武蔵野陸上競技場
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武蔵野陸上競技場 | |
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武蔵野競技場 | |
所在地 | 東京都武蔵野市吉祥寺北町5-11-20 |
開場年 | 1989年 |
収容人数 | 5000人 |
フィールド | 長さ 105 m × 幅 64 m |
使用チーム | 横河武蔵野フットボールクラブ(JFL) |
アクセス | JR中央線三鷹駅北口より関東バス(北裏行、武蔵関行、田無橋場行)「武蔵野市役所前」下車(徒歩2分) JR中央線・京王井の頭線吉祥寺駅北口より |
武蔵野陸上競技場(むさしのりくじょうきょうぎじょう)は、東京都武蔵野市にある陸上競技場。武蔵野市と財団法人武蔵野スポーツ振興事業団が運営。
目次 |
[編集] 施設概要
戦時中、一帯が旧中島飛行機製作所だった時代から存在している。平成元年11月に武蔵野総合体育館の落成に伴い、体育館と併設した現在の姿に改装された。JFLの老舗チームの一つである横河武蔵野フットボールクラブが実業団チームの時代から長年本拠地として使用している。収容人員は約5000人。メインスタンドは屋根つきの座席で武蔵野市総合体育館のフロアと一体化している。それ以外は芝生席である。
日本陸上競技連盟第3種公認。400m×8レーンのトラックを有する。
主にグラウンドはサッカーや陸上競技の練習、大会などに使用される。なおグラウンドは雨に弱いため、水分を含むと滑りやすく危険である。また、芝生保護の関係上、夏季(7・8月)と春季(3・4月)はフィールド部分は開放しない。
なお、周辺に住宅・民家が多いことから、スタンドでの楽器等の鳴り物を使用した応援は禁止されている。
- 一般開放について
フィールドを貸し出し使用している時間に限り、トラックの外周(520m)をジョギングコースとして開放している。
また、毎年3月から4月上旬には桜の開花に合わせ、芝生席を市民に一般開放している。
[編集] 開場時間・休場日
- 開場時間
- 9:00~17:00
- (※5~8月は19:00まで、9月は18:00まで)
- 休場日
[編集] スタンド部分のフロア構成
- 2階の屋根付きスタンド部分は総合体育館と一体化しており、競技場スタンドと体育館2階の間を行き来することができる。また、この部分は体育館4階下(3~2階)の吹き抜けとなっており、3階、中3階の窓から陸上競技場全景を眺望することができる。
- スタンド下の1階は、競技場の管理棟と倉庫がある。また、体育館との間に通路があり、体育館玄関ホールへの移動が可能。
[編集] 周辺の体育施設
- 武蔵野総合体育館(隣接。陸上競技場と一体化した施設)
- 武蔵野温水プール(体育館に隣接)
- 武蔵野プール(屋外、7月~9月中旬のみ)
- 武蔵野軟式野球場
- 武蔵野庭球場(テニスコート)
- ストリートスポーツ広場(無料開放)
- 武蔵野中央公園スポーツ広場
[編集] 武蔵野市民大運動会
1990年(平成2年)より、毎年体育の日に武蔵野市民参加の「武蔵野市民大運動会」を開催。市内各小学校の地区から市民1000人以上が参加し、秋晴れの中で競技や応援合戦を展開している。
大会会長は武蔵野市長が務める。なお、2005年の第16回は雨天中止となったが、運動会予定日の前日の10月9日が武蔵野市長選挙の投票日で、当選した邑上守正現市長は正式に就任していなかったため、この年も前市長・現衆議院議員の土屋正忠が大会会長を務める予定だった。
大会役員には、武蔵野市在住のシンガーソングライター、みなみらんぼうも名を連ねている。武蔵野市内の12の小学校学区域に分かれて、地区対抗の形式で開催されているが、出場希望者が少なく、運営に頭を悩ませている地区もあり、今後の開催方法・開催の可否について議論されている。
また、競技場駐車場に模擬店が出るほか、総合体育館内に子供向けの遊びコーナーも用意される。なお、当日はむさしのFMの放送で開催の可否を告知する。
ただし、雨天の場合は中止されることになっている。1993年(平成5年)の第4回あたりまでは、順延日が体育の日翌週の日曜日、体育の日が日曜日の場合は翌日の振替休日に設定されていたが、1994年(平成6年)の第5回以降、順延はなくなった。
1990年の第1回以降、第2・11・16回が雨天中止となり、第12・14・18回の計3回は降雨により途中で打ち切られている。特にハッピーマンデー制度導入で体育の日が10月第2月曜日になった2000年以降は、天候不順により中止になることが多くなっている。
また、運動会開催と同日に、周辺の体育施設を市民向けに一般開放している。これは運動会開催の有無に関係なく行われる。
主な競技には男子・女子によるリレーや紅白玉入れ、障害物競走、綱引きなどがある。また、午前の部と午後の部をつなぐ休憩時間はアトラクションが行われる。
[編集] 事故
1996年10月10日に行われた第7回大会の午後の部、綱引きの競技中、競技に出場した男性が心臓発作を起こして突然倒れ、救急車で病院に搬送されるハプニングが起こった。男性は搬送先の病院で急性心不全のため死亡。当時その男性は64歳で、綱引きの参加者の年齢制限である61歳をオーバーしていた[1]。
この事故を受け、翌年から数年間、綱引きが競技から外された。
[編集] 武蔵野競技場線
- 第二次世界大戦後の1951年(昭和26年)4月14日、当時の国鉄中央本線の支線として武蔵野競技場線(三鷹~武蔵野競技場前 3.2km)が開通。旧中島飛行機武蔵製作所の引込線跡を鉄道のレールとして利用し、同年開業した武蔵野グリーンパーク野球場の試合開催日などの乗客輸送を目的として開通した。その後、球場の閉鎖などによって、1959年(昭和34年)11月1日に廃線となった。鉄道レールのあった道は現在、グリーンパーク遊歩道となった。また、武蔵野競技場前駅跡の敷地は現在もJR東日本が所有しており、JR緑町アパートや、グリーンパーク商店街などがある[2]。
[編集] 脚注
- ^ 参考文献:1996年10月11日付、朝日新聞「むさしの版」
- ^ 廃線レポート「東京発武蔵野競技場前行」
[編集] 関連項目
- 横河武蔵野フットボールクラブ
- 日本一のホラ吹き男 - 1964年に公開された植木等主演の映画。この映画で、武蔵野競技場でロケが行われた。
- 土屋正忠
- 日本のサッカー競技場一覧