然に玄鉄令を手にしたことで武林の世界に巻き込まれる
- 笑傲江湖(1967年、邦題:秘曲 笑傲江湖)金庸キャラの中でも最も好漢である令狐冲が大活躍
- 鹿鼎記(1969年)うまい立ち回りで出世する物語
- 越女劍(1970年、邦題:越女剣)
これら武侠小説作品の題名の頭文字を組み合わせると、次のような対聯になる。
- 飛雪連天射白鹿 笑書神侠倚碧鴛
これは金庸が『鹿鼎記』の後書きで披露したものである。『越女剣』はその後に書かれた短編であるために含まれない。
[編集] 日本語訳について
徳間書店より1996年10月から2004年3月までの間、金庸武侠小説集として、武侠小説の全作品が翻訳刊行された。現在は文庫化が進められている。
- 徳間書店金庸武侠小説集
- 第1回配本『書剣恩仇録』(全4巻、原題:書劍恩仇録、訳:岡崎由美)
- 第2回配本『碧血剣』(全3巻、原題:碧血劍、監修:岡崎由美、訳:小島早依)
- 第3回配本『侠客行』(全3巻、原題:侠客行、監修:岡崎由美、訳:土屋文子)
- 第4回配本『秘曲 笑傲江湖』(全7巻、原題:笑傲江湖、監修:岡崎由美、訳:小島瑞紀)
- 第5回配本『雪山飛狐』(全1巻、原題:雪山飛狐、監修:岡崎由美、訳:林久之)
- 第6回配本『射鵰英雄伝』(全5巻、原題:射鵰英雄傳、監修:岡崎由美、訳:金海南)
- 第7回配本『連城訣』(全2巻、原題:連城訣、監修:岡崎由美、訳:阿部敦子)
- 第8回配本『神鵰剣侠』(全5巻、原題:神鵰侠侶、訳:岡崎由美・松田京子)
- 第9回配本『倚天屠龍記』(全5巻、原題:倚天屠龍記、監修:岡崎由美、訳:林久之・阿部敦子)
- 第10回配本『越女剣』(全1巻、原題:白馬嘯西風、鴛鴦刀、越女劍、監修:岡崎由美、訳:林久之・伊藤未央)
- 第11回配本『飛狐外伝』(全3巻、原題:飛狐外傳、監修:岡崎由美、訳:阿部敦子)
- 第12回配本『天龍八部』(全8巻、原題:天龍八部、監修:岡崎由美、訳:土屋文子)
- 第13回配本『鹿鼎記』(全8巻、原題:鹿鼎記、訳:岡崎由美・小島瑞紀)
[編集] 作品とリンクしている史実
- 1126年 靖康の変
- 1141年 岳飛、処刑される
- 1167年 王重陽(1112年 - 1169年)全真教をおこす
- 1206年 チンギス・ハーン(1162年頃? - 1227年8月18日)モンゴルの高原を統一し、モンゴル帝国の初代大ハーンとなる。
- 1208年 完顔允済、金の第7代皇帝 衛紹王となる。(えいしょうおう、? - 1213年)諡は紹王。小字は興勝(シンシャン)。諱は允済(ユンジ)、後に永済。女真名は果縄(ハヒェン)。
- 1220年 モンゴル軍がサマルカンド(康国、現ウズベキスタン首都)に侵攻
- 1273年 襄陽陥落
- 1644年 李自成の反乱と明の滅亡
- 1661年 清祖(順治帝)死去、聖祖(康煕帝)即位
[編集] 参考文献
- 『武侠小説の巨人 金庸の世界』(徳間書店、監修:岡崎由美)
- 『きわめつき武侠小説指南―金庸ワールドを読み解く』(徳間書店、監修:岡崎由美)
- 『漂泊のヒーロー―中国武侠小説への道』(アジアぶっくす、著:岡崎由美)
- 『金庸は語る 中国武侠小説の魅力』(神奈川大学評論ブックレット、述:金庸 著:鈴木陽一)
[編集] 関連項目
- テレビドラマ
- ドラマDVD販売