宿屋仇
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宿屋仇(やどやがたき)は上方落語の演目。「日本橋宿屋仇」とも言う。東京では「宿屋の仇討」「甲子待」との演目名で演じられる。3代目桂三木助が上方に移植した。
[編集] 概略
大阪では5代目笑福亭松鶴、3代目桂米朝が、東京では3代目桂三木助、5代目柳家小さんが得意とした。また、五代目古今亭志ん生は「甲子待」で演じていた。「甲子待」は60日に一度めぐってくる庚申(甲子)の宵に夜明かしをする中国の道教信仰を源流とした風習が背景にある。夜を徹して話をするうちに敵打ちの噺になる(ここでは山賊による殺人)江戸独自の演出である。現在は上方の演出が主流で、甲子待の演出はほとんど演じられていない。
噺の中で出てくる不倫殺人事件は、近松門左衛門の「堀川波の鼓」からとったものである。
狂言回しの手代伊八の描写をどのように演じるかが演者の腕の見せ所である。侍に呼ばれるとき、最初は元気よく、何回も呼ばれるたびに嫌気がさし、最後にはくたびれた果てて「もう、いややで・・」と言うところで笑いを取るとサゲがぐんと活きてくる。
[編集] あらすじ
大阪の日本橋の宿屋に万事世話九郎という侍が「昨晩の宿は、駆け落ち者がいちゃちゃするわ。巡礼が念仏を唱えるわで、夜通し拙者を寝かしてくれなかった。今宵は静かなところで休みたい。」と言って泊まった。後から来た伊勢参り帰りの喜六・清八・源兵衛の三人連れ、明日は故郷の兵庫に帰るので一晩芸者を呼んで騒ぎたいと泊まったが、これが事もあろうに侍の隣部屋。
果せるかな、どんちゃん騒ぎに侍は「これでは寝ることが出来ぬ。」と苦情を手代の伊八に申し入れる。伊八の「どうぞ、お静かに。」の一言に、三人は「何抜かしやがんねん。そんなにやかましいンなら他の部屋にとまったらええねん。」と息まくが、「それがどこも部屋がふさがってしまいまして、・・・それに相手はお侍でっせ。」の一言で、「・・・ええっ!侍かい。そら相手悪いな。」とやむなく騒ぎをやめ、「けった糞悪い。寝てこましたれ。おい!床取ってくれ。」と不貞寝を決め込む。
だが、なかなか三人は寝られない。寝物語に始めた相撲の内容がいつの間にか床の上で相撲を取る羽目になり、またしても大騒ぎ。怒った侍がまたしても苦情を言う。それではと、三人が始めたのは色事の話、うち源兵衛が語りだしたのが、かつて武士の人妻に横恋慕し殺人を犯してしまった自身の体験であった。「ええ、えらい奴ちゃなあ。色事師や。源やんは色事師!色事師は源やん。」とみなで囃したてる。すると隣の武士が「それこそ我が弟の仇である。今すぐ打ちたいところなれど、夜のこともあり宿に迷惑をかけられぬ故、明朝、日本橋にて出会い仇といたす。それまでは三人をとり逃がすでないぞ。もし、そうなれば、宿屋の主人は勿論、伊八、その方も首がないと左様心得よ。」と言い出したから大変。三人はすっかり震えあがり「あの話は芝居の筋やがな。」と言っても信じてもらえない。
しょげかえった三人に対し、侍はゆうゆうと眠りにつき、翌朝、伊八が「縛り上げたあの三人をいかがいたします。」「ムウ。好きにせよ。」「もし、それはどういう事だんねん。仇ちゃいますのかいな。」「仇・・・?アハハハ。伊八許せ。あれは嘘じゃ。」「嘘!!!!・・・もうし、ええ加減にしとくはなれ。わたい、三人逃がさんように夜通しおきてたんやがな。何でそんな嘘つかはりますねん。」「ああ言わねば、身共を夜通し寝かしよらぬ。」