伊予郡
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伊予郡(いよぐん)は、愛媛県の郡。人口52,905人、面積121.89km²、人口密度434人/km²。(2008年5月1日、推計人口)伊予市市制施行以前は郡中町に郡役場を置いた。
以下の2町を含む。
[編集] 歴史
- 1887年(明治20年)代頃、垣生村(はぶむら)が郡域変更し、温泉郡垣生村となる。(現松山市)
- 1887年(明治20年)代頃、余土村(よどむら)が郡域変更し、温泉郡余土村となる。(現松山市)
- 1889年(明治22年)、喜多郡中山村が郡域変更し、下浮穴郡中山村(なかやまむら)となる。
- 1889年(明治22年)、下浮穴郡栗田村(くりたむら)を下浮穴郡広田村(ひろたむら)に編入。
- 1896年(明治29年)、下浮穴郡所属の原町村・砥部村・広田村・中山村・出渕村・佐礼谷村・上灘村・下灘村を伊予郡に編入。(1町15村)
- 1907年(明治40年)1月1日、出渕村(いずぶちむら)を中山村に編入。(1町12村)
- 1908年(明治41年)9月30日、下灘村(しもなだむら)の一部(石畳)を喜多郡満穂村に編入(現内子町)。
- 1921年(大正10年)9月3日、上灘村(かみなだむら)が町制施行し、上灘町(かみなだちょう)となる。(2町13村)
- 1922年(大正11年)10月31日、松前村(まさきむら)が町制施行し、松前町(まさきちょう)となる。(3町12村)
- 1925年(大正14年)4月1日、上灘村の一部を南山崎村(みなみやまさきむら)に編入。
- 1925年(大正14年)4月1日、中山村が町制施行し、中山町(なかやまちょう)となる。(4町11村)
- 1928年(昭和3年)11月10日、砥部村(とべむら)が町制施行し、砥部町(とべちょう)となる。(5町10村)
- 1929年(昭和4年)3月15日、広田村の一部(旧栗田村区域)を中山町に編入。
- 1940年(昭和15年)1月1日、郡中村(ぐんちゅうむら)を郡中町(ぐんちゅうちょう)に編入(注:町制施行ではない)。(5町9村)
- 1955年(昭和30年)1月1日、南山崎村、北山崎村(きたやまさきむら)、郡中町、南伊予村(みなみいよむら)が合併し、伊予市(いよし)が発足。郡より離脱。(4町6村)
- 1955年(昭和30年)2月1日、中山町、佐礼谷村(されだにむら)が合併し、中山町となる。(4町5村)
- 1955年(昭和30年)3月31日、原町村(はらまちむら)、砥部町が合併し、砥部町となる。(4町4村)
- 1955年(昭和30年)3月31日、北伊予村(きたいよむら)、岡田村(おかだむら)、松前町が合併し、松前町(まさきちょう)となる。(4町2村)
- 1955年(昭和30年)3月31日、上灘町、下灘村が合併し、双海町(ふたみちょう)となる。(4町1村)
- 1958年(昭和33年)11月1日、伊予市の一部を砥部町に編入。
- 2005年(平成17年)1月1日、砥部町、広田村が合併し、新しい砥部町(とべちょう)となる。(4町)
- 2005年(平成17年)4月1日、中山町、双海町が伊予市と合併し、伊予市が発足。郡より離脱。(2町)