日本サッカー狂会
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日本サッカー狂会(にほんサッカーきょうかい)は、日本最古のサッカー日本代表のサポーター集団である。
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[編集] 概要
1962年12月にディナモ・モスクワとスウェーデン選抜を招待して後楽園競輪場で行われた第1回三国対抗の際に「静かなスタンドに活気を与え、日本チームを応援しよう」と日本住宅公団サッカー部の池原謙一朗が中心となり、仲間を募ったのが始まりである。その際に「愛知のサッカー和尚」として有名であった鈴木良韶が「ゴール前で徐行するな 必勝日本代表-私設応援団日本サッカー狂会」という横断幕を持参した事から正式に「日本サッカー狂会」と名乗るようになった。
その後もワールドカップ予選やオリンピック予選、1979年に日本で開催されたワールドユース選手権等の国際試合の際には、独自の横断幕の掲示やサポーターソングで会場を盛り上げてきた。その後バレーボールのテレビ中継を通じて広く知られる様になった[1]「ニッポンチャチャチャ」のチャントは、1966年ワールドカップ・イングランド大会の記録映画「GOAL」の中で各国サポーターによって行われた応援がモデルで、それに影響を受けた会員達によって1968年5月のアーセナルとの親善試合で初めて導入された[2]。
1992年のアジアカップにおいて登場以降、日本代表サポーターの中心的役割を果たしたウルトラス・ニッポン[3]や、Jリーグ開幕以降に登場した幾多のサポーター集団に影響を与えた先駆的存在といえる。
[編集] 主な会員
[編集] 参考文献
- 日本蹴球協会 『日本サッカーのあゆみ』(講談社、1974年)
- 日本サッカー協会 『日本サッカー協会75年史』(ベースボール・マガジン社、1996年)
- 有本健、小笠原博毅 『サッカーの詩学と政治学』(人文書院、2005年)
- 後藤健生 『日本サッカー史 資料編』(双葉社、2007年)
- 日本サッカー狂会 『日本サッカー狂会』(国書刊行会、2007年)
[編集] 脚注
- ^ 1981年11月13日に宮城県スポーツセンターで行われたFIVBワールドカップ第5戦のアメリカ戦が初出とされ、これ以降もバレーボールの定番の応援となっている。
- ^ 有本健、小笠原博毅 『サッカーの詩学と政治学』99ページ 。
- ^ ウルトラスの中心となった植田朝日や萩本良博(元アルビレックス新潟スタッフ、フジテレビのクイズ番組カルトQで2連覇した人物)らは日本サッカー狂会の出身である。