広島平和記念式典
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
広島平和記念式典(ひろしまへいわきねんしきてん)とは毎年、広島県広島市に原爆が投下された8月6日の原爆忌に広島平和記念公園で行われる、原爆死没者の霊を慰め、世界の恒久平和を祈念するための式典である[1]。なお正式には「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」という。
目次 |
[編集] 沿革
1947年に「広島平和祭」として第一回が催され、当時の広島市長である浜井信三が平和宣言を行った。このときはGHQによる占領統治時代であったため、検閲で平和への思いが消されないためにどうするか苦労したという。この平和祭では式典のほか市内各所で盆踊りや仮装行列なども催され、アメリカの雑誌『ライフ』が「アメリカ南部の未開地におけるカーニバル」と形容したほど市民に希望を与えるものであった。[2]
1950年6月から始まった朝鮮戦争において、米国は核兵器の使用を検討していた。原爆使用禁止のストックホルムアピールへの世界的署名運動が高揚するなか、GHQによってこの年の平和式典は禁止・中止された。原爆詩人・峠三吉らはこれを弾劾して原爆詩集などを発表した。これらの運動は朝鮮戦争でのアメリカ軍の核使用を押し留める一因となったといわれている。
平和記念公園が開設された1954年以降は現在の形式で行われている。なお被爆から60年以上が経過し、被爆体験を持つ人たちの平均年齢が70歳を超えたことで、被爆経験が戦争経験と同様に風化してきていると指摘されている。
この式典の性格は原爆を投下したアメリカに対する反米感情よりも、むしろ恩讐を超えた世界の恒久平和への希求であるとしている。冷戦時代には人類を滅亡へと導く手段として、現在では核拡散によって過激な集団によって大量殺戮しかねない方法として、破壊のための核兵器使用の危険性がある以上、核兵器の存在を認めず廃絶を求めることは世界最初の被爆地として責務であると、歴代の広島市長は平和宣言の中で訴えている[3]。
[編集] 式の概要
式典は会場である平和公園平和記念公園の原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)前において、原爆死没者の遺族をはじめとして、市民多数の参加のもとで挙行されるものである。毎年広島市長によって行われる平和宣言は核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を訴え続けているものであり、世界各国に送られている[3]。また秋葉忠利市長(アメリカへ留学経験がある)になってから英語による平和宣言も発表されるようになった。
毎年、NHK・民放のテレビやラジオなどで生中継されるなか午前8時から始まる。原爆が投下された午前8時15分に平和の鐘やサイレンを鳴らし、式典会場のみならず、家庭、職場で原爆死没者の冥福と恒久平和の実現を祈り、1分間の黙祷を行ったあと、広島市長が平和宣言、子供による平和への誓いを行うのが通例である。また当日の広島市の各所では、原爆死没者に対する慰霊と核兵器廃絶を訴える式典が行われている。
[編集] テレビ中継
[編集] 全国放送
- NHK総合テレビでは毎年生中継を8:00~8:35(通常時、年によって変動あり)に行う。視聴率は他局に比べて最も高い。このため8月6日が月曜日~土曜日になる年は、『連続テレビ小説』の放送時間帯が繰り下げられる。また朝のニュース枠も8:00終了となる。ビデオリサーチ・関東地区調べでの歴代最高視聴率は、1971年(第26回。この回は7:57~8:30)の44.0%である(2007年現在)。
- 民放では、日本テレビとTBSが中継に積極的である。
[編集] 広島県域向け放送
上記とは別に、広島県内の各放送局では毎年この時間に式典の生中継が行われる。NHK広島放送局や民放テレビ全局、RCCラジオはもちろんの事、HFMもこの時間には生中継を織り込んだ特別番組が放送される。また、8月6日前後には各局で原爆の日関連の特別番組が多く放送される。
[編集] 秋葉忠利広島市長の平和宣言に対する批判
- 2003年 - 平和宣言において秋葉は北朝鮮の金正日総書記を式典に招待したことについて触れ、北朝鮮の核保有についての批判はしなかった一方で、アメリカの核政策を手厳しく批判した[4]。これについて読売新聞は翌日の社説で「金正日の招待などというパフォーマンスではなく、テロ国家北朝鮮に核放棄させることが重要だ」との趣旨で批判的に論じた。
- 2005年 - 7月に原爆死没者慰霊碑が碑文の内容が気に入らない右翼構成員によって破損される事件(原爆慰霊碑破損事件)が発生した。この事件に対する抗議の意味で、碑文の文言が平和宣言の締めに使われた[5]。翌日の産経新聞社説では、その碑文の主語の不明な文言を占領史観に基づく日本人の謝罪として「(すべて日本が悪かったと)謝罪の呪縛にとらわれているとすれば残念である」と批判した。なお、広島市はこの文言の主語を「世界人類」と位置づけ、核兵器を再び使わせないという決意であると説明している。
- 2006年 - 8月の平和宣言に対する産経新聞社説では“アメリカの核を非難する前に北朝鮮の核にこそ備えるべきではないか”と論評した。
- 2007年 - この年の平和宣言では、秋葉市長は北朝鮮の核問題には一切触れず、米国の核政策については「時代遅れで誤」りであると批判した[6]。これについて産経新聞社説は、前年8月9日に故伊藤一長・元長崎市長が平和宣言で北朝鮮の脅威を持ち出していた事を引き合いに出し、北朝鮮に対する核放棄のメッセージが含まれていないとして広島市の平和宣言を批判した[7]。
アメリカや北朝鮮(2005年には金日正に送った)を含む核兵器保有国(在日大使館)に対して招待状を発送しているが、2007年に式典への参加が実現したのはロシア(駐日大使)だけである。
[編集] 関連項目
- 長崎平和祈念式典
- 全国戦没者追悼式
- 平和記念式典
[編集] 参考資料
- ^ 広島市による広島平和式典の概要
- ^ 被爆50周年記念誌編修研究会編著 『被爆50周年 図説戦後広島市史 街と暮らしの50年』 広島市、1996年、43頁。
- ^ a b 広島平和宣言
- ^ 2003年 平和宣言
- ^ 2004年 平和宣言
- ^ 2007年 平和宣言
- ^ 産経新聞 【主張】広島平和宣言 なぜ北の核には触れない(2007年8月7日論説)