柏崎市佐藤池野球場
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柏崎市佐藤池野球場 Kashiwazaki Satogaike Baseball Stadium |
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施設データ | |
所在地 | 新潟県柏崎市大字佐藤池新田1150(佐藤池運動広場内) |
開場 | 1987年5月23日(1986年11月30日竣工) |
所有者 | 柏崎市 |
管理・運用者 | 柏崎市観光レクリエーション振興公社(指定管理者) |
グラウンド | 内野:クレー舗装 外野:天然芝 |
照明 | なし |
設計者 | |
使用チーム • 開催試合 | |
新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(2007年~) | |
収容能力 | |
15,000人 | |
グラウンドデータ | |
球場規模 | グラウンド面積:13,476m² 両翼:98 m 中堅:122 m |
フェンス |
柏崎市佐藤池野球場(かしわざきし・さとうがいけやきゅうじょう)は、新潟県柏崎市の佐藤池運動広場内にある野球場。施設は柏崎市が所有し、柏崎市観光レクリエーション振興公社が指定管理者として運営管理を行っている。
目次 |
[編集] 歴史
かつて柏崎市街地には2箇所の野球場があった。新潟県立柏崎高等学校のグラウンドには1931年に内野スタンドが設けられ、野球場としても使用できるようになっており(スタンドは現在も存続。地元では「柏高球場」と呼ばれていた)、1950年7月18日にはプロ野球セ・リーグ公式戦・読売ジャイアンツ(巨人)対大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)11回戦が開催された。また柏崎高校の敷地西側には1964年の国民体育大会に合わせて柏崎市民野球場が建設された(佐藤池野球場完成後に閉鎖・撤去、現新潟県立柏崎アクアパーク立地)。両球場はいずれも高校野球などアマチュア野球公式戦が主に行われていたが、海岸部に近く老朽化が進んでいたことなどから、市は柏崎刈羽原子力発電所の建設に伴って国から交付された電源立地地域対策交付金の一部を活用して新たな野球場を市郊外に建設する事を決定、市街地南東側の佐藤池新田地内を建設候補地とした。同所はその地名が示す通り、かつてあった「佐藤ヶ池」という池を埋め立てて造成された土地で、地盤の不安定さが問題だったものの、市は「土地の取得額が他所に比べて安価であり、地盤沈下もメンテナンスで克服できる」として同地を建設地に決定し、工事が進められた。
こうして野球場は1986年11月に完成、翌1987年5月23日、初のプロ野球公式戦となるパ・リーグ公式戦・南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)対ロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)7回戦が球場開きとなった。しかしこの試合は、前日まで降り続いた雨の影響でグラウンドコンディションが良くない中で強行された。開始時間が30分遅れたのに加え、試合中には雨脚が強まって1時間に亘って中断するなどした。更には照明設備が設置されていないということもあって、午後5時44分、8回表一死無走者を以って4-4で同点のままサスペンデッドゲームとなった。
初めて開催されたアマチュア野球公式戦は同年7月、夏の全国高等学校野球選手権新潟大会。佐藤池球場は同大会のメイン開催球場となり、開閉会式と準決勝以降の試合が行われた。その後もプロ野球の他、高校野球などアマチュア野球の公式戦が行われたが、元々沼地という立地条件が災いし、深刻な地盤沈下にさいなまされ続けている。
更には2004年10月23日に発生した新潟県中越地震では液状化現象により球場内外で陥没、噴砂などが発生。フィールドが全体に沈降して右側に大きく傾斜するなど甚大な被害を受けた。市はこの中越地震による被害とは別に、元々地盤沈下が激しいため良好なプレー環境が提供できなくなった事から、2005年・2006年の2年間に亘って球場を閉鎖して地盤調査を行った上で、震災復旧を兼ねて地盤改良・外野拡張など改修工事を実施(一部では「中越地震で被災したため改修を行った」などと報じられているが、改修工事そのものは地震発生以前から予定されていたものである)。2006年秋までに改修工事をほぼ完了。フィールドも両翼98m、中堅122mに拡張され、アマチュア公認規格を充足したものの、照明設備の追加設置は行われなかった。
