平松愛理
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平松 愛理 ひらまつ えり |
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基本情報 | |
出生名 | 平松 絵里 |
出生日 | 1964年3月8日(44歳) |
学歴 | 神戸海星女子学院大学文学部仏文学科 |
出身地 | 日本・兵庫県神戸市須磨区 |
ジャンル | J-POP |
職業 | シンガーソングライター |
活動期間 | 1989年 - |
レーベル | ユニバーサルミュージック |
事務所 | オフィスウォーカー |
影響 | 清水信之 |
公式サイト | 平松愛理オフィシャルサイト |
平松愛理(ひらまつ えり、本名:平松絵里(読み方同じ)、 1964年3月8日 - )はシンガーソングライター。兵庫県神戸市須磨区出身。神戸海星女子学院大学文学部仏文学科卒。所属事務所はオフィスウォーカー。
目次 |
[編集] 来歴
1989年2月21日、シングル『青春のアルバム』とアルバム『TREASURE』でポニーキャニオンよりデビュー。 1992年にシングルカットした『部屋とYシャツと私』で大ブレイクした。また他の歌手に対する楽曲の提供活動も行っている。1999年、レコード会社をユニバーサルミュージックに移籍。
なお、ソロではないが、レコードデビューは、村田和人ひきいる4人組のユニットHoney & B-Boysのアルバム『Back to Frisco』(1987年)。『My Wish』などの曲で、ボーカルをとっている(ただし、名前の表記は、本名の「平松絵里」)。残りの2人は、のちにソロデビューする西司と、パイパーのリーダーである山本圭右。1992年には、ユニットHIRA-O-SAKI として、尾崎亜美、崎谷健次郎と共同で、シングル・アルバム『My Best Friends』をリリース。
デビュー当初は西平彰の編曲であったが、3枚目のアルバム『My Dear』(1990年。シングルでは、『月のランプ』)から、編曲家がのちに夫となった清水信之に代わり、その後大きく伸びたといわれる。
清水信之による平松作品は数多いが、例えば、『戻れない道』という1993年のシングルの編曲は、打ち込み主体の通常の電子音スタイルとは異なり、アコースティックなハープとフルートをメインに使うといった、かつての松任谷正隆的な手法を用いており、これを、平松愛理への愛情の表れであると見るファンもいる。
デビュー当時から子宮内膜症を患い、以後毎日の様に痛みに煩わされ続けたという。1996年女児を出産した時には、母子共に危険な状態であった。後に子宮を切除し、2002年には乳がんを自ら公表し活動を休止したが、その間にも各地での講演活動に参加した。
1994年1月29日、清水信之と結婚式を挙げる。結婚式場は東京・代沢の東京聖三一教会。なお、出産後「両親ふたりとも家を遅くまで留守にするのは育児に差し障る」という配慮から、平松と清水が組んで仕事をするのは差し控えるようになった。
2004年4月、新曲『YOU ARE MINE/部屋とYシャツと私2004』で歌手活動を再開すると発表。また併せて闘病手記「部屋とYシャツと『私の真実』」も上梓した。これ以外にも雑誌、新聞にエッセーを執筆している。
2005年8月2日、子育てと仕事とですれ違いが生じ、代理人を通して離婚届けを提出した。報道によると、憎み合っての離婚ではなく、慰謝料等も特に生じず、一人娘(親権は平松が引き取った)の学校行事には父母揃って参加しているとのこと。
ちなみに、兄の平松直樹氏は大阪大学医学部消化器内科医局長である。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] シングル
- 青春のアルバム(1989年2月21日)
- 太陽のストライキ(1989年7月21日)
- 駅のない遮断機(1989年11月21日)
- 月のランプ(1990年5月21日)- フジテレビ系バラエティ「ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!」エンディングテーマ
