志賀賢太郎
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志賀 賢太郎 | |
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プロフィール | |
リングネーム | 志賀 賢太郎 シガえもん |
本名 | 志賀賢太郎 |
ニックネーム | 熱血戦士 アニキ パンチ志賀 |
身長 | 187cm |
体重 | 100kg |
誕生日 | 1974年12月6日(33歳) |
出身地 | 茨城県勝田市 |
所属 | プロレスリング・ノア |
スポーツ歴 | 柔道 |
トレーナー | ジャイアント馬場 |
デビュー | 1994年2月21日 |
志賀 賢太郎(しが けんたろう、1974年12月6日 - )は、プロレスリング・ノア所属のプロレスラーである。茨城県勝田市(現・ひたちなか市)出身。
練習熱心で気が良くきき周りからの評判は良い。体重100kg以上が最低ラインともいえるヘビー級レスラーとしては致命的な太りにくい体質を持ち、ステップアップの障害となっていたが、復帰後本人の口から「体質が変わって100kgになった(歳のせい)」という話がある。その性格、顔立ち、そして体格から局地的且つカルト的な人気を持つレスラーでもある。本田多聞は、プロレス入門では同期にあたる。試合中に声帯を潰してしまったため、声がしゃがれている。
目次 |
[編集] 略歴
宮城県仙台第一高等学校卒業後に全日本プロレス入り。
- 6月、プロレスリング・ノア旗揚げと共に同団体へ移籍。
- 2月から首の負傷により長期欠場。当初は病名をヘルニアとしていたが、実際は靭帯骨化症と言う難病であった事が後々に明らかとなる。
- 9月18日、日本武道館大会の第一試合で同期の本田を相手に復帰。スキンヘッドに黒のロングタイツで登場し復帰を願うファンから贈られた千羽鶴を手に入場したが、自身の必殺技である志賀絞めで敗れた。
- 12月のクリスマス興行で任侠スタイル(着流しにパンチパーマ、「兄弟船」で入場)で登場。これが意外と評判が良く、本人曰く「手入れが楽でよい」ということで、このスタイルを継続することになった(通常は、その日限りで終わる)。
- 1月の開幕戦よりさらなるイメージチェンジを図り、パンチパーマにサングラス、無精髭をたくわえ、強面で小悪党スタイルのヒールレスラーに変身。
- 9月3日、愛知県体育館にてスコーピオから白GHC王座を奪取、第5代チャンピオンとなる。
- 10月20日、広島グリーンアリーナにて川畑輝鎮を相手に白GHC王座初防衛。
- 11月29日、地元仙台サンプラザホールにて太田一平を相手に2度目の防衛に成功。
- 12月27日、ZERO1-MAXのリングにおいて、神風を相手にランバージャック・デスマッチルールによる防衛戦が行われ、セコンドのパンチ軍団の活躍もあって、見事防衛に成功。
- 突如ベルトを返上し、王者権限を使いタッグトーナメントを開催を宣言。自身は「カシラ」こと川畑輝鎮と組んで「パンパーズ(=パンチパーマブラザーズ)」を名乗り出場。決勝で潮崎豪・谷口周平組を破り第6代白GHC王者となった。
- パンパーズとしてヨーロッパ遠征も行い、白GHCは防衛回数を重ねるもののパンパーズのライバルとなりうるタッグが現れず、個人のレベルアップを図るためとして川畑とのコンビを一旦解消することを決意。シングル王座に戻った白GHCを賭けた川畑との対決に敗れ、1年2カ月保持していた同王座を「カシラ」に託すことになった。この試合は「負けたら坊主頭」の罰ゲームもあったため、志賀は潔くこれを受け入れ、自らのシンボルだったパンチパーマからも卒業することになった。
[編集] 人物
- 身長が高く将来を嘱望されたが、体質的に体重がなかなか増えず、伸び悩んだ。また2003年から首の負傷で長期欠場した際、当初はヘルニアとされていたが、実際は靭帯骨化症と言う難病であった。それを克服しリング復帰した苦労人である。それだけに流血戦の末白GHCを獲得しシングル初戴冠した時は、多くのファンがそれをたたえた。
