真木将樹
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現在 | 現役選手 |
所属球団 | 読売ジャイアンツ |
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都 |
生年月日 | 1976年2月13日(32歳) |
身長 体重 |
180 cm 74 kg |
守備位置 | 投手 |
投球・打席 | 左投左打 |
プロ入り年度 | 1997年 |
ドラフト順位 | 1位 |
背番号 | 15(1998年-2001年) -31(2001年) -59(2002年) |
初出場 | 1998年5月31日 |
最終出場 | 2001年5月20日 |
経歴 | 東筑紫学園高) -法政大 -近鉄 -巨人 -カルガリー・アウトローズ |
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真木 将樹(まき まさき、1976年2月13日 - )は、元プロ野球選手(投手)。東京都出身。速球とスライダーを武器とする左腕だった。
[編集] 略歴
東筑紫学園高では3年春に春の甲子園に出場し、金子誠のいる常総学院などを破って8強に進出。法政大に進むと1年の秋には早くも東京六大学のベストナインに選出され、チームを優勝に導いた。大学の同級生には伊達昌司や平馬淳がいる。3年次には、1学年下の矢野英司が抑えを務める充実した投手陣のエースとして春のリーグ戦優勝に貢献。通算25勝を挙げ、同じく28勝を挙げた川上憲伸のライバルといえる存在だった。
1997年に大阪近鉄バファローズからドラフト1位で指名されて入団。1年目からローテーションに入り6勝、防御率3.89をあげる。2001年6月26日に田畑一也と共に三澤興一、玉峰伸典との交換トレードで巨人へ移籍。2002年に戦力外通告を受けて退団し、翌2003年にカナディアンリーグのカルガリー・アウトローズに入団した。
[編集] 概要
甲子園で活躍した投手で球も速かったが、上体が横に倒れるフォームだった。このフォームだとたいてい制球難、また球速は出ていても球に伸びがなく球質が軽い、という特徴がある。野茂英雄やイチローの成功以降は、変則フォームをいじらない、或いはいじれない傾向にあるが、担当コーチとしては難しい選択と思われる。
[編集] 一軍通算成績(日本)
- 58試合 11勝 14敗 0セーブ 防御率4.71
近鉄バファローズ 1997年ドラフト指名選手 |
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1位:真木将樹 / 2位:高須洋介 / 3位:森谷昭仁 / 4位:吉川元浩 / 5位:田中祐貴 / 6位:代田建紀 / 7位:高塚信幸 |