- 素敵なルネッサンス(1990年12月5日)- フジテレビ系バラエティ「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!!」エンディングテーマ
- 虹がきらい(1991年5月21日)
- 思い出の坂道(1991年11月21日)
- 部屋とYシャツと私(1992年3月21日) - さだまさしのヒット曲『関白宣言』のアンサーソングと言われている。のちにmihimaru GTがアルバム『mihimagic』でカバーしている。もともとは1990年発売の『MY DEAR』に収録されていた。
- マイ セレナーデ(1992年6月3日)- トヨタカローラセレスCMソング(サビが「セレス」と聞こえる)
- もう 笑うしかない(1992年9月2日)- 日新火災CMソング(笑っていいとも!身内自慢コンテストのオープニングでも使用されている。)
- Single is Best!?(1993年3月8日)- 横浜銀行CMソング CDTV放送第一回ゲストライブ曲
- 戻れない道(1993年11月3日)- フジテレビ系木曜劇場(10時枠)ドラマ「都合のいい女」主題歌
- 一夜一代に夢見頃(1994年2月2日)
- 女(ハナ)の命は短くて(1994年7月21日)
- あなたのいない休日(1994年10月21日)- 映画「居酒屋ゆうれい」主題歌
- 美し都~がんばろやWe love KOBE~(1995年4月21日)- 神戸復興「がんばろや! WE LOVE KOBE」キャンペーンソング。作詞は淡路島出身の阿久悠で作曲が平松。コーラスに岡村孝子、沢田知可子、大江千里、島倉千代子が参加している。この作品はチャリティーシングルとして発売されたため、印税は神戸復興のチャリティー基金となる(現在廃盤)。2004年まではアルバム未収録曲だったが、2005年発売のオムニバス『名曲発掘! ジュエル・バラッズ』で晴れてアルバム収録となった。また、JR西日本「三都物語」CMソングとしても流された。
- おしえて神様(1995年11月20日)- 武田食品ビタミンサラダCMソング
- Midnight Sun(1996年5月17日)
- ビビッとドキッとGood Day(1996年9月23日)- カルビーア・ラ・ポテトCMソング
- 宇宙でたったひとつの今日(1997年6月4日)- トヨタイプサムCMソング
- この街のどこかで(1997年9月3日)- フジテレビ系「金曜エンタテインメント」メインテーマ曲
- Endless Moment(1999年4月21日) - TBS系愛の劇場「はれ時々くもり」主題歌 ※移籍第一弾シングル
- ウサバラ・DE・東京(2000年6月16日)
- 愛情レストラン(2001年11月21日)
- YOU ARE MINE/部屋とYシャツと私2004(2004年4月21日)※“HeartFullMoon”レーベルよりリリース
- 蒼い芝生 (2005年7月11日先行発売、同年8月2日全国発売) - ロッテリアイメージソング ※ロッテリアのみの数量限定販売シングル、“HeartFullMoon”レーベルよりリリース
[編集] アルバム
[オリジナル]
- TREASURE(1989年2月21日)
- とっておきの20秒(1989年11月21日)
- MY DEAR(1990年12月15日)
- redeem(1991年11月27日)
- Erhythm(1992年9月18日)
- 一夜一代に夢見頃(1993年12月17日)
- 7 DAYS GIRL(1994年11月11日)
- Reborn(1996年7月22日)
- fine day(1997年12月3日)
- Usa-Bara(2000年9月1日) ※移籍第一弾アルバム
- 秋の虹(2004年10月6日)- 活動復帰ライブの一部を収録したDVD付き ※“HeartFullMoon”レーベルよりリリース
[ベスト]
- Single is Best(1993年4月7日)
- バラードベストコレクション 可憐~Karen~(1998年2月18日)- 2枚組バラードベストアルバム
