松富久亭松竹
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松富久亭(笑福亭) 松竹(しょうふくてい しょちく)は、上方落語の名跡。笑福亭一門の祖である。4代目の死後は、空き名跡となっている。
現在の所、初代松竹の生没年・詳細等は一切残されておらず、実在についても不明。しかし、安政年間(1854年~1860年)には、門下に初代笑福亭吾竹、初代笑福亭松鶴が登場する。共に亭号を「松富久亭」から「笑福亭」に改めた。2代目以降は笑福亭松竹となるが、便宜上、この項で一括して扱う。
なお、6代目笑福亭松鶴の門下にいた松竹は「まったけ」と読む。1976年の秋頃に入門したが、間もなく廃業。
大阪では「学校」を「がっこ」と読むなど母音を省略するのが一般的で、この松竹も「しょうちく」ではなく「しょちく」と読むのが正式な読み方である。
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[編集] 初代
初代 松富久亭松竹(生没年不詳)は、笑福亭の祖。
『千両蜜柑』『松竹梅』『初天神』『猫の忠信』『立ち切れ線香』などの作者と伝える。その他の詳細については不明。
[編集] 2代目
2代目 笑福亭松竹(1842年10月15日 - 1923年7月2日)は、後の初代桂文之助、2世曽呂利新左衛門。本名: 猪里重次郎。享年81。
[編集] 3代目
3代目 笑福亭松竹(1868年 - 1942年8月20日)は、後の4代目笑福亭松鶴。本名: 森村米吉。享年74。
[編集] 4代目
4代目 笑福亭松竹(1892年 - 没年不詳・昭和中期)は、本名: 瀬尾伝治郎(昌平の諸説あり)。享年不詳。
4代目笑福亭松鶴の門下で、初代鶴光を名乗る。後に所属の吉本興業を離れ、地道に活動を続ける。1930年に4代目松竹を襲名。その後はラジオに時々出演するのみで、活動実態はほとんどなかった模様である。
5代目笑福亭松鶴主催の「楽語荘」が始まると、真っ先に参加した。戦時中は木炭商を営む一方、慰問団の結成や、陸軍病院の巡回などの活動により、表彰されている。
戦後も、昭和25年頃までは特別な会に時々出ては、珍しいネタ『十日戒』『大和橋』などをやっていたという。特に『宿屋仇』を得意としていた。
[編集] 出典
- 『落語系圖』(月亭春松編)
- 『古今東西落語家事典』(平凡社、1989年)
- 日本の話芸 上方落語・江戸落語
- 古今東西噺家紳士録(CD-ROM))