新宿コマ劇場
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情報 | ||||
通称 | コマ劇 | |||
正式名称 | ||||
旧名称 | ||||
完成 | 年 | |||
開館 | 1956年 | |||
開館公演 | ||||
閉館 | 年 | |||
最終公演 | ||||
収容人員 | 人 | |||
客席数 | 2,088 | |||
延床面積 | ㎡ | |||
設備 | フードカウンター、カフェ、レストラン | |||
用途 | 演劇、コンサート、ミュージカルなど | |||
旧用途 | ||||
運営 | 株式会社コマ・スタジアム | |||
所在地 | 〒160-0021 東京都新宿区歌舞伎町1-19-1 |
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電話 | 03-3202-8111 | |||
アクセス | 新宿駅東口より徒歩8分 | |||
外部公式 | 新宿コマ劇場 |
新宿コマ劇場(しんじゅくコマげきじょう)とは1956年12月28日に東京都新宿区歌舞伎町一丁目に開場し、阪急阪神東宝グループの株式会社コマ・スタジアムが運営している劇場である。コマ劇とも言う。
定紋は独楽(コマ)。現在の物は3代目で、運営会社であるコマ・スタジアムの社章を兼ねる。
映画館の「新宿コマ東宝」と「シアターアプル」を併設している。
目次 |
[編集] 概要
この劇場では「演歌の殿堂」と異名を取り、北島三郎、小林幸子、氷川きよし、松平健などといった大物演歌歌手の特別公演が行われている。演歌歌手、或いは演歌歌手志望で芸能界に入った者にとってはベテラン・若手問わず、いつかはこの観客席を満員にしてコンサートを行いたいという憧れの舞台であり、長期的な目標として広言している者はその知名度の如何に問わず数多い(演歌歌手以外では、例として当初は演歌歌手志望だった声優の水樹奈々が挙げられる)。
また開場以来ミュージカル公演力を入れており、『アニーよ銃を取れ』『努力しないで出世する方法』『南太平洋』『ピーターパン』など新宿コマ劇場を日本初演の地に選ぶミュージカル作品も多い。
毎年大晦日には、テレビ東京系列で放送されている『年忘れにっぽんの歌』の生中継が行われている。
かつては6月中旬に行われていた「ドリームジャンボ宝くじ」の抽選会の会場としても知らされた。(2000年の「年末ジャンボ宝くじ」の抽選会も新宿コマ劇場で行われていた)
しかし、築51年が経ち建物自体の老朽化が進み、また入場客数の減少に歯止めがかからず業績が低迷している事から、2008年大晦日の『年忘れにっぽんの歌』の生放送をもって閉館する事が同年5月28日に発表された。閉館後は東宝の支援を受け、同時に閉館予定の隣接する新宿東宝会館(映画館「新宿プラザ劇場」が入居している)を合わせた約5385m2の敷地の再開発を進める予定となっている[1]。
[編集] 特徴
ギリシャ時代の劇場様式からヒントを得た回り舞台が大きな特徴である。新宿コマ劇場の「コマ」は、円形舞台が独楽の回る姿に似ている事から付けたという。
舞台は同心円状に配された三重の廻り舞台と6つの小ゼリによって構成され、これらの回転と上下運動によって多種多様な舞台効果を生み出せるのを特徴としている。開場以来、幾多の改良・改修を重ね、客席・舞台機構共に充実にしたものになっている。
[編集] 略歴
大阪梅田にあった梅田コマ・スタジアム(梅田コマ劇場の前身)の姉妹劇場として1956年に開場した。開場当初は「新宿コマ・スタジアム」と呼称していた。
2005年5月、新宿コマ劇場の運営主体であるコマ・スタジアムとアミューズ、阪急電鉄は業務提携を行い、アミューズがコマ・スタジアムの第三者割当増資を引き受ける事で阪急電鉄、東宝に次ぐ第3位の株主となった。
[編集] 備考
- この劇場は阪急阪神東宝グループの一員であり新聞広告は東宝と同様に楽譜で枠取られてはいるが、公演の企画・制作と興行主体は東宝ではなくコマ・スタジアム自らが行う。コマ・スタジアムは東宝と同じ阪急阪神東宝グループではあるが、あくまでも東宝とは別会社である(東京楽天地やオーエスと同じ)。
- また、コマ・スタジアムは年数回の割合で博多座(福岡県福岡市博多区)においても公演の企画・制作を手掛けている。『マツケンサンバ』で大ヒットした松平健特別公演「歌う絵草紙」も同社の企画制作である。また最近は氷川きよし、松平健のステージが劇場を支えた。
- 夢路いとし・喜味こいしが長年所属していた大宝企画(←大宝芸能←東宝芸能関西)は、コマ・スタジアムの関連会社だった。また同社自体、1969年から1976年までの間大阪・梅田でトップホットシアターという演芸場を経営していた。
- コマ・スタジアムは新宿・梅田両コマ劇場の他、コマ旅行会館といったホテルを東京で経営しており、兵庫県西宮市の西宮北口駅前にスポーツクラブを経営していた。
- 「歌舞伎町」を代表する建物だが、「歌舞伎」が行われたことはない(歌舞伎役者を呼んでのコメディが演じられたが、専門家によると歌舞伎とは違う)。入場者の減少には、歌舞伎町の治安の悪化もある。
- NHK紅白歌合戦の会場にも一度だけなった(1958年)。
- 演歌のステージや美空ひばり登場以降は、前半舞台、後半歌の2部構成のセットのイベントが定番化。美空ひばりの死去以降は美空を扱った舞台も行われた。
- 観客席2000人が満員でなんとか採算が取れるのにある公演の昼の部は満員だが夜は全て埋まらない。
- 見やすくするために柱をとったことが建物の耐震性に問題がある。
[編集] 最寄駅
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
- 梅田芸術劇場
- 大阪・梅田の阪急阪神東宝グループ(阪急阪神ホールディングスグループ)の劇場。かつては「劇場飛天」「梅田コマ劇場」と呼ばれ、コマ・スタジアムが運営を行っていた。