第1師団 (陸上自衛隊)
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第1師団 (陸上自衛隊) | |
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創設 | 1962年(昭和37年)1月 |
国籍 | 日本 |
所属 | 陸上自衛隊 |
規模 | 師団 |
兵種 | 自動車化歩兵 |
人員 | 約6,600名 |
所在地 | 東京、練馬 |
編成地 | 東京 |
愛称 | 頭号師団 |
上級部隊 | 東部方面隊 |
担当地域 | 南関東 |
主な戦歴 |
第1師団(だいいちしだん、JGSDF 1st Division)は陸上自衛隊の師団のひとつ。東部方面隊隷下の政経中枢師団で司令部を東京都練馬区の練馬駐屯地に置く。首都圏(東京、神奈川、埼玉、静岡、山梨、千葉、茨城)の防衛警備、災害派遣を任務とするほか、民生協力及び国際貢献活動を行っている。 旧陸軍に倣って、頭号(第1)師団は師団司令部を東京に置く師団に付された。
第1師団は第3師団とともに、政経中枢師団とされている。政経中枢師団は、都市部における市街戦が重視されることから、装備を軽快なものとし、機動力を重視している。そのため、戦車部隊は連隊ではなく大隊、野戦特科部隊は連隊ではなく特科隊と軽量化されている。
一方、第1師団は極左暴力集団及び左翼系の市民団体や労働組合からは「治安弾圧部隊」と揶揄される事もあるが、これは70年安保闘争時に第1師団が治安出動命令によりデモ隊を攻撃するのではないかと恐れられた為である。しかし実際には安保闘争程度のデモ隊鎮圧は警察力のみで充分に対処可能であり、陸自には暴動鎮圧作戦能力が付与されていない。
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目次 |
[編集] 沿革
[編集] 第1管区隊時代
- 警察予備隊時代 - 第1管区隊が発足。東北地方南部から中部地方の一部までを担当していた。
- 1954年(昭和29年)10月9日 - 第14普通科連隊(同年9月25日に編成完結)が第1管区総監の指揮下に入る。
- 1956年(昭和31年)11月12日:那須高原大田原市周辺において第1管区隊と第6管区隊同士の演習場外での対抗演習CPXを実施。人員5,000名、車両900台が参加する(~11月15日まで)。
- 1958年(昭和33年)6月26日 - 第14普通科連隊が第1管区隊から第10混成団へ移る。
[編集] 第1師団時代
- 1962年(昭和37年)1月 - 第1師団編成
- 1975年(昭和50年) - 第1音楽隊を新編
- 1992年(平成4年)3月 - 後方支援連隊及び高射特科大隊を新編
- 1994年(平成6年)3月 - 第1飛行隊を新編
- 1996年(平成8年)6月 - 第32普通科連隊が市ヶ谷駐屯地で自衛隊初の市街地対テロ訓練を行う
- 1999年(平成11年)11月 - 第32普通科連隊が大宮駐屯地へ移駐
- 2002年(平成14年)3月27日 - 甲師団(定員9千名)から政経中枢師団(定員6600名)に改組された。第1特科連隊及び第1対戦車隊を廃止し、第1特科隊及び化学防護隊を新編。また、第1後方支援連隊が改編され、武器大隊に代わって第1整備大隊及び第2整備大隊が編成された。
- 2002年(平成14年)-第34普通科連隊が米国で陸上自衛隊初の日米共同訓練を行う
[編集] 編制
- 第1師団司令部および同付隊
- 第1普通科連隊 - 旧陸軍歩兵連隊に倣って頭号連隊は東京に駐屯する(旧陸軍歩兵第1連隊も東京の麻布に駐屯していた。)
- 第1後方支援連隊
- 第1通信大隊
- 第1偵察隊
- 第1音楽隊
- 第1化学防護隊
- 第1飛行隊
[編集] 司令部
詳細は司令部#陸上自衛隊の師団の司令部等の構成を参照
[編集] 高級幹部
職名 | 氏名 | 階級 | 就任日 | 出身校・期 | 前職 |
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師団長 | 武田正德 | 陸将 | 2007年3月28日 | 法政大49期 | 高射学校長 |
副師団長(兼練馬駐屯地司令) | 塩崎敏譽 | 陸将補 | 2006年12月6日 | 防大24期 | 東北方面総監部防衛部長 |
[編集] 師団長
代 | 氏名 | 在任期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 | 備考 |
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第1管区総監 | ||||||
1 | 吉田忠一 | 1950.10.9 - 1953.12.22 | 東京帝国大 | 元埼玉県副知事 | 退職 | 警察監 / 保安監 |
2 | 筒井竹雄 | 1953.12.22 - 1954.6.30 | 東京帝国大 | 第4管区総監 | 陸上幕僚長 | 保安監 |
3 | 大森寛 | 1954.7.1 - 1957.8.1 | 東京帝国大 | 第3管区総監 | 陸上幕僚副長 | |
4 | 中野敏夫 | 1957.8.2 - 1959.3.17 | 東京帝国大学 | 幹部学校長 | 退職 | |
