支那方面艦隊
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支那方面艦隊(しなほうめんかんたい)とは、支那事変初期の1937年(昭和12年)10月に編成された、大日本帝国海軍の艦隊の一つである。
1932年(昭和7年)に第1次上海事変が勃発すると日本海軍にとって手薄な同地域の警備が急務となった。更に中国本土に於ける事変拡大が懸念された事から、急遽第3艦隊を復活編成して投入した。盧溝橋事件が発端となって日華事変の拡大に伴ない、1937年(昭和12年)10月に新たに第四艦隊が追加編成され第3艦隊と統合して支那方面艦隊が成立した。
艦隊成立当初は司令長官に長谷川清、参謀長に杉山六蔵、以下司令部参謀に、参謀副長草鹿龍之介、松田千秋、高田利種、大野竹二、樋端久利雄など後の太平洋戦争で活躍した錚々たる人物が配属された。
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[編集] 沿革
連合艦隊と同様、支那方面艦隊は複数の艦隊で編成された日本海軍の大陸駐留部隊である。日露戦争の講和が成立し、中国大陸、特に長江沿岸に日本人が進出するようになり、邦人の生命と権益を守るために砲艦で組んだ「南清艦隊」を編成し、派遣したのがそのルーツである。南清艦隊は辛亥革命勃発にあわせて戦力を強化し、第三艦隊に改名した。この艦隊は第一次世界大戦が勃発した際に、中国政府が中立を宣言したため、大正4年12月をもって解散し、列強の駐留部隊ともども河川砲艦は上海で武装解除を受けた。
大正6年12月に、中国も中立を撤回したために、巡洋艦1隻と砲艦4隻からなる1個戦隊で駐留を再開した。この戦隊が7年8月に「遣支艦隊」と改名し、さらに翌8年8月に「第一遣外艦隊」と改名・増強した。この艦隊は主に上海を拠点として、華中沿海および長江を行動範囲としていた。さらに華北あるいは華南沿岸で行動するために、昭和2年5月に「第二遣外艦隊」を追加した。この両艦隊を一括して統率するため、昭和7年2月に「第三艦隊」を編成した。この第三艦隊が、5年後に支那方面艦隊の基幹部隊となる。
上海事変勃発に際して、昭和7年6月に上海特別陸戦隊が編成され、以後は上海防衛のために常駐した。第三艦隊はこの陸戦隊も統率下に置くことになった。昭和8年4月から5月に指揮下の2個遣外艦隊を廃止して戦隊に組み替えた。日華事変勃発まで、第三艦隊は2個戦隊・1個水雷戦隊と上海特別陸戦隊を指揮下に置いていた。
昭和12年7月、盧溝橋事件を引き金に日中戦争が勃発したため、海軍は駐留部隊の大増強を実施した。そのため、10月までに駐留部隊は3個戦隊・3個水雷戦隊・5個航空戦隊にまで膨張することになり、従来の第三艦隊の統率能力を大幅に上回る。そこで、従来の第三艦隊に加え、増援部隊で第四艦隊を新設したうえで、両艦隊を統率するために「支那方面艦隊」を新設することになった。昭和12年10月20日、第三艦隊司令長官として駐留部隊を指揮していた長谷川清中将が初代支那方面艦隊司令長官の兼任を命じられ、ここに連合艦隊に匹敵する大艦隊が誕生した。
昭和13年2月には、増援第二陣として第五艦隊が編成され、支那方面艦隊は3個艦隊を指揮することになった。上海を拠点に長江流域を担当する第三艦隊、青島を拠点に華北沿岸を担当する第四艦隊、厦門から広州・香港方面の攻略を伺う第五艦隊と、エリア別に分担されている。支那方面艦隊は台湾経由で大陸に進出した連合航空隊と、上海特別陸戦隊を直轄部隊とした。14年11月に、指揮下の艦隊は第三→第一遣支・第四→第三遣支・第五→第二遣支と改名した。一方で、4個根拠地隊を編成して隷下に置き、陸上戦力を大幅に増強している。
