日本陸軍鉄道連隊K2形蒸気機関車
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日本陸軍鉄道連隊K2形蒸気機関車(にほんりくぐんてつどうれんたいK2がたじょうききかんしゃ)は、かつて陸軍鉄道連隊に在籍していた蒸気機関車である。
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[編集] 概要
1942年から1944年にかけて、日本陸軍鉄道連隊E形蒸気機関車の増備車として川崎車輛で製造された、軸配列0-10-0(E)形の600mm軌間用サイドタンク機である。
試作機であるK1形に続いて川崎車輛で設計され、K1形ではE形と同様、15.0tあった自重を溶接構造の多用で12.5tと2.5t減量することに成功した。
外観上はサイドタンクが前部の上辺が斜めに欠き取られた、C11形などの国鉄制式タンク機関車と共通する造形となったのがK1形との最大の相違点であり、運転台前後の窓も工作の簡易化を考慮して通常の四角形の窓[1]になっている。
ルッターメラー式(コッペル・ギアシステム)[2]を採用したE形と異なり、1890年に開発されたクリン-リントナー式と呼ばれる特殊かつ複雑な動軸遊動機構[3]を、特許有効期間が終了したことを確認の上で採用してあり、さらに主動輪である第3動輪をフランジレスとすることで、E形同様に曲線通過を容易としている。
これらも大半は満州駐留の鉄道連隊各部隊に配備されていたため、第二次大戦後は現地に放棄され、その後の消息は定かではない。これに対し戦時中に神岡軌道へ払い下げられたK2 115・116の2両は同線が610mm軌間であったことからほぼ無改造で使用され、多動軸の強力機としての本来の性能をフルに発揮したが、元々内燃動力前提で計画・建設されトンネルが多かった同線での運用には問題が多く、戦後燃料事情が好転すると直ちに廃車となっている。
さらに、戦後内地に残されていたグループの一部は西武鉄道・小湊鉄道などに払い下げされ、大半は1067mm軌間への改軌工事[4]後、各所で入換などに使用された。このうち、K2 121は長く国鉄土﨑工場に保存されていた。しかし国鉄の分割民営化後いつの間にか解体処分され、K2 134はユネスコ村に静態保存されたが1990年の同村閉園のため、同機に縁の深い千葉県習志野市の津田沼一丁目公園に移設され、欠品となっていたエキセントリックリンクロッドを新造の上で補充(ただしメインロッドは欠品のままである)し、こちらは2008年現在も同地に保存されている。
[編集] 主要諸元
[編集] 脚注
- ^ K1形はコッペル製のE形の影響が色濃く表れており、サイドタンク形状や楕円形の運転台窓などはE形のそれらを忠実にコピーしてあった。
- ^ 第1・5動軸(E形の場合)をピンが植えられたボール状の自在継ぎ手と模型のような平ギア連動による動力伝達とすることで、首振りを可能とした比較的簡素な設計の動軸遊動機構。
- ^ 本形式では第1・5動軸を中空軸(左右の動輪を連結する)とし、その中に中央部に特殊な球状の歯を切った中実軸を通して中空軸の内側に刻まれた歯と中実軸側の歯を噛み合わせることで、中空軸による首振り動作を許容しつつ、5動軸全てについて単純な連結棒(サイドロッド)による動力伝達を可能とする、巧妙な機構である。また、この第1・5動軸の左右の各動輪それぞれの直近を2頂点とし、中空軸を1辺とする三角形のサブフレームを取り付け、その重心位置で台枠と首振り・スライド可能なピンを用いて結合し、それぞれの残る1頂点同士を関節によって連結することで首振りの範囲を制限する、一種のラジアル機構も備わっていた。
- ^ 基本的には各動軸の延長と台枠の拡幅、シリンダ給排気管の延長、それにブレーキワークの組み替えを実施して対処した。
[編集] 関連項目
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