5 | 高山信武 | 1959.3.17 - 1960.7.31 | 陸士39期・陸大47期 | 統合幕僚会議事務局長 | 北部方面総監 | |
6 | 宮崎舜市 | 1960.8.1 - 1962.1.17 | 陸士40期・陸大51期 | 陸上幕僚監部第5部長 | 第1師団長 | |
第1師団長 | ||||||
1 | 宮崎舜市 | 1962.1.18 - 1962.3.11 | 陸士40期・陸大51期 | 第1管区総監 | 北部方面総監 | |
2 | 安崎操 | 1962.3.16 - 1963.3.15 | 陸士40期・陸大50期 | 富士学校長 | 東北方面総監 | |
3 | 野尻徳雄 | 1963.3.16 - 1964.3.15 | 陸士41期・砲工38期 | 第10師団長 | 東部方面総監 | |
4 | 藤原岩市 | 1964.3.16 - 1965.7.15 | 陸士43期・陸大50期 | 第12師団長 | 陸上幕僚監部付 →1966.1.1退職 |
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5 | 橋本正勝 | 1965.7.16 - 1968.3.15 | 陸士45期・陸大53期 | 第2師団長 | 北部方面総監 | |
6 | 渡邊博 | 1968.3.16 - 1969.6.30 | 陸士46期・陸大56期 | 第2師団長 | 中部方面総監 | |
7 | 齊藤春義 | 1969.7.1 - 1970.6.30 | 陸士48期・陸大56期 | 第7師団長 | 北部方面総監 | |
8 | 古川義道 | 1970.7.1 - 1971.7.1 | 陸士48期・陸大56期 | 第13師団長 | 退職 | |
9 | 中島直臣 | 1971.7.1 - 1973.3.15 | 陸士50期・陸大58期 | 高射学校長 | 西部方面総監 | |
10 | 近藤清 | 1973.3.16 - 1974.6.30 | 第5師団長 | 西部方面総監 | ||
11 | 赤森伸治 | 1974.7.1 - 1976.7.1 | 陸士53期・陸大60期 | 調査学校長 | 退職 | |
12 | 味岡義一 | 1976.7.1 - 1977.7.1 | 陸士54期・陸大60期 | 第8師団長 | 退職 | |
13 | 酒井次武 | 1977.7.1 - 1978.7.28 | 施設学校長 | 退職 | ||
14 | 遠藤健 | 1978.7.28 - 1980.3.17 | 陸士57期 | 施設学校長 | 退職 | |
15 | 小林正信 | 1980.3.17 - 1982.7.1 | 陸士59期・関西大 | 第1空挺団長 | 退職 | |
16 | 亀井輝 | 1982.7.1 - 1984.6.30 | 海兵75期 | 幹部候補生学校長 | 富士学校長 | |
17 | 大河内眞一郎 | 1984.7.1 - 1986.3.17 | 山梨大学 | 少年工科学校長 | 退職 | |
18 | 山本英一 | 1986.3.17 - 1987.7.6 | 富士学校副校長 | 富士学校長 | ||
19 | 水野智之 | 1987.7.7 - 1990.3.16 | 防大1期 | 西部方面総監部幕僚長 | 退職 | |
20 | 冨澤暉 | 1990.3.16 - 1991.3.15 | 防大4期 | 陸上幕僚監部教育訓練部長 | 陸上幕僚副長 | |
21 | 澤田憲一 | 1991.3.16 - 1993.3.24 | 防大3期 | 幹部候補生学校長 | 退職 | |
22 | 田中賢一 | 1993.3.24 - 1994.7.1 | 防大4期 | 富士学校副校長 | 退職 | |
23 | 杉田明傑 | 1994.7.1 - 1997.3.26 | 防大7期 | 東北方面総監部幕僚長 | 退職 | |
24 | 石飛勇次 | 1997.3.26 - 1998.6.30 | 防大10期 | 陸上幕僚監部装備部長 | 富士学校長 | |
25 | 福田忠典 | 1998.7.1 - 2001.1.10 | 防大11期 | 幹部候補生学校長 | 富士学校長 | |
26 | 渡邊元旦 | 2001.1.11 - 2002.3.21 | 防大14期 | 北部方面総監部幕僚長 | 統合幕僚会議事務局長 | |
27 | 青木勉 | 2002.3.22 - 2003.12.4 | 防大14期 | 幹部候補生学校長 | 幹部学校長 | |
28 | 矢澤昌志 | 2003.12.5 - 2006.3.27 | 防大15期 | 中部方面総監部幕僚長 | 退職 →2006.6.1三菱重工業顧問 |
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29 | 三田克巳 | 2006.3.27 - 2007.3.27 | 防大18期 | 東北方面総監部幕僚長 | 幹部学校長 | |
30 | 武田正徳 | 2007.3.28 - | 法政大49期 | 高射学校長 |
なお、初代第1管区総監の吉田忠一は、1952年(昭和27年)及び1953年(昭和28年)に豊島分屯隊及び練馬部隊の炊事員等が糧米を窃取した事件の監督責任を痛感して退職したものである。[1]。