花園中央公園
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花園中央公園(はなぞのちゅうおうこうえん)は、大阪府東大阪市に位置し、同市が所有・整備する都市公園である。近鉄花園ラグビー場に近接する。
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[編集] 施設概要
市民の憩いの場の公園として桜の広場、花菖蒲園などが整備されている他に、公園内に以下のような施設がある。
- 多目的球技広場
- 日本陸上競技連盟の第3種公認陸上競技場。別名、近鉄花園ラグビー場第3グラウンド。ラグビーの試合では大学の下部リーグや小・中学生の試合など、入場無料の試合で主に使用される(全国高校ラグビーフットボール大会など有料の試合もある)。
- 花園中央公園野球場
- 愛称:花園セントラルスタジアム。恩智川治水事業の一環として整備し、2006年4月30日に完成した。両翼97m、センター120mで、1600人収容のスタンド、内外野全体に天然芝を敷設するなどを備えている。当初は老朽化が進む藤井寺球場に代わる大阪近鉄バファローズ2軍のホームスタジアムにする計画もあったが、2004年のオリックス・ブルーウェーブ(現・バファローズ)との合併により立ち消えとなっている。
- 東大阪市立児童文化スポーツセンター「ドリーム21」
- プラネタリウムやスポーツホールなどがある。
- 東大阪市民美術センター
[編集] 歴史
そもそもは近鉄花園ラグビー場に近接した大阪外国語大学(現・大阪大学外国語学部)のグラウンドの敷地だったが、同校のグラウンドが箕面市に移転したため、その跡地を東大阪市が払い下げる形で整備されることになったものである。
[編集] 幻の「花園球場」整備計画
この花園中央公園の敷地内に、近鉄バファローズの本拠地として使われることを念頭に置いた野球場の建設計画が具体化されたことがあった。
近鉄球団は1958年以後、名目上は自社運営の藤井寺球場と日本生命保険所有の日本生命球場のダブルホームスタジアム(野球協約に定める専用球場も2ヶ所両方登録していた)を取り入れていたが、藤井寺にはナイター設備がなく、実質日生球場をメインとしていた。しかし、日生球場はナイター照明の照度が非常に低いことや施設上の問題からパシフィックプロ野球連盟が問題視していた。その為1973年に藤井寺球場を改修する際、ナイター設備を設置することを盛り込んだのだが、周辺住民がナイター開催が騒音につながるとして建設の差し止めを裁判所に行ったため、ナイター開催が出来なくなった。この関係で日生球場の「間借り」状態が続いていた。
そのような状況を東大阪市が踏まえ、この大阪外大のグラウンド跡地に整備する公園の建設に際し、野球場の建設を計画。それを近鉄球団の新しい本拠地にすることを提案した。具体的には以下のような理由が挙げられた。
- 公園面積が大きく住宅街からも離れている
- ラグビー場と共に野球場が建設することになれば東大阪市のスポーツの一大拠点となる
- 大阪市内からも電車で20分以内であることや、東大阪生駒電鉄(現・近鉄けいはんな線)の開通も近いとあって、交通アクセスの改善も見込める
その事は1980年10月15日付け報知新聞(スポーツ報知)で大々的に取り上げられ、1982年完成、収容人員3万人以上、人工芝・ナイター照明塔などを設置する近代的な球場を作るという概況が発表された。
しかし、その後財政難の問題から野球専用球場という形ではなく花園ラグビー場を改修して人工芝の多目的競技場として整備して、4-5万人程度収容のスタジアム、またテニス場や温水プール、更に大阪府立体育会館も難波から移築することも盛り込んでいた。
だがその後1983年に大阪地方裁判所がナイター設備の建設工事差し止めの仮決定を取り消す決定がなされ、防音壁設置などの条件付きでナイター照明塔の設置工事が再開されることになり(1984年竣工)、この花園球場の建設計画は結果的に幻となってしまった。
また、この件に関しては西本幸雄元近鉄監督の述懐に、「佐伯勇オーナーに花園ラグビー場に近鉄で球場を造って、本拠地にしたらどうでしょうかと進言したところ、『いくらかかると思ってるんだ』と断られた。」とも記されていた。