徐在応
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ソ・ジェウン | |
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各種表記 | |
ハングル: | 서재응 |
漢字: | 徐在應 |
平仮名: (日本語読み仮名) |
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片仮名: (現地語読み仮名) |
ソ・ジェウン |
ラテン文字転写: | Seo Jae-eung |
本人表記: | Seo, Jae Woeng |
徐 在応(ソ・ジェウン) Jae Woeng Seo 起亜タイガース No.40 |
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基本情報 | |
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国籍 | 大韓民国 |
出身地 | 光州広域市 |
生年月日 | 1977年5月24日(31歳) |
身長 体重 |
181cm 97kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1998年 アマチュアFAでメッツと契約 |
初出場 | MLB / 2002年7月21日 KBO / 2008年4月1日 |
最終出場 | MLB / 2007年5月29日 |
年俸 | 5億ウォン(2008年) |
経歴 | |
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■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手 |
徐 在応(ソ・ジェウン、1977年5月24日 - )は、韓国プロ野球・起亜タイガースに所属する大韓民国出身のプロ野球選手(投手)。
[編集] 略歴
仁荷大学在学中の1998年にニューヨーク・メッツにスカウトされ入団。本来速球派ピッチャーとして期待を集めたが、マイナー在籍中に肘を故障。トミー・ジョン手術を受けるなど、苦労が続いた。術後は、球速が回復できず、技巧派への転身を余儀なくされる。以後、制球に磨きをかけて、2002年メジャーデビューを果たす。2003年メッツ先発陣の崩壊で先発5番手としてローテーションに定着。9勝止まりだったが、防御率は3点台と悪くなく、当時のメッツのチーム事情から見ると健闘したと言える成績だった。
しかし、翌年から隔年ピッチャーぶりを見せ、首脳陣の信頼を得られず、投手コーチとの確執などで、2006年ドジャースにトレード。ドジャースでも6月まで2勝止まりで不安定なピッチングが続き、ブルペンに回された末、同年6月26日再びデビルレイズにトレードされる。
2007年6月に成績不振からデビルレイズを解雇されウェーバーにかけられたが獲得球団は現れず、デビルレイズ傘下の3Aダラム・ブルズでプレーした。12月には起亜タイガースと契約し2008年からは韓国プロ野球でプレーすることになった。
高い制球力と落差の大きいチェンジアップをはじめとした多彩な変化球が持ち味。
2006 ワールド・ベースボール・クラシック韓国代表にも選ばれた。 2次リーグの日本戦の試合終了後、エンゼルスタジアムのマウンドに太極旗を立てた選手である。
[編集] 年度別成績
年度 | チーム | 勝利 | 敗戦 | 防御率 | 試合 | 先発 | セーブ | イニング | 被安打 | 失点 | 自責点 | 被本塁打 | 四球 | 奪三振 |
2002 | NYM | 0 | 0 | 0.00 | 1 | 0 | 0 | 1.0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
2003 | NYM | 9 | 12 | 3.82 | 32 | 31 | 0 | 188.1 | 193 | 94 | 80 | 18 | 46 | 110 |
2004 | NYM | 5 | 10 | 4.90 | 24 | 21 | 0 | 117.2 | 133 | 67 | 64 | 17 | 50 | 54 |
2005 | NYM | 8 | 2 | 2.59 | 14 | 14 | 0 | 90.1 | 84 | 26 | 26 | 9 | 16 | 59 |
2006 | LAD/TB | 3 | 12 | 5.33 | 36 | 26 | 0 | 157.0 | 197 | 101 | 93 | 31 | 56 | 88 |
2007 | TB | 3 | 4 | 8.13 | 11 | 10 | 0 | 52.0 | 84 | 53 | 47 | 11 | 16 | 28 |
Total | 6年 | 28 | 40 | 4.60 | 118 | 102 | 0 | 606.1 | 691 | 341 | 310 | 86 | 184 | 340 |