横山たかし・ひろし
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横山たかし・ひろし(よこやま-)は松竹芸能所属の漫才コンビ。横山やすしの弟子で、1968年にコンビ結成。ホラ吹き漫才の第一人者。
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[編集] プロフィール
横山たかし(よこやま- 、1948年10月6日 - )ボケ担当、愛媛県伊予郡松前町出身。本名 山高 考(やまたか たかし)。血液型B型。
横山ひろし(よこやま- 、1947年1月19日 - )ツッコミ担当、愛媛県越智郡波方町(当時・現今治市)出身。本名 小林 秀光(こばやし ひでみつ)。血液型O型。
- 妻は松竹芸能の後輩にあたる漫才師の春けいこ。
[編集] 来歴・エピソード
- 結成当初は師匠と同じ吉本興業所属だったが、やすしが弟子に揮う非人道的な暴力を周囲が見兼ね、やすしから弟子を遠ざけるべきだと取り計らい、正司玲児が弟分に引き取る形で、松竹芸能に円満移籍させた。殴られるのは常にたかしで、「弟子に付いた間に千発位はドツかれた」「命の危険を感じた事もあった」と語っている。
- そのたかしは、激昂したやすしに阪神高速道路で車から降ろされて置き去りにされたり、てっちり屋の二階の窓から屋外に蹴落とされたりもしている。
- 若手時代から要領が良く小銭を持っていたひろしは、無事な場合が多かったが、一本立ちしてからも電話魔のやすしには悩まされ、「どこにおるんじゃ!ボケ」の一言で呼び出されたり、電話口で「はいそうですね」と応じていると「ほんでな、コラお前ちゃんと聞いてるんか?!」と突如逆上されたりした。
- 1994年初夏頃、ひろし宅に師匠から電話で「もしもし横山やすしだが、ひろし頑張りや。うん、よう見てるで。一着取りや。以上!」と16秒の留守電メッセージが入っていた。やすしの死後の追悼特番でひろしは「『一着取りや』のとこがね。もう師匠は自分は一着を取れんと悟っていたんでしょうね。それを僕らに託したんでしょう。師匠ってのは、僕らに取って親みたいですから」と語っている。現在もそのテープを大切に保管しており、師弟愛の程が伺われる(古川嘉一郎「横山やすし 夢のなごり」)。
- 一方たかしは、やすしの出棺に立ち合い「師匠は、漫才の星から地球へ漫才しに来た、漫才星人です」と言って号泣した。
- コンビ結成直後から、オカマに扮したたかしが、相方のひろしに迫る「おかまどつき漫才」でいきなり売れ、1970年のNHK上方漫才コンテスト新人賞受賞するなど、下積みの苦労は余りしていない。しかし当時の放送倫理基準では問題視され、テレビ・ラジオからの出演要請が少なかったため、寄席主体だった(朝日放送「ナンバ壱番館」、NHK上方演芸会)。
- その後たかしは田中角榮の大言壮語振りから、ホラ吹き漫才のスタイルを編み出した(NHK上方演芸会)。
- マンネリ化もあって、漫才ブームにも無縁のまま低迷していたが、1990年代に入ってやしきたかじんが「たかし・ひろしの漫才は面白い」と番組のゲストに呼んだことを契機に、再浮上した。たかしは「たかじんのお陰で飯を食えるようになった」と、べんちゃら含みの発言をしている。
- 1994年 OBC上方漫才大賞受賞。
- ひろしは、けいこの素人時代からの永年の交際の末、1982年に結婚。二女がある。
- ひろし・けいこの結婚に続いて、たかしと、けいこの相方・春やすこが結納まで交わすも、やすこが「たかしに人前で殴られた」と会見で述べ、一方的に婚約解消した。その後やすこは後年一般人と結婚したが、破局の理由がたかしの暴力ではなく、たかしがいわゆる"太っ腹の遊び人"であることを理由に、両親に反対されたことを告白している。
- たかしは一男を設けて1982年に離婚した前夫人に、23年後の2005年、阪神タイガースのリーグ優勝を期に復縁を申し出て再婚。その模様は公開挙式としてテレビ中継された。夫人は広島東洋カープファンで阪神には関心が無いという。
- この間、たかしは昏睡強盗の被害に遭っている。
[編集] 芸風
永らくホラ吹き漫才に専念している。手法自体は、古典落語の彌次郎話に準ずるもの。
- 金色のスパンコールを散りばめた特製ジャケットを着たたかしが「すまんの~。大金持ちのおぼっちゃまじゃ。みんな笑えよ~」と登場。
- 先ずたかしが「おぼっちゃまが乗るのははいつでもファーストクラス。地下鉄もファーストクラスじゃ」「おぼっちゃま、こないだ南極にホッキョクグマ見に行ったんじゃ」「ぶっちゃけた話、わしは外車に乗っとるんじゃ」「庭の池は琵琶湖なんじゃ」「家には秀吉が使うた皿があるんじゃ」などとホラを吹きまくる。
- たかしのホラが始まると、ひろしは「そーら来たで来たで~」等と盛り上げる。この時点まで、たかしはひろしの事を「ヨコヤマ」(立場が逆転すると、さん付けになる)と呼び、下僕扱いする。
- ひとしきりたかしの「ネタ撒き」が終わると、たかしは徐々に「ネタ崩し」に入ると同時に、ボケ・ツッコミが入れ替わる。このボケ・ツッコミの途中交替は、師匠の芸から最も良く伝承した部分。
- 怒り口調に転じたひろしが、それ迄のたかしのホラ話の矛盾点を指摘し出すと、「命賭けるな僅かな金儲けに~」「それを言うなヨコヤマ…さん」等と、先ずは軽くいなす。
- ひろしはここで、赤いスーツの裏地に縫い付けた「殺すぞ!」「拍手!!」といった台詞をタイミング良く客席に見せる、新手の突っ込みを用いるようになった。
- 客の反応を見ながら「お前の車、ボンネットのとこに「外車」ってマジックで書いてあるだけやないか!」等と、たかしから畳み込まれると、ひろしが「犬の名前が秀吉なんじゃ~」や「医者やなしに、石屋やったんじゃ~」と駄洒落で逃げる。
- 更にひろしから突っ込まれると、たかしが赤いハンカチを咥えながら「あァ~!」と悶えたり、「辛いの~」と泣きが入る。この変貌も見物。
- 因みに、放送されない舞台では下品な下ネタも用い、「最近ごぶさたなんじゃ、頼むわ~」等と、年配女性相手に客いじりしたりする。
- たかしの自称37億8千万円する純金製ジャケットは、実際には市価2万円程度で、しかも通気性の無い冬服しかないため、夏場は汗だくになる(NHK上方演芸会)。