- ジャイアント馬場の最後の付き人で彼が亡くなるまで、5年間という異例の長さにわたって付き人を務めた。誠実で努力家で気配りが利く、と馬場はたいそう気に入り、決して放そうとはしなかった。秋山準も自身のブログで「新弟子よりも気が利く男」と評価している。そのような「プロレスラーらしからぬ」部分こそ、彼の魅力だとファンは語る。2006年にコワモテの小悪党ヒールになった後も外見とは裏腹に、相変わらず言葉遣いは丁寧で、セコンドに付いている際には試合中のレスラー、観客に気を配る。丸藤正道も「外見と中身が全く違う」と語っている。
- 2007年には、ヒールでありながらその「いいひと」ぶりが評価され、同年度の選手会長に就任している。
[編集] 悪行
2006年のヒール転向以降、数々の悪行を働いているが、そのどれもが話のネタに出来そうな行為で未遂に終わるものも多い。むしろ、志賀の「ちょいワルキャラクター」を定着させるための話題づくりの為の行動と受け取れなくも無い。事実、キャラクターの方向性が「アニキ」「仁義」といったものに向かってからは、リング外での悪行はほぼ行っていない。
- NOAH社員(営業部・三井営業主任)の弁当のおかず(卵焼き)を、自慢のフォークで強奪する。
- 事務所の冷蔵庫から職員の飲み物を盗み飲もうとする。
- 新人の太田一平を無理矢理パンチパーマにした上、太田に「自主的にパンチにした」とマスコミに対し言わせる。
- 街頭で配られるティッシュを何度も貰う。
- スーパーの試食品を何度も食べ、結局買わない。
- 会社のトイレットペーパーを自宅に持って帰る
- 283円の甘栗を、ポイントが貯まるからとカードで買い、店員の女性を慌てさせる。
- メイド喫茶へ行き、パンチパーマと100円ショップで買ったサングラス姿で店内を凍り付かせる事に成功したものの、メイドさんと一緒に楽しめるゲームがビールを注文しないと出来ないと聞き、「昼間から酒を飲む事は出来ない」という真面目な理由で断念した事もある。また、これらの悪行を2006年5月19日・後楽園ホール大会のテレビ中継において、日本テレビの蛯原哲アナウンサーが解説のマイティ井上に説明したところ「あの志賀がですか・・・信じられませんね」と驚愕された。
- GHCヘビー級王座への挑戦権をかけた試合で「自分は長く欠場しているから普通じゃ勝てない。ラフファイトでカバーする」と発言。それとは別の試合では実際にフォークを隠し持って入場し、百田光雄に怒られた。なお、その開幕戦でのサングラスはドンキホーテで980円で買ったものであり、意図してかどうかは不明だが「UVカット」のシールを貼ったまま入場し、秋山準やそれに気付いた一部のファンから失笑と声援を得た。
- 試合前、タイツに凶器やブラシを隠しておいてはレフェリーに取り上げられるのが定番のやりとりとなっている。
[編集] タイトル歴
- グローバル・ハードコア・クラウン(白GHC)第5代チャンピオン
- グローバル・ハードコア・クラウン(突如ベルトを返上し、タッグベルトとした)第6代チャンピオン(川畑輝鎮とのタッグ)
[編集] 得意技
- 志賀絞め
- STFの形からフェイスロックをかけている腕を片羽絞めに移行し、さらに仰向けになることによって完成する複合サブミッション。命名は小橋建太。完璧に決まった場合は脱出不能と言われるが(秋山も締め落とされたことがある)、途中でロックを外してフォールに行くこともあり、その場合は逆襲されがちでもある。
- SSS(スパイラル・シガ・シューター)
- 相手を背後からボディスラムの体勢で持ち上げ、旋回させながらDDTのように落とす技。
- コブラツイスト
- 卍固め
- よくコブラツイストから卍固めに移行することが多い
- ストレッチ・ボム/ストレッチ・バックブリーカー
- 元は小橋の技で、2006年度後半より頻繁に見せるようになった。終盤ではマットでなく自分の膝に叩き付けるバックブリーカーへと進化させている。
- ロールパン(with カシラ)
- ローリング・パンチの略。コーナーに上がったカシラをアニキが投げつけることによって威力を上げたセントーン・アトミコ。