豊岡鉄道部
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豊岡鉄道部(とよおかてつどうぶ)とは、兵庫県豊岡市の豊岡駅構内(豊岡市大手町3-40)にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道部で、車両基地でもある。福知山支社の管轄。
旧・日本国有鉄道福知山鉄道管理局豊岡機関区の流れを汲む。過去には蒸気機関車の基地となっていた。仕業点検等を実施しており、長距離列車の場合、機関車の付け替えを当駅で多く行った。当時は、和田山にも支区を設置しており、播但線の生野峠越えや起伏の多い宮津線(旅客列車中心)、余部橋りょうやその先の桃観トンネルといった難所の運行を一手に担っていた。
現在でも、福知山支社唯一の気動車検修施設を持ち、播但線使用車両やラッセル車も管理下にあり、運行面においても国鉄時代同様に幅広い業務を担っている。
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[編集] 管轄路線・駅
- 管内でJR西日本の社員がいる駅は、豊岡駅と城崎温泉駅のみである。八鹿駅・江原駅・香住駅・浜坂駅は、子会社(ジェイアール西日本福知山メンテック)委託でみどりの窓口もあるが、養父駅・竹野駅は簡易委託でみどりの窓口は無い。又実質養父駅は無人駅と同等に扱われている。その他の駅はすべて無人駅である。
- 管内には、宿南信号場と相谷信号場の二つの信号場がある。
[編集] 歴史
- 1990年6月1日 鉄道部制度に伴い、第1次鉄道部として発足。
- 1999年10月2日 福知山駅周辺高架事業(正式名称:福知山都市計画・都市高速鉄道事業・西日本旅客鉄道山陰本線・福知山線・電車基地通路線及び北近畿タンゴ鉄道宮福線)により、気動車検修機能を移設。1992年に福知山運転所に車両配置を一本化して以来、車両配置が復活する。
[編集] 車両基地
兵庫県豊岡市の豊岡駅構内にある。
[編集] 所属車両の車体に記される略号
- 旅客車:「福トカ」・・・福知山支社を意味する「福」(正確には旧字体)と、豊岡を意味する「トカ」から構成される。
- 機関車:「豊」・・・豊岡を意味する「豊」から構成される。
[編集] 所属車両
播但線(寺前~和田山、主にキハ40形・キハ41形で運用)と山陰本線(豊岡~浜坂、主にキハ47形で運用)で運行される気動車が所属している。
以下は2007年4月1日現在の所属車両である。
- キハ40形気動車
- 2000番台3両が所属している。
- キハ41形気動車
- 2000番台5両が所属している。
- キハ47形気動車
- 0番台が6両(キハ47 1も配置されている)、1000番台が3両所属している。
- ディーゼル機関車
- DE10形ディーゼル機関車
- 1両が所属している。入換、臨時列車牽引用。
- DE15形ディーゼル機関車
- 2両が所属している。除雪用(ラッセル式、単線用・複線用各1両)。
- 貨車
[編集] 過去の配置車両
- 気動車
- キハ58系気動車「セイシェル」
- 1989年11月に登場したキハ58形2両、12系客車1両を改造した3両編成。キロ59 554・555、キサロ59 501(12系客車からの改造車)で構成されていた。
- キロ59形は長い連続窓で構成され、前面は改造車種であるキハ58形1100番台のままで貫通扉に小型の表示板が付いていた。2号車であるキサロ59形は、1両のみで構成するスハフ12形701号車「いこい」から再改造された車両で、室内は「くつろぎコーナー」というコーナーが設置されていた。
- 所属区は当時、福知山運転所だったがのちに当鉄道部に転属。団臨以外にも多客臨時列車にも使用されていたが、2005年1月の団臨を最後に引退、3月31日付けで廃車になった。
- キハ58系気動車
- かつての急行「丹後」「但馬」「わかさ」で運用していた福知山運転所の車両で、1996年3月16日のダイヤ改正で大半の車両が余剰となり、廃車もしくはタイ国鉄に譲渡されるもワンマン車と一部車両が波動用として残った。1999年10月に舞鶴線電化と福知山駅高架工事の進展により、当鉄道部に転属した。
- 転属後、キハ58形2両(キハ58-7202・7208)、キハ28形1両(キハ28-3021)を最終的に残し、波動用の車両は廃車、ワンマン車は小浜鉄道部と高岡鉄道部に転属となった。(その生き残りが、越前大野鉄道部→(高岡鉄道部復帰)所属のキハ58-1114(キハ58形で唯一現存する温暖地向け末期増備車両)である)。
- 残った車両については、当時の城崎(現:城崎温泉駅)駅長のアイディアにより、国鉄急行色をベースにいさり火漁をイメージした塗装にまた内装面は編成の両端となるキハ58形の2両は室内天井に特殊塗装を施し、通路扱いとなるキハ28形は喫煙スペースに変更され、シーズン中は臨時快速「いさり火」としてまた各種臨時・団体列車やカニすきシーズンの普通列車の増結として運用した。この列車は日本海に浮かぶ、烏賊釣船の「いさり火漁」を車窓から観賞し餘部橋梁を含むビューポイントで徐行運転をというコンセプトで運行を開始し、現在の臨時快速「あまるべロマン号」の原点とも言える列車でもあった。
- カニシーズン終了後の2002年3月頃から運用離脱、保留車となった。2002年8月28日、一般向けで豊岡~浜坂間の臨時快速「さよなら いさり火号」として、29・30日福知山~城崎(現:城崎温泉)間で団体列車として、さよなら運転をキハ58-7208+キハ28-3021の2両編成で行い運用を終了した。同年10月3日に金沢総合車両所(旧松任工場)に山陰・舞鶴・小浜・北陸経由で廃車回送された。
- ディーゼル機関車
[編集] 乗務員乗務線区・列車
- 特急列車
- 普通列車