渡田均
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渡田均(わたりだ ひとし、1958年5月1日 - )は広島県出身のプロ野球審判員。審判員袖番号は31(1988年の袖番号初採用時から)。
来歴・人物
関西大倉高等学校、大阪体育大学時代はラグビー選手という異色の経歴であり、大学時代はフランカーとして活躍するも、腰痛のため選手を断念。その後1982年にセントラルリーグ審判員として採用された。1985年に一軍初出場を果たし、1997年より長らく審判部主任をつとめている。
2005年シーズン終了時までの通算出場数は1895試合、オールスター4回、日本シリーズ1回出場。
主任を10年間務めているが、いまだ日本シリーズには2度しか出場がなく、若手からの追い上げが厳しい立場である。
トラブル
橘高淳・杉永政信と同様に、判定をめぐってトラブルになることが多い審判である。
- 2001年8月10日 東京ドームの巨人-ヤクルト戦で仁志敏久が打ったレフトポール際への当たりを渡田三塁塁審が本塁打と判定したが、ヤクルトの若松監督の抗議によって審判団が協議した結果、ファールの判定となった。今度は巨人の長嶋監督が抗議することになり、合計で16分試合が中断した。ビデオ等でも渡田審判の誤審は明らかではあったものの、「抗議によってホームラン/ファールという重大な判定を覆した」と言われても仕方のない行為で、セ・リーグより審判部に対して、判定に疑問がある場合には抗議を受ける前に審判全員で協議を行うよう申し入れが行われた。
- 2001年8月16日 神宮球場のヤクルト-横浜戦で佐伯貴弘のレフトへの当たりを渡田二塁塁審がアウトと判定したが、横浜の森監督から「ワンバウンドで捕球した」という抗議を受け、10分間中断することになった。上記の巨人-ヤクルト戦から1週間足らずでの再度のトラブルに、渡田審判に対してセ・リーグから「最近の審判活動を見て、精神的に動揺しており不安がある」として10日間の休養処分(事実上の謹慎処分)が下された。
- 2006年6月1日 横浜スタジアムの横浜-福岡ソフトバンク戦で、多村仁の三塁線への打球を鈴木三塁塁審がファールのジェスチャーをしたが、渡田球審がフェアと判定した。塁審のジェスチャーを見て多村が走るのをやめていたため、ボールが転送されて併殺となり試合終了となった。横浜の牛島監督が「三塁塁審にも確認を」と抗議したが、協議・確認を行わずに試合終了を宣言、さらには場内へも「球審がフェアと認めたためダブルプレーが成立しました」としか説明せずに引き上げた。このため、場内は騒然とし、一部の観客は納得できずに夜12時近くまで球場に居座る事態となった。これを受けて横浜球団は、審判が互いに食い違う判定を行った場合には協議を行うとする野球規則9.04cの適用を行わなかったことが不適切であるとして、セ・リーグに対し提訴試合を申請したが、却下された。なお、本件に関しては、本塁と三塁ベースの間のフェア/ファールの判定権限は球審にあるため、判定そのものには問題ないと言える。ただし、観客から見るといったんファールと判定されたものが覆った形となっているにもかかわらず、客観的に見て納得できるような説明を行わなかったこと、さらには横浜球団の提訴理由にもあるような協議を行わなかったことでトラブルを拡大しており、プロスポーツの審判員として適切な行動であったかどうかには疑問符が付く。