石本貴昭
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石本 貴昭 Yoshiaki Ishimoto |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県小野市 |
生年月日 | 1962年12月24日(45歳) |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1980年 1位 |
初出場 | 1981年4月15日 日本ハム戦(日生) |
最終出場 | 1991年8月25日 阪神戦(甲子園) |
経歴 | |
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石本 貴昭(いしもと よしあき、1962年12月24日 - )は、兵庫県小野市生まれの元プロ野球選手(投手)。左投げ左打ち。
目次 |
[編集] 来歴・人物
滝川高校のエースとして、1980年の春・夏連続で甲子園に出場。その年近鉄からドラフト1位指名を受ける。プロ1年目の1981年、西本監督は石本の才能にほれ込み、高卒1年目ながらもオープン戦などで積極的に投げさせた。しかしながらやはりプロの壁は高く、シーズンでは11試合に登板するもこれといった結果を出すことはできなかった。
その後しばらくは二軍生活が主だったが、5年目の1985年、石本の才能が突然開花する。この年石本は直球とスライダーが面白いように決まり、リリーフでフル回転。終わってみれば驚異の70試合登板で、19勝3敗7セーブ、防御率3.56勝率.864という成績を記録。惜しくも阪急佐藤義則に2勝差で敗れ最多勝は逃したものの、救援のみで19勝をあげ最優秀救援投手と最高勝率のタイトルを獲得し近鉄のAクラス(3位)復帰に大きく貢献した。翌1986年も64試合に登板、8勝32セーブで2年連続最優秀救援投手になり、チーム2位躍進の原動力となった。
翌1987年も50試合に登板したが、2年間の酷使による登板過多で球威が目に見えて落ちていた。結果として3勝7セーブにとどまるなど、首脳陣の期待に応えきれずチームは最下位に沈んだ。近鉄が9年ぶりのリーグ優勝を決めた1989年には、僅か14試合の登板にとどまり、日本シリーズに於いても1試合のみ登板となる。この頃、抑えには吉井理人が台頭しており、石本は先発にも活路を見出そうとしたがうまくゆかず、活躍の場は狭まっていた。
1991年6月中日ドラゴンズに金銭トレードにて移籍。結局、球威は戻らず、1992年のシーズン限りで現役を引退した。その後古巣の近鉄に戻り打撃投手、スコアラーなどをしていたが、近鉄球団の解散に伴い、オリックスへ移り、フロントで育成担当として勤めている。また、オリックスが開催する出張形式の野球教室「バルボン校長先生の野球教室」にコーチとして参加することがある。
[編集] 年度別成績
年度 | 球団 | 背番号 | 登 板 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ l ブ |
S P |
勝 率 |
打 者 数 |
投 球 回 |
安 打 |
本 塁 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1981年 | 近鉄 | 13 | 11 | 1 | 1 | 0 | 0 | .500 | 137 | 28.2 | 30 | 7 | 23 | 0 | 17 | 26 | 18 | 5.59 |
1983年 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 7 | 0.1 | 5 | 2 | 1 | 0 | 1 | 5 | 4 | 108.00 | ||
1984年 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 19 | 4.2 | 4 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | ||
1985年 | 70 | 19 | 3 | 7 | 26 | .864 | 560 | 131.1 | 115 | 14 | 64 | 2 | 80 | 55 | 52 | 3.56(5) | ||
1986年 | 64 | 8 | 3 | 32 | 40 | .727 | 496 | 117 | 106 | 17 | 58 | 5 | 89 | 49 | 44 | 3.38 | ||
1987年 | 50 | 3 | 6 | 7 | 10 | .333 | 341 | 80.2 | 59 | 14 | 53 | 3 | 73 | 31 | 29 | 3.24 | ||
1988年 | 32 | 3 | 3 | 2 | 4 | .500 | 242 | 54.2 | 59 | 6 | 25 | 1 | 25 | 25 | 23 | 3.79 | ||
1989年 | 14 | 1 | 3 | 0 | 0 | .250 | 147 | 30.2 | 38 | 7 | 21 | 0 | 12 | 25 | 23 | 6.75 | ||
1990年 | 20 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 168 | 38 | 41 | 5 | 21 | 0 | 14 | 26 | 25 | 5.92 | ||
1991年 | 中日 | 12 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 10 | 1.2 | 2 | 0 | 3 | 0 | 2 | 1 | 1 | 5.40 |
通算成績 | 267 | 35 | 19 | 48 | 80 | .648 | 2127 | 487.2 | 459 | 72 | 271 | 11 | 313 | 243 | 219 | 4.04 |
- 初出場 1981年4月15日近鉄戦(日生)2-7 7回より登板、2回1失点
- 初勝利 1981年7月1日南海戦(日生)11-8 先発し5回5失点
- 初セーブ 1985年5月1日ロッテ戦(川崎)7-4 9回2死より登板、1/3回無失点
[編集] タイトル・表彰
- 最高勝率 1985年(19勝3敗 .864)
- 最優秀救援投手 1985年(26セーブポイント)、1986年(40セーブポイント)
- 最多セーブ投手 1986年(32セーブ)
- 月間MVP 2回 1985年8月(5勝1敗 防御率1.95(2セーブ))、1986年7月(3勝0敗 防御率1.08(3セーブ))
- オールスターゲーム出場 1回(1986年)
[編集] エピソード
- 1985年オフの契約更改であまりの大幅アップに驚き「気持ちを落ち着かせたい」という理由で1回目の更改を保留している。その後2回目に初回と同額でサインしている。
- 1986年8月6日対西武ライオンズ戦、近鉄は1イニング6本塁打のプロ野球新記録を西武に達成されてしまったが、そのうちの4本は石本が打たれたものである。
[編集] 関連項目
近鉄バファローズ 1980年ドラフト指名選手 |
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1位:石本貴昭 / 2位:大石大二郎 / 3位:花房健 / 4位:依田栄二 |
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