玉井健二
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玉井 健二(たまい けんじ、1971年9月6日 - )は、日本のミュージシャン、音楽プロデューサー。大阪府大阪市城東区出身。血液型はAB型。2008年現在は株式会社アゲハスプリングス所属。
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[編集] 来歴
高校時代、同級生たちと結成したバンド「reselve (レゼルブ)」のボーカルとして関西のライブハウスを中心に活動。当時の「第2次バンドブーム」の中、関西の若手インディーズバンドとして人気を博し、当時まだ無名だったシャ乱Qとの対バンを断ったという逸話を持つ。 高校在学中にポリスターと契約し、1990年に同バンドでメジャーデビュー。「美少年高校生5人組」という触れ込みで売り出すも、ブレイクには至らなかった。
数作のアルバム・シングルを発売したのちにバンドを脱退し、ソロ活動を開始。ここでも数作リリースするが波に乗ることはなく、90年代半ばからは作詞・作曲や他アーティストのディレクターといった裏方に移行していった。1999年にエピックレコードジャパンに入社し、同社レーベルのアーティストの企画・制作に携わるなど、音楽プロデューサーとして数々の作品に参加。その後2004年春に同社を退社し、独立した。
2008年現在はYUKI、伊藤由奈、Planeらのプロデュースを手がける。2005年にトータルプロデュースを手がけたYUKIの3枚目のアルバム『joy』は、オリコンチャート1位を獲得した。また水口哲也と共同でプロデュースを手がけた元気ロケッツのデビューシングル『Heavenly Star』が、アメリカMTV系列のチャンネル「SPIKE TV」にて、2006 VIDEO GAME AWARDSのBEST SONG賞にノミネートされた。
- MBSヤングタウン
シンガーとしてソロデビューの直後にあたる時期から関西ローカルのラジオ番組『MBSヤングタウン』(毎日放送)に出演し、メインパーソナリティー・明石家さんまのアシスタントを1992年10月から2007年3月までの14年半に渡って務めた。
きっかけは、当時毎日放送が、注目の地元出身ミュージシャンとしてシャ乱QやCURIO等を、自局のテレビ、ラジオの音楽番組・若者向け情報番組で紹介していた延長線での出演であった。また同局と関係の深いポリスター所属であったことも、『ヤンタン』レギュラー入りに大きく影響したと考えられる。
同番組内では、「ハイティーンの子が好み」と条例違反ギリギリの発言をしたり、スクランブル交差点で信号待ちをしながら彼女とディープキスをしているところを、偶然同じ交差点で信号待ちをしていた、運転中のさんまに見つかって暴露されたりと、様々な逸話を残した。番組における明石家さんまを相手にしての聞き役、フォロー役としての的確さは、番組を聴いているさんまファンにも高い評価を得た。番組の甲斐あってか、レギュラー初期には他のラジオ番組やイベントでMCの仕事を多く受け持ったことがあり、某ラジオ局では「さすが(明石家さんまの下でトークの勉強しているだけあって)違うね」という賛辞を貰うなど、各所スタッフから高評価を得たという。番組内の替え歌コーナー、作詞選手権コーナーといった音楽企画においては、歌唱力や作曲、編曲の面でその才能を番組リスナーに披露した。本コーナーで作成された楽曲は、松浦亜弥の作品を中心に、CD化の要望が依然として強くファンの間から出ている。
2007年3月いっぱいで番組を降板。『ヤンタン』パーソナリティー在籍14年6ヶ月は、現在もメインパーソナリティとして、番組を続けている明石家さんま・笑福亭鶴瓶に次ぐ記録的な長期レギュラーであり、桂三枝、笑福亭鶴光、谷村新司、原田伸郎といった、この番組の代名詞となっている過去のパーソナリティより、長い番組在籍期間となった。降板の理由は本人曰く、音楽プロデュース業へ専念のため。そして持病による体調不安から、番組にこれ以上迷惑をかけられないと判断し、自ら身を引いたとのこと。降板後の現在はプロデュース業等で多忙であり、村上ショージやヤンタンスタッフからのゴルフの誘いを断る程だという。
[編集] プロデュース
[編集] 関連人物
[編集] ディスコグラフィー
- シングル
- いけない葡萄 (1993年4月15日)
- 愛しているんだ (1993年07月25日)
- アルバム
- CHIBBY (1993年8月25日)
- ソロアルバム。木崎賢治プロデュース作品。当時の玉井健二のトータルプロデューサーだった原田真二は、このアルバムではプロデューサーとしては参加していない。