翌2007年6月、改修完了を記念して日本プロ野球OBクラブ・名球会のメンバーによるイベント「ドリームベースボール」を開催し、本格的に供用を再開した。また改修完了に合わせ、新潟県高等学校野球連盟は佐藤池を同年7月に行う第89回全国高等学校野球選手権新潟大会のメイン開催球場(開閉会式と準決勝以降の試合を実施)として使用することを前年までに決めた。佐藤池で高校硬式の公式戦が行われるのは3年ぶり。市は同大会をより良いコンディションで迎えるため、前述の「ドリームベースボール」の後は芝の養生を行う目的で、約1箇月間に亘って一般利用向けの貸し出しを控える措置を執った。
同大会は7月13日に開幕、佐藤池では開会式と一部試合を行った。しかし7月16日、1回戦・柏崎総合対加茂の試合中(5回裏無死一塁)に新潟県中越沖地震が発生。この影響でフィールドが再び沈降・隆起したり、ひび割れたり、スタンドの一部も損壊するなどの被害を受けた(結局同試合はノーゲーム。また同日は県下2試合を除き全てノーゲーム及び延期)。県高野連は佐藤池が地震により被害を受けている事に加え、周辺交通網の多くが震災の影響で寸断されている事や、被災地域の復旧作業を優先させる必要性などを考慮し、同日中に17日以降の試合では佐藤池を使用しないことを決定した。また大会そのものも7月22日まで試合を行わないものとし(見合わせ期間は段階的に延長。16日の会議で「18日まで」、17日の会議で「21日まで」とし、20日の会議で「23日から再開」と最終決定)、開催球場に見附市の見附運動公園野球場を追加、さらに準決勝以降の試合と閉会式は長岡市悠久山野球場で行うことを決め、7月23日に日程を再開。予定通り8月1日に決勝を行い(新潟明訓が優勝し県代表に決定)、全日程を終了した。フィールドの被害は中越地震前後のそれと比較すると軽微なものであったことから、市は地元野球関係者や上越地区の高校野球部員などの協力を得て仮補修を行った上で、8月から野球場の仮供用を再開した(但し用途は練習などに限定)。また野球場の右翼場外に隣接する第二野球場(サブグラウンド)には仮設住宅(100戸)が建設され、2010年春までの3年間、被災者の生活支援に充てられているため、使用できない(仮設住宅の入居期限は同年3月までを予定。第二野球場は4月以降に供用再開予定)。
[編集] 主なエピソード
- 前述の1987年の南海対ロッテは本来であれば中止すべきコンディションであったのに、この試合の地元主催者であった新潟日報社の関係者が開催するよう執拗に嘆願したため、それに審判団らが折れる格好で強行したもの。同社は翌24日の新潟市営鳥屋野野球場でも、雨天によりグラウンドコンディションが悪い状況下で強行を試みたものの結局中止となり、決定直後には観客が関係者に詰め寄るトラブルが発生。この2日続きのトラブルが元で、日刊スポーツなどのスポーツ紙や全国紙上で「営業優先主義」などと痛烈な批判を浴びる結果となった。サスペンデッドとなった柏崎の試合の再開分は、次回同カードが行われる7月7日の平和台野球場での試合前に行われる予定だったものの、当日は雨天に祟られ中止。翌8日にやっと試合が行われ、5x-4で南海がサヨナラ勝ちした。
- 1989年5月27日に行われた公式戦・ヤクルトスワローズ対横浜大洋ホエールズ戦で、大洋のルーキー・谷繁元信が尾花高夫から公式戦初本塁打を放った。谷繁は「この球場のことも、尾花さんのことも、一生忘れないと思います」と喜びを噛みしめていた。
[編集] 施設概要
- グラウンド面積:13,476m²
- 両翼:98m、中堅:122m
- 内野:クレー舗装、外野:天然芝
- 収容人員:15,000人
- 内野:6,400人(全席ベンチ席)、外野:8,600人(芝生)
- スコアボード:パネル式
- 照明設備:なし
- 2007年に改修される前のフィールドは、グラウンド面積12,838m²、両翼92m、中堅120mであった。
- 柏崎市佐藤池第二野球場
新潟県中越沖地震被災者向けの仮設住宅用地となっているため、2007年8月から供用停止中。
- 1998年4月1日竣工
- グラウンド面積:-m²
- 両翼:92m、中堅:120m
- 内外野:全面クレー舗装
- 照明設備:なし
- 観覧設備:なし
[編集] 運動広場内の主な施設
- 柏崎市佐藤池サッカー場
- ゲートボールコート
- 柏崎市総合体育館
[編集] 交通
- 茨目駅南口から徒歩約10分
- 柏崎駅南口から越後柏崎観光バス「刈羽郡病院・軽井川経由 新潟産業大学」行で「運動広場前」下車すぐ
- 北陸自動車道・柏崎インターチェンジから車で約5分