昭和16年の劈頭から、海軍は対米英戦に備えて連合艦隊の増強を開始した。海南島攻略をもって、大陸沿岸での海軍作戦が一段落したと判断した海軍は、支那方面艦隊に属する軍艦および有力な特設艦船を連合艦隊に振り向けた。また同時に、支那方面艦隊が大陸で用いていた航空部隊の大多数も第十一航空艦隊結成のために引き抜かれた。このため太平洋戦争開戦時には、3個艦隊はとりあえず指揮下にあったが、編成当初に保有していた重巡洋艦や駆逐艦など即戦力の艦艇は、ほとんど連合艦隊に供出し終えていた。
昭和17年4月に第三遣支艦隊を青島方面特別根拠地隊に、昭和18年8月に第一遣支艦隊を揚子江方面特別根拠地隊に降格し、支那方面艦隊の直轄部隊とした。最終的に、隷下部隊は第二遣支艦隊のみしか残っていない。また、海南島に駐留する陸上部隊は海南警備府発足とともに警備府へ剥ぎ取られた。終戦時に支那方面艦隊が指揮していたのは1個艦隊・3個根拠地隊・上海特別陸戦隊にまで減少した。昭和20年9月9日に中国政府に降伏し、すべての行動を終えた。
[編集] 支那方面艦隊附属部隊
第3艦隊
- 司令長官は長谷川清大将が兼務
第10戦隊
- 司令官: 藤森清一郎少将
第11戦隊
- 司令官: 近藤英次郎少将
第4水雷戦隊
第1聯合航空隊
第2聯合航空隊
- 三並貞三少将
- 上海特別陸戦隊
- 司令官: 大川内傳七少将
- 第1根拠地隊
- 司令官: 園田 滋少将
- 司令官: 園田 滋少将
- 上海特別陸戦隊
第3航空戦隊
- 司令官: 寺田幸吉少将
- 参謀: 光延東洋中佐
第4艦隊
第9戦隊
- 司令官: 小林宗之助中将
第5水雷戦隊
- 司令官: 後藤英次少将
- 第16駆逐隊
- 司令: 島崎利雄中佐
- 第23駆逐隊
- 司令: 高橋一松中佐
- 第3駆逐隊
- 司令: 藤田俊造中佐
- 司令: 藤田俊造中佐
- 第16駆逐隊
第3潜水戦隊
- 司令官: 鋤柄玉造少将
- 参謀: 有泉龍之助少佐
- 第9潜水隊
- 司令: 仁科宏造中佐
- 司令: 仁科宏造中佐
- 第9潜水隊
- 司令官: 鮫島具重少将
- 参謀: 相徳一郎中佐
[編集] 歴代艦隊司令長官
- 長谷川清大将 1937年(昭和12年)10月20日 - 1938年(昭和13年)4月25日
- 及川古志郎中将 1938年(昭和13年)4月25日 - 1940年(昭和15年)5月1日
- 嶋田繁太郎中将 1940年(昭和15年)5月1日 - 1941年(昭和16年)9月1日
- 古賀峯一大将 1941年(昭和16年)9月1日 - 1942年(昭和17年)11月10日
- 吉田善吾大将 1942年(昭和17年)11月10日 - 1943年(昭和18年)12月1日
- 近藤信竹大将 1943年(昭和18年)12月1日 - 1945年(昭和20年)5月15日
- 福田良三中将 1945年(昭和20年)5月15日 - 1945年(昭和20年)11月30日
[編集] 歴代艦隊参謀長
- 杉山六蔵少将 1937年(昭和12年)10月20日 - 1938年(昭和13年)4月25日
- 草鹿任一少将 1938年(昭和13年)4月25日 - 1939年(昭和14年)10月23日
- 井上成美中将 1939年(昭和14年)10月23日 - 1940年(昭和15年)10月1日
- 大川内傳七中将 1940年(昭和15年)10月1日 - 1942年(昭和17年)3月16日
- 田結穣少将 1942年(昭和17年)3月16日 - 1943年(昭和18年)9月1日
- 宇垣完爾少将 1943年(昭和18年)9月1日 - 1944年(昭和19年)12月15日
- 左近允尚正中将 1944年(昭和19年)12月15日 - 1945年(昭和20年)11月30日
[編集] 参考文献
- 日本の陸海軍軍人の制度・組織・人事(日本近代史料研究会編・東京大学出版会)