精進川
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下流部の豊中公園(2004年10月) |
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水系 | 石狩川水系 | |||
延長 | 13.2 km | |||
水源の標高 | - m | |||
平均流量 | - m³/s | |||
流域面積 | 11.9 km² | |||
水源 | 札幌市南区 | |||
河口 | 豊平川(札幌市豊平区) | |||
流域 | 札幌市南区、豊平区 |
精進川(しょうじんがわ)は、北海道札幌市を流れる川で、豊平川の支流である。長さ13.2kmで、うち一級河川部分が6.2km、準用河川部分が7.0kmある。一級河川石狩川水系に属する。
目次 |
[編集] 流路
札幌市南区、定山渓ゴルフ場の近く、厚別川沿いの滝野すずらん丘陵公園から見て北西にある丘陵から、北に流れる。西隣を稜線一つを隔てて並ぶ真駒内川と異なり、川沿いに人家は多くない。中流部の右岸が澄川、左岸が真駒内地区である。
北海道道82号西野真駒内清田線と交わるあたりから、両岸が平地、市街地になる。自衛隊前駅の下を潜り、澄川1条4丁目で西に精進川放水路を分ける。放水路は西に分かれ、ミュンヘン大橋の南で豊平川に注ぐ。本流の方はさらに北に流れて豊平区に入り、右岸が平岸、左岸が中の島地区になる。下流部では精進河畔公園、豊中公園など川沿いの公園を流れ、他の箇所でも河川林が残されている。幌平橋の北で豊平川に注ぐ。水量が少ないせいもあって、下流は冬に付近の住民の雪捨て場となって埋もれる。
[編集] 歴史
精進川沿いには、擦文時代やアイヌ時代の遺跡があり、古くから人が居住していた。明治初めの『永田地名解』に「オソウシ川」とあるのが今の精進川にあたると推測されている[1]。流域への日本人の入植は1871年で、岩手県水沢の出身者を中心とする62戸が平岸村に入った。平岸村の人々は、1873年に用水掘を作ってこの川から水を村に引いた[2]。
元の精進川は、放水路のあたりで豊平川に流れ込んでいた。今の精進川下流部には、かわりに豊平川からの分流が流れ込んでおり、この分流によって中州のようになった地区を、中島(中の島)といった。この合流点近くに小さな滝があり、平岸はアイヌ語の「ピラケシ(崖の尻)」に由来するという説がある。[3]
中流右岸の澄川地区は、昔この川にちなんで「精進川」といった。澄川は精進川を雅称したもので、1944年にこの地名に変更になった。[4] この川は、「澄川の川」とも呼ばれている。
後に豊平川からの分流は遮断された。今の放水路は、洪水防止のため精進川から豊平川に水を流し込むべく、1966年から1971年にかけて造られた。現在の中の島は、放水路と精進川と豊平川で区切られた地区である。その後1976年までの工事で下流は川床と岸の三面をコンクリートで覆われた。また、この時期は生活排水などで川の汚れが進んだ。
水質は20世紀末に改善された。北海道は、多自然型川づくりの二番目(一番目は実験的に実施した幌内川)の対象に精進川を選び、1992年から再改修を実施した。随所でコンクリート護岸が外され、住宅地のただなかで自然に親しめる場所になっている。
この計画の柱には残されていた河畔林の保全があったが、1996年に計画当事者の北海道自身が河畔林の一部をマンション開発業者に売却した。住民の反対で札幌市議会が買い戻しを要請したが、道は一か月で交渉を断念し、そのままマンションが建設された。[5]
[編集] 精進川の分流
- 精進川放水路
- 精進川から豊平川への排水のために作られた水路。市街化した平岸・中の島地区の洪水防止のために作られ、1971年に完成した。長さ約600m。
[編集] 精進川の橋
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- 駒岡2号橋 - 市道真駒内滝野線
- 駒岡5号橋
- 精進川3号橋
- 精進川2号橋
- アカゲラ橋
- 精進川管理橋
- 二谷橋
- 駒岡1号橋
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- 駒岡3号橋
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- 駒岡橋
- 駒岡4号橋
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- 保安林橋
- 澄川橋 - 北海道道82号西野真駒内清田線(五輪通)
- 3号橋
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- 壱号橋
- 札幌市営地下鉄南北線 自衛隊前駅
- 慈恵橋 - 平岸通
- 澄川橋 - 福住桑園通
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- 精進橋 - 国道453号
- 公園内の橋1
- りんご橋
- 公園内の橋4
- ? - 白石藻岩通
- ? - 白石藻岩通~環状通の間に数本(対岸の住宅用)
- ? - 環状通
- ? - 白石中の島通
- ? - 中の島通
- ? - 北海道開発局土木研究所敷地内に数本
- 豊平川右岸堤防 ^ 豊平川通
- ? - 右岸サイクリングロードに自転車用、歩行者用の橋
[編集] 精進川放水路の橋
- 中条橋
- 豊進橋 - 国道453号
- 新精進橋 - 豊平川通
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[編集] 用水掘
1873年に、平岸街道(現在の平岸通)沿いに住んでいた平岸村の住民が、水を得るために作った水路である。精進川から取水し、豊平川まで流れていた。現在は存在しない。始まりは現在のあじさい公園(澄川2条5丁目)で、そこから緩く蛇行しながら天神山の西まで北に流れ、山の麓を西から北に回りこんで平岸街道にぶつかった。以後は平岸街道沿いに北にまっすぐ北流し、豊平橋付近で左に曲がって豊平川に合流した。今、天神山までの水路跡は遊歩道になっていて、札幌市立澄川西小学校の通学路となっている。
[編集] 精進川の滝
- 精進川にはいくつかの滝がある。
- 天神山児童会館付近にとても小さな滝がある。この滝は、川の中のほうまで行かないと見られない。
- 精進川の滝といえばこれと呼ばれる滝は、中の島通りの下をくぐったところにある滝で、落差は1~2メートルほど。付近の住民は「精進川の滝」と呼ぶ。