心臓移植
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心臓移植(しんぞういしょく)とは他人の心臓を移植手術することである。
通常は重大な心疾患によって他人の心臓を臓器移植する以外に存命する方法が無い場合に行われる。 2006年現在で世界中で30年間に4万6千例以上が行われている。
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[編集] 歴史
ヒトへの心臓移植の試みは、1964年にミシシッピー大学病院のジェームズ・ハーディによってチンパンジーの心臓を移植したのが最初の事例となっている。この時は、移植した心臓が90分しか鼓動せず、失敗に終わった。
世界初のヒトからヒトへの心臓移植は、1967年12月3日に南アフリカのケープタウンでクリスチャン・バーナードによって、ルイス・ワシェンスキーに対して行われた。この時の心臓移植では、執刀した医師が「この移植には、人にいちばん近い形をしたものを使った」と発言した上に、患者が白人男性だったのに対しドナーのデニス・ダーバルは黒人女性だったことから、「黒人の人権を認めない南アフリカだから出来た非人道的な殺人手術」との批判を受け、人種差別や人権問題に関わる論議を呼び起こすことになる。但しバーナード自身は、脳死を確認の上にドナーの父親からの許諾を得て移植手術を行ったと反論している。なお、世界初の移植を受けたワシェンスキーは移植18日後に免疫抑制剤の副作用による肺炎で死亡した。バーナードは翌年にも移植手術を実施し、この時には患者を19ヶ月延命させることに成功した。
- 1968年8月8日に日本で初めての心臓移植が、札幌医科大学で実施された。和田心臓移植事件を参照
- 1997年7月16日に臓器の移植に関する法律が施行された。
- 1999年に日本国内で3人が移植を受ける。30年あまりを経て2回目の心臓移植が実施された。
- 2000年に日本国内で小児移植1人を含む4人が移植を受けた
- 2001年に日本国内で小児移植1人を含む6人が移植を受けた
- 2002年に日本国内で5人が移植を受けた
- 2004年に日本国内で2人が移植を受けた
[編集] 問題点
- 心臓が動いているのに死亡している提供者の存在が必要不可欠であるため脳死判定の是非、及びその基準が問題となった。
- 移植手術後の存命期間は長いとは言えず、移植手術が理想的な状態で行われても完全に健康な体にはならないため延命治療と言われる。
- 国際心臓・肺移植学会による世界中での心臓移植例40,755人の追跡調査による統計では移植後の生存率は1年目79%、3年目71%、5年目63%、10年目で45%で25年以上生存した事例は無い。
- 日本循環器学会心臓移植委員会の近年5年の統計では1年目80%、5年目70%以上にまで生存率が向上しており医学の進歩と共に生存率は向上する傾向にある。
- 患者は提供者が現れるのを待たなければならないが、提供者は希少であり患者の1年後の存命率が68%、7年後ではほぼ0%であり生きて移植を受けられる患者は3人に1人と言われている。
- 日本では非常に実施困難な状況であるため、患者の大半がアメリカへ渡って移植を受けている。2006年の時点では世界中の移植手術の60%がアメリカで行われている。
- 高額な費用が必要であり、日本で実施された場合ですら一千数百万円が必要である。渡米して行う場合には最低でも三千数百万円から1億円以上が必要となる。
- 日本では子どもの臓器提供が認められていないため、子どもが心臓移植を受けることが出来ない。そのため、渡米して移植手術を受ける以外に方法が無い。
[編集] 募金詐欺
日本では渡米しての手術には高額の費用が必要であるが、その費用は決して安価なものではなく一般人が負担することは極めて難しい。成人の場合は日本国内で手術を行うという手段があるが、子どもの場合は法律上それも難しい。このため、心臓疾病を持つ子どもを対象とする移植支援のために募金活動が行われる場合が少なからずある。しかしこの時集まった募金の収支明細が極めて不明瞭な場合があり、命を対象として集まった募金が移植以外の目的に用いられているのではないかという懸念から、この募金活動自体が募金詐欺では無いかとの批判を受けることが頻発した。この一連の批判行為は各種マスメディアなどでも報道された。(トリオ・ジャパンも参照)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
[編集] 出典
- 国際心臓・肺移植学会による世界中での心臓移植例40,755人の追跡調査による統計
- 日本循環器学会心臓移植委員会の統計