- ベストセレクション~青春のアルバム~(1999年6月2日)- デビュー曲『青春のアルバム』の別アレンジバージョン『青春のアルバム(upgrade)』が収録
- Anthology 平松愛理BEST(2002年4月17日)
- 平松愛理 THE SINGLE BEST(2005年11月16日)
[その他]
- Eri’s“B”Good(1996年1月19日)- オリジナルアルバム未収録シングルカップリング曲を編集し、別アレンジに収録したミニアルバム
- 自分次第。(2003年9月25日)- 活動休止中、「Hi-hats」名義でリリースしたアルバム※フォーライフよりリリース
[編集] 楽曲提供
- YeLLOW Generation
- 「チョコレイト~鮮烈な味わい魅惑の世界~」 作詞:Yuko、作曲:平松愛理、編曲:清水信之
- 加藤紀子
- 「Invitation」 作詞:平松愛理、作曲:アルベルト城間、編曲:清水信之
- Clair
- 「明日へ」 作詞:平松愛理、作曲:Marty Friedman、編曲:佐藤公一郎
- 黒川芽以
- 「今日のまま」 作詞・作曲:平松愛理、編曲:斉藤英夫
- 沢田知可子
- 「あなたに教えたい」 作詞・作曲:平松愛理、編曲:小野沢篤
- 鈴木康博
- 「クィーンズボローの橋の上で」 作詞:平松愛理、作曲・編曲:鈴木康博
- 高橋由美子
- 「最上級I LIKE YOU」 作詞・作曲:平松愛理、編曲:清水信之
- 長女隊
- 「妹のように」 作詞:及川眠子、作曲:平松愛理、編曲:COZY
- 搭堂なつ
- 「ドアの向こう」 作詞・作曲:平松愛理、編曲:清水信之
- 「彼と私の新しい関係」 作詞・作曲:平松愛理、編曲:清水信之
- 真璃子
- 「Boy Friend」 作詞・作曲:平松愛理、編曲:冨田素弘
- 森口博子
- 「Someday Everyday」 作詞・作曲:平松愛理、編曲:清水信之
- 「Shocking Blue」 作詞・作曲:平松愛理、編曲:清水信之
- 山口由子
- 「GO・ME・N」 作詞・作曲:平松愛理、編曲:武部聡志
- 「エレベーターアクシデント」 作詞・作曲:平松愛理、編曲:武部聡志
[編集] KOBE MEETINGについて
「KOBE MEETING」とは、1995年1月17日に平松の故郷・神戸を襲い、実家も被災となった阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)の記憶を風化させまいとの主旨で、出産翌年の1997年以降、毎年1月17日に神戸市内で平松自らが行っているチャリティーライブ。
1997年から1999年までは、サンテレビジョンの番組との連動という形で、毎年会場を変えつつ、平松は“神戸にゆかりのあるミュージシャンの一人”としての参加だったが、2000年に同市中央区のライブハウス「チキンジョージ」に会場を移して以降、平松の単独ライブという形式に変わる。
2002年4月に上述の通り活動休止を余儀なくされ、このライブの開催も危ぶまれたが、チキンジョージ側の懸命なスケジュール調整や、何より震災に拘り続ける平松本人の強い意向もあり、本来休業期間とされていた間も、KOBE MEETING当日だけは公の場に姿を見せライブを敢行。2006年以降、チキンジョージの改修工事に伴い会場を変更するも、“音楽を通しての被災者への鎮魂と被災地の復興”というコンセプトを変えずに、現在まで10年以上にわたり続けられている。
回を重ねるごとにNHK神戸放送局、サンテレビジョン、神戸新聞といった地元はもとより、兵庫県外のメディアからも取材を受けるようになり、この長期にわたるチャリティー活動が高く評価され、アーティスト活動再開からまる1年の2005年4月21日、平松は神戸市より「神戸大使」の委嘱を受けている。
このライブの収益およびグッズの収益などから、ライブ実施にかかる諸経費を差し引いた金額、さらに会場内での募金やオフィシャルHP[1]内で、ファンクラブ会員向けに行うオークションの落札額をあわせ、毎年同市東灘区にある「あしなが育英会・レインボーハウス」に寄付。KOBE MEETING当日に目録贈呈が行われるほか、その年の募金額はオフィシャルHPで発表の上、平松自らが現地へ赴き寄贈を続けている。