歴史認識
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歴史認識(れきしにんしき)とは、歴史に関する認識、歴史観のこと。狭義では、ある歴史観を持つものが、歴史上のある事象をその歴史観で理解・解釈することであり、広義には歴史そのものに対する認識を指す。広義の歴史認識は歴史観とほぼ同義であり、また現在では前者の意味で使われることが多いため、この項では特に歴史上の事象に対する理解・解釈としての歴史認識を解説する。
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概要
歴史上の事象を理解・解釈するに際は、個人や国家スタンスとしての歴史観が不可欠であり、全て歴史認識と呼ばれるものは各々の歴史観の元に認識されると言える。従って、どのような歴史観を持って事象を見るかによって解釈は大きく異なり、これら歴史認識の相違は時に軋轢を生む。
例えば北アメリカ史におけるクリストファー・コロンブスや「建国の父」(Founding Fathers)の評価はヨーロッパ系アメリカ人とアメリカ先住民とでは大きく異なる。また、豊臣秀吉は、日本では貧農から関白にまでなった立身出世の人として人気があるが、朝鮮では侵略を企てた悪人であるとされる。十字軍もヨーロッパでは英雄だが、イスラム世界では悪の集団とみなされることがある。
このように、歴史認識には大小に拘らず差があり、特に征服や戦争の過去がある国家・民族間では、政治問題にまで発展することがままある。また、個人の歴史認識もその歴史観に左右されるため一定ではなく、議論の対象になることも多い。
歴史認識問題
歴史認識問題とは、ある歴史上の事象についての認識が一致しないことから引き起こされる諸問題のことである。たとえば日本国内などで国民的争点となるだけにとどまらず、しばしば、国家間の争い(文化摩擦や国際問題)の様相を見せる。
一例として挙げられるのは、靖国神社参拝問題・南京大虐殺論争などに見られるような太平洋戦争における日本についての歴史認識や、韓国併合・強制連行論争・従軍慰安婦論争などに見られるような南北朝鮮への日本による植民地統治についての歴史認識である。これらに関する歴史認識の食い違いは、太平洋戦争において日本と中国が敵対国であったことや、南北朝鮮が一時期日本の植民地であったことなどが要因となっている。そのため、国家間でしばしば食い違った歴史認識を見せるだけでなく、日本国内やそれぞれの国内でも歴史認識の食い違いがしばしば政治的争点となっている。たとえば、日本は、戦勝国によって開かれた戦犯法廷で多数の指導者が処刑あるいは刑に服し、戦後賠償も当事国間での条約、協約等で国際法上の責務を既に履行したとの立場を取っており、侵略した地域や植民地化した国に対しても談話等の形で謝罪の文言を述べており、日本国民の間でもこれらを正式な謝罪とする見方が少なくない。これに対して、韓国・中国では(村山談話等で表明されている歴史認識では一致することもありながらも)、国民感情として未だ日本から十分な謝罪を受けていないと考える人が多い。そのため、国家間に限定しても、日本と中韓との間には歴史認識の差が露呈することが多い。
また別の例としては、ドイツにおけるホロコーストの扱いがある。ドイツではホロコーストの否定が法律で禁止されており、国家としての歴史観、歴史認識を明確に定めている。加えて、同国ではナチスドイツのホロコーストの学習を教育課程において義務付けており、徹底的に国家としてナチスドイツ=悪であり罪であると言うスタンスを貫いている。しかし反面では、ドイツはホロコースト以外の戦争行為(侵略や虐殺とされる行為)については、ドイツだけの非を認めておらず、ドイツにも言い分があるという立場にある。ホロコースト問題に対しては、本来個人が個人として持つべき歴史認識を国家の名において制限すべきではないと言う意見や、真摯な歴史に対する研究や考察までも封じられるおそれがあるとの反発、あるいは自国を不当に貶める法律だとする声がある。一方で、過去の過ちに対する国家の姿勢として評価できるとの見方もあり、その意見はドイツ国外はもとより国内においても完全に統一されているわけではない。
以上のように、歴史認識は個人の歴史観や国家の利益に左右されるためその解釈は千差万別である。一つの歴史的事象に対して万人共通の明確な解釈を求めるのは極めて困難であり、議論すべき点が山積していると言える。