速水優
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速水 優(はやみ まさる、1925年(大正14年)3月24日-)は日本の銀行家。兵庫県神戸市出身。第28代日本銀行総裁。
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[編集] 来歴
東京府立第六中学校(現・東京都立新宿高等学校)卒業後、1942年に東京商科大学予科(現・一橋大学)入学。5ヶ月間の軍務等を経て、1947年9月に東京商科大学を卒業(木村元一ゼミナール)。同年日本銀行に入行、主として国際畑中心に地歩を築いていった。同行理事にまで上り詰めた後、1981年同行を退職。妻の閨閥関係もあって、日商岩井(現・双日)に専務取締役として招かれる。その後、1984年に同社社長、1987年には同社会長に就任。
一連の大蔵省・日銀スキャンダルの責任を負って、1998年、当時の松下康雄日本銀行総裁と福井俊彦同副総裁が退任。橋本総理から日本銀行の後継総裁としての指名を受け、世間を驚かせた。総裁就任にあたっては保有していた日商岩井株をすべて財団に寄付している。在任中は日本銀行の独立性を高めることに全力を傾注。新日銀法及び人事権の独立を勝ち取った。1999年2月、ゼロ金利政策を導入。2000年8月、これを解除。2001年に再びゼロ金利政策に復帰した。2001年3月からは量的金融緩和政策を実施した。
2003年から学校法人聖学院名誉理事長、聖学院大学全学教授。同年名誉博士(聖学院大学)の称号を受ける。1993年から1995年まで運輸省航空審議会委員長、1996年から1998年まで経済企画庁参与。国際基督教大学理事、東洋英和女学院常務理事等も歴任。
2007年如水会有志による「石原慎太郎東京都知事、激励と懇親の会」に出席。
[編集] 人物・評価
日銀時代は外国局を中心に歩み、海外経験も長いいわゆるオールド通貨マフィアのひとりで、英語に堪能だった。日商岩井時代については、当時日商岩井はダグラス・グラマン事件の影響を引きずっており、クリーンなイメージを持つ速水によりその影響を払拭したい意図もあったようだが、日商岩井時代の彼の経営手腕には今なお疑問の声が多く、同社の凋落を止めることはできなかったとされる。
頑固一徹な性格で、それが金融政策にも表れた。日銀総裁時代におけるデフレ不況に際しては、良いデフレであるという認識の下、極めて消極的に金融政策を運営したことに対しては、デフレ不況の長期化・深刻化を招いたとの批判を受けた。ただし、速水本人はあくまで通貨が信任を得ることが強い経済の条件と考えていた。
デフレに対する速水の消極的な態度は内外の経済学者から猛烈な批判を浴びた。「不況によって、非効率的な企業が淘汰される」といったヨーゼフ・シュンペーター流の創造的破壊論を援用したことに対しては、不況に際しての創造的破壊論は、カバレロとハマーが米国の製造業を対象に行った実証研究によっては強い疑問が付されている。FRBの現議長で当時理事のベン・バーナンキが「日銀幹部は一人(中原伸之審議委員)を除いてジャンクだ」と発言しているほか、英エコノミスト誌は「世界で最悪の中央銀行総裁」と評した一方では、大胆な量的緩和に踏み切った福井俊彦を最高の総裁と評した。ただし毎日新聞・朝日新聞をはじめとする国内の有力紙では速水のゼロ金利政策解除や良いデフレ論は好意的に報道された。
日銀の念願であった旧大蔵省からの独立を果たし、任期満了まで総裁職を務めた後、同じく日銀プロパーの福井俊彦に同職を譲ったことについては、速水総裁は中央銀行の独立性にこだわり過ぎたあまり、政府や経済学者からの提言の全てを「現場介入」と捉え、排除してしまったのではないかという指摘がある。
退任後の著書「強い円強い日本経済」では、輸出産業に対する円安支援、米国の赤字を日本の国債でファイナンスすることに対する疑問を示した上、日本の内需を拡大させるべきことが提言されている。
[編集] 家族
妻きみは、日商(現双日)設立者で元貿易庁長官等を務めた永井幸太郎の娘。数学者の速水謙(国立情報学研究所教授)は息子。文化人類学者の速水洋子(京都大学東南アジア研究所教授)は娘。
[編集] 経歴
- 1947年10月 日本銀行入行
- 1966年9月 同外国局総務課長
- 1967年11月 同大分支店長
- 1970年4月 同外国局次長
- 1971年1月 ロンドン駐在参事
- 1973年5月 同外事審議役
- 1975年4月 同外国局長
- 1976年12月 同名古屋支店長
- 1978年2月 同行理事
- 1981年5月 同退任
- 1981年6月 日商岩井専務取締役
- 1982年6月 同社代表取締役副社長
- 1984年6月 同社代表取締役社長
- 1987年6月 同社代表取締役会長
- 1989年4月 経済同友会副代表幹事
- 1991年4月 経済同友会代表幹事
- 1992年4月 東京女子大学理事長
- 1994年6月 日商岩井相談役
- 1995年4月 経済同友会終身幹事
- 1998年3月 日本銀行総裁
- 2003年3月 同任期満了退任
- 2003年6月 財団法人歴史民俗博物館振興会理事長
- 2003年10月 学校法人聖学院名誉理事長、聖学院大学全学教授
[編集] 著書
- 『円が尊敬される日』(東洋経済新報社 1995年)
- 『中央銀行の独立性と金融政策』(東洋経済新報社 2004年)
- 『強い円 強い経済』(東洋経済新報社 2005年)
[編集] エピソード
胸ポケットに六甲颪の歌詞カードをしのばせているほどの、大の阪神タイガースファンである。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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