伊達昌司
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
現在 | 2006年引退 |
所属球団 | 読売ジャイアンツ |
国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県川崎市高津区 |
生年月日 | 1975年8月23日(32歳) |
身長 体重 |
179 cm 77 kg |
血液型 | O型 |
守備位置 | 投手 |
投球・打席 | 右投右打 |
プロ入り年度 | 2000年 |
ドラフト順位 | 2位 |
背番号 | 59(現役引退時) |
英語表記 | DATE |
初出場 | 2001年5月26日 |
最終出場 | 2005年10月6日 |
経歴 | 法大第二高校- 法政大学- プリンスホテル- 阪神タイガース- 北海道日本ハムファイターズ- 読売ジャイアンツ |
このテンプレートはTemplate:Infobox baseball playerに置き換えてください。 詳細はWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 野球選手#Infobox MLB playerを参照 |
伊達 昌司(だて まさし、1975年8月23日 - )は、神奈川県川崎市出身のプロ野球選手(投手)。父の伊達泰司はロッテオリオンズ・ヤクルトスワローズに在籍した元プロ野球選手(内野手)。
目次 |
[編集] 来歴・人物
法大第二高校から法政大学に進み、同期の真木将樹らとともに投手陣を支えた。大学卒業後はプリンスホテルに進み、廃部になった2000年に同僚の大沼幸二や長崎伸一とともにプロ入りを表明した。同年、ドラフト2位で阪神タイガースに入団。社会人出身で2位指名ながら逆指名制度を利用せずに指名された唯一の選手である。
2002年シーズンオフ、下柳剛、中村豊との交換トレードで山田勝彦とともに日本ハムファイターズに移籍した。なお、同時期に坪井智哉と野口寿浩のトレードも行なわれている。移籍1年目は抑えとして活躍したが、故障のためシーズン途中で戦線離脱した。2005年シーズン途中、読売ジャイアンツに金銭トレードで移籍した。2006年5月には原辰徳監督が伊達と縁のある野村克也が監督を務める東北楽天ゴールデンイーグルスに対し譲渡を打診するものの、楽天側はこれを拒否した上、野村の元には話が届いていなかった。結局トレードはまとまらず、同年オフに戦力外通告を受け現役引退した。
現在は母校の法政大学に戻り教員免許取得を目指している。また学業と並行して2008年度から巨人の非常勤職員として勤務することが決まった。
[編集] 通算投手成績
146登板 12勝7敗9セーブ 勝率.632 防御率3.33
[編集] 背番号
[編集] 関連項目
阪神タイガース 2000年ドラフト指名選手 |
---|
1位:藤田太陽 / 2位:伊達昌司 / 3位:狩野恵輔 / 4位:赤星憲広 / 5位:加藤隆行 6位:沖原佳典 / 7位:藤本敦士 / 8位:梶原康司 |