若宮 (水上機母艦)
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艦歴 | |
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起工 | |
進水 | 1901年 |
就役 | 1901年10月竣工 |
除籍 | 1931年4月1日 |
その後 | 1932年解体 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:5,180t 常備:5,895t |
全長 | (垂線間長:111.25m) |
全幅 | 14.68m |
吃水 | 5.8m (平均) |
主缶 | 円缶3基 |
主機 | 直立3気筒三段膨張1基1軸 1,591hp |
速力 | 10kt |
航続距離 | |
乗員 | 124名から234名 |
兵装 | 40口径8cm単装砲2門 5cm単装高角砲2門 |
航空機 | 水上機約4機 |
若宮 (わかみや)は、日本海軍の水上機母艦。日本海軍初の水上機母艦であり、第1次世界大戦において日本初の航空作戦を実施している。
目次 |
[編集] 艦歴
元英貨物船レキシントン(Lethington)。明治38年1月、日露戦争時において香港からウラジオストクに向かっている途中の対馬海峡で捕獲され没収、2月14日に沖ノ島丸と命名された。同年9月1日、若宮丸と正式命名、日本海軍の輸送船として活動した。
大正2年に臨時に水偵機3機を搭載して演習に参加、翌年水上機母艦への改装工事を受けた。前部船倉に航空機格納所や弾火薬庫、後部船倉に兵員室を設け甲板上にキャンパス製の天蓋をつけた簡単な改装だった。航空機は前後甲板上に各1機、格納所には分解して2機の計4機を搭載でき、航空機の発進は海上に下ろす形だった。
日英同盟を締結していた当時、第1次世界大戦勃発と共に日本はドイツに参戦、本艦も青島攻略戦に参加し、日本で初めて航空作戦を実施した。その後も大正14年まで艦隊にあり、航空戦力として演習等に参加した。
大正9年、仮設の滑走台を設け陸上機の発艦実験をしている。
大正4年に軍艦(二等海防艦)に編入、若宮と改名。大正9年4月1日には類別変更され新設された航空母艦に日本で初めて籍を置いた。が、もちろん実質は水上機母艦であった。大正14年まで艦隊へ配属、その後は佐世保鎮守府警備艦。昭和6年4月1日に除籍され、後に売却解体された。
[編集] 年譜
- 1901年10月 英ロバート・ダンカン社(グラスゴー)にて竣工
- 1905年1月12日 日露戦争において拿捕没収
- 2月14日 沖ノ島丸となる
- 9月1日 若宮丸と正式命名、海軍運送船として使用
- 1907-1912年 日本郵船に貸与
- 1912年3月9日 艦籍編入 運送船に類別
- 1913年 水上機搭載のテスト
- 1914年8月 水上機母艦への改装工事を横須賀工廠で実施
- 8月23日 横須賀を出港、11月まで青島攻略戦に参加
- 9月30日 青島福島付近で触雷着底
- 10月-12月 佐世保工廠で修理
- 1915年6月1日 二等海防艦となり若宮と改名
- 1920年 陸上機の発艦実験実施。航空母艦へ類別変更
- 1926年? 佐世保鎮守府警備艦となり数年間佐世保に繋留
- 1931年4月1日 除籍
- 11月26日 売却
- 1932年 解体
[編集] 特務艦高崎
航空母艦籍には入らなかったが若宮と同様の改装を受け艦隊演習も同様に参加した。詳細は高崎 (運送艦)を参照のこと。
[編集] 参考文献
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第4巻 空母Ⅱ』(光人社、1989年) ISBN 4769804547
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年
[編集] 関連項目
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若宮 | 能登呂 | 神威 | |
千歳型 : 千歳 | 千代田 | |
瑞穂 | 日進 | 秋津洲 |