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尾方 剛(おがた つよし、1973年5月11日 - )は、広島県安芸郡熊野町出身の中国電力陸上競技部所属のマラソン・陸上選手。血液型は、B型。身長は、165cm。体重は、50kg。
- 広島県立熊野高校3年時の1991年の国体1万mで2位となり、当時高校歴代3位の快記録をマークした。
- 山梨学院大学では、2年時(1994年)に箱根駅伝10区で区間賞を獲得するなどで活躍。山梨学院大学2度目の優勝の締めくくりを果たした。
- しかしその後の競技生活は低迷。ストレスから全身脱毛症になったこともあった。
- 1996年に中国電力に入社。しばらくは低迷した状態だったが、1998年頃から駅伝などで本来の力を発揮し始める。
- 初マラソンは1999年の福岡国際マラソンだったが、24位。その後2002年ロッテルダムマラソンは16位、2001年東京国際マラソンでは途中棄権。
- 2001年のベルリンマラソンでは日本人トップの4位。2002年の福岡国際マラソンで2位となる。2003年の世界選手権(パリ)の男子マラソンでは12位。同年福岡国際マラソンでアテネオリンピック男子マラソン代表選出を目指したが6位に終わった。
- 2004年11月6日に長男が誕生。
- 2004年の福岡国際マラソンで初優勝を果たす。2005年にヘルシンキで開催された世界陸上選手権の男子マラソンでは、2時間11分16秒の好成績で銅メダルを獲得した。なお、この男子マラソンの銅メダルについては「女子の金メダルに匹敵する」と陸連上層部でも高評価を得た。
- 2006年の第11回全国都道府県対抗男子駅伝競走大会ではNHKテレビのゲスト解説を、2008年箱根駅伝では、1月2日のNHKラジオ解説を務めた。
- 2007年に大阪で開催された世界陸上選手権の男子マラソンでは、2時間17分42秒のタイムで日本人トップでゴールしたが、惜しくも2大会連続のメダル獲得はならず、5位入賞に留まる。しかし男子マラソン団体戦では3大会連続で金メダルを獲得した。
- その後、翌2008年9月開催予定の北京オリンピック男子マラソン代表は、最後の3番目で東京マラソンで2位に入った藤原新(JR東日本)との争いとなった。結果、世界陸上男子マラソンで日本人最高位と、前回世界陸上銅メダリストという大きな実績を残したことが決め手となり、同年3月10日に中国電力の同僚である佐藤敦之と共に、念願の北京五輪男子マラソン代表へ正式に決定した。ほか男子マラソン代表選手は、尾方と同じ山梨学院大学の3年後輩だった大崎悟史(NTT西日本)である。
- 中国電力の坂口泰監督は「尾方は努力の選手」と言い切っている。
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