直川公俊
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直川 公俊 | ||
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名前 | ||
愛称 | kimi | |
カタカナ | ノウガワ キミトシ | |
ラテン文字 | Nougawa Kimitoshi | |
基本情報 | ||
国籍 | 日本 | |
生年月日 | 1984年2月6日(24歳) | |
出身地 | 和歌山県 | |
身長 | 180cm | |
体重 | 67kg | |
血液型 | A型 | |
選手情報 | ||
在籍チーム | キャノン・ヤウンデ | |
ポジション | MF
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直川 公俊(のうがわ きみとし、1984年2月6日 - )は和歌山県出身で、カメルーン の1部リーグ・キャノン・ヤウンデ所属のサッカー選手。ポジションはMF。
目次 |
[編集] 略歴
小学4年からサッカーを始め、U-12和歌山県選抜に選出。由良FCやセレッソ大阪ジュニアユースでプレーし、中学卒業後和歌山県内の高校へ進学した。高校1年の頃U-17日本代表に選出される。
2年の終わり頃に立正大学淞南高校に転校し、冬の全国高校サッカー選手権大会に出場した。
高校卒業後、静岡産業大学へ進学するが、サッカー部に籍をおかず、海外留学への道を模索。 大学在籍時、ラホール・アカデミー・フィレンツェのサッカー留学支援にて、2003年2月からの2ヶ月間、イタリアセリエAの名門クラブブレシアに短期留学。 その後はブラジルに渡り、各チームで練習生として修行を積んだ。
2004年1月にポーランド1部リーグのグールニク・ザブジェと念願の選手契約を結んだ。6試合2アシストというまずまずな成績を残すが、クラブとの契約のもつれから退団。フランス1部リーグのサンテティエンヌから声は掛かったものの、契約には至らず、2年間以上パリを拠点とし、移籍先を模索していた。 2005年9月にはルーマニア2部リーグのFCM トラゴビスタと契約を結ぶものの、クラブの方向性に納得できず退団。 2004年12月23日に行われた前年6月のコンフェデレーションズカップ試合中に心臓発作で急逝した元カメルーン代表MFフォエの追悼試合に招待され、プレーした事をきっかけに、同国1部リーグキャノン・ヤウンデに興味を持たれ、2006年に、翌年2007年1月からの9ヶ月間の契約でキャノン・ヤウンデに入団する事が決まった。
[編集] 所属クラブ
- 1993年- 由良FC
- 1996年 セレッソ大阪ジュニアユース
- 1997年 由良FC
- 1999年 立正大学淞南高校
- 2002年 セリエAブレシアに留学
- 2003年 ロンドリーナ(ブラジル2部)
- 2004年 グールニク・ザブジェ(ポーランド1部)
- 2005年 FCM トラゴビスタ(ルーマニア2部)
- 2007年1月- キャノン・ヤウンデ(カメルーン1部)
[編集] 個人成績
年度 | クラブ | リーグ | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 |
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2003年 | ロンドリーナ | ブラジル2部 | - | - | - |
2004年 | グルニック・ザブジェ | ポーランド1部 | - | 6試合2アシスト | - |
2005年 | FCM トラゴビスタ | ルーマニア2部 | - | - | - |
2007年 | キャノン・ヤウンデ | カメルーン1部 | - | - | - |
通算 | - | - | - | - |
[編集] 代表歴
- U-15西日本代表
- U-17日本代表