海行かば
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
詞は万葉集巻十八「賀陸奥国出金詔書歌」(国歌大観番号4094番。新編国歌大観番号4119番。大伴家持作)から採られている。作曲された歌詞の部分は「陸奥国出金詔書」(続日本紀第13詔)の引用部分にほぼ相当する。
この詞には明治13年(1880年)に当時の宮内省伶人であった東儀秀芳も作曲しており、行進曲『軍艦』の中間部に今も聞くことができる。
目次 |
[編集] 信時潔の作品
しかしながら、夙に有名なのは、昭和12年(1937年)に作曲された信時潔の作品(信時の自筆譜では『海ゆかば』)である。
これは当時の日本政府によって国民精神強調週間が制定された際、そのテーマ曲としてNHKが信時に嘱託して完成されたもので、出征兵士を送る歌として愛好された(やがて若い学徒までが出征するに及び、信時は苦しむこととなる)。1937年11月22日に国民歌謡で初放送。本来は国民の戦闘意欲を昂揚せしむるべく制定された曲であるが、この曲を大いに印象づけたのは、「玉砕のテーマ」として、則ち大東亜戦争(太平洋戦争)末期にラジオ放送の戦果発表(大本営発表)の際に、その内容が玉砕である場合、番組導入部のテーマ音楽として用いられたことである。因みに勝ち戦を発表する場合は「敵は幾万」、陸軍分列行進曲「抜刀隊」、行進曲「軍艦」等が用いられた。
賛美歌で育ちドイツ古典音楽を学び深く愛した信時らしい、全体的に緩やかなテンポの荘重かつ荘厳な曲にして、能く鎮魂の大任を果たすことができたといえよう。この曲は敗戦までの間、盛んに愛唱され「第二国歌」「準国歌」とまで呼ばれたが、戦後は事実上の封印状態が続いた(関連作品参照)。
また、大東亜戦争(太平洋戦争)時、アメリカ軍はこの歌から日本軍の行動や心理状態を分析して作戦を立てたと言われている。
冨士大石寺顕正会の会歌「遺命重し」は、この「海行かば」を編曲した歌である。
[編集] 歌詞
- 海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
- 山行かば 草生(くさむ)す屍
- 大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
- かへりみはせじ
- (長閑(のど)には死なじ)
歌詞は2種類ある。「かえりみはせじ」は、前述のとおり「賀陸奥国出金詔書歌」による。一方、「長閑には死なじ」となっているのは、「陸奥国出金詔書」(続日本紀第13詔)による。大伴家持が詔勅の語句を改変したと考える人もいるが、大伴家の「言立て(家訓)」を、詔勅に取り入れた際に、語句を改変したと考える説が有力か。
[編集] 原歌
陸奥国に金を出す詔書を賀す歌一首、并せて短歌(大伴家持)
葦原の 瑞穂の国を 天下り 知らし召しける 皇祖の 神の命の 御代重ね 天の日嗣と 知らし来る 君の御代御代 敷きませる 四方の国には 山川を 広み厚みと 奉る みつき宝は 数へえず 尽くしもかねつ しかれども 我が大君の 諸人を 誘ひたまひ よきことを 始めたまひて 金かも たしけくあらむと 思ほして 下悩ますに 鶏が鳴く 東の国の 陸奥の 小田なる山に 黄金ありと 申したまへれ 御心を 明らめたまひ 天地の 神相うづなひ 皇祖の 御霊助けて 遠き代に かかりしことを 我が御代に 顕はしてあれば 食す国は 栄えむものと 神ながら 思ほしめして 武士の 八十伴の緒を まつろへの 向けのまにまに 老人も 女童も しが願ふ 心足らひに 撫でたまひ 治めたまへば ここをしも あやに貴み 嬉しけく いよよ思ひて 大伴の 遠つ神祖の その名をば 大久米主と 負ひ持ちて 仕へし官 海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへり見は せじと言立て 丈夫の 清きその名を 古よ 今の現に 流さへる 祖の子どもぞ 大伴と 佐伯の氏は 人の祖の 立つる言立て 人の子は 祖の名絶たず 大君に まつろふものと 言ひ継げる 言の官ぞ 梓弓 手に取り持ちて 剣大刀 腰に取り佩き 朝守り 夕の守りに 大君の 御門の守り 我れをおきて 人はあらじと いや立て 思ひし増さる 大君の 御言のさきの[一云 を] 聞けば貴み [一云 貴くしあれば]
[編集] 音声資料
- CD 藍川由美『「NHK 國民歌謡~われらのうた~國民合唱」を歌う』 COCQ83299
- オムニバスCD 『海ゆかばのすべて』 KICD-3228
- このCDには詳細なライナーノートがあり、ピアノ譜も含まれている。皮肉なことに、林光(下記参照)編曲の室内楽版も収録されている。
[編集] 関連作品
- 『海ゆかば』は帝国海軍を象徴するものとして、各種タイトルに使用された。
- ファーストディストリビューション『<世紀のドキュメント> 太平洋戦史 (上)海戦編・海ゆかば』 CRBI-5023
- 東映『日本海大海戦 海ゆかば』 DSTD-2336 (もちろん日露戦争当時は信時作品は存在しなかった)
- ダーク・ダックスの喜早哲は、(楽譜通りに演奏することを条件として)自著の中で信時の『海ゆかば』の音楽性を賞賛した。
- 信時潔は日本を代表する作曲家の一人であり、『海ゆかば』はその作品の中でもっとも人口に膾炙したものである。言うまでもなく音楽性も申し分ない。しかしながら現在出版されている信時の歌曲集にこの曲の姿はなく、上記CD『海ゆかばのすべて』発売以前はピアノと共に演奏する事は容易ではなかった。このような音楽出版社及びNHKの姿勢について、臭い物にはフタ式の不誠実な態度であると、藍川由美は自からの著作及びCDのライナーノート等で繰り返し批判している(2005年に再刊された春秋社の曲集には付録として『海ゆかば』が収載されている)。
- 合唱組曲『原爆小景』の作曲者であり緋国民楽派やこんにゃく座との関連で知られる林光は、軍国主義を批判する立場から『旗はうたう』(1987年)を作詞/作曲した。この中で林は信時の『海ゆかば』を痛烈にもじっている。
- 小津安二郎の映画『父ありき』(1942年)のラストシーンにも信時作品が用いられたが、当該部分は戦後GHQの検閲により音声が削除された。ソ連軍が満州から持ち去り保管していたフィルムにより、オリジナルの姿が知られる。
- 近代に作られた神楽である靖國の舞にも、この歌詞が使われている。