小田急キハ5000形気動車
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小田急キハ5000形気動車 | |
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最高速度 | 101km/h |
最大寸法 (長/幅/高) |
20,560×2,744×3,855(mm) |
質量 | 40t(運転整備重量)38t(空車)[1] |
機関出力 | 定格出力180PS/1500rpm 最大出力235ps/1800rpm DMH17B1*×2 |
駆動方式 | 液体式 |
変速段 | 変速1段直結1段 TC-2×2 減速比=1:2.976 |
台車形式 | TS-104(キハ5000形) TS-104A(キハ5101) TS-104B(キハ5102) |
ブレーキ方式 | 自動空気ブレーキ |
保安装置 | ATS-S |
備考 | * キハ5100形5102号車はDMH17C |
キハ5000形気動車(キハ5000がたきどうしゃ)は、小田急電鉄で使用されていた気動車(ディーゼルカー)である。
なお本稿では、増備車のキハ5100形気動車(キハ5100がたきどうしゃ)についても記載する。
目次 |
[編集] キハ5000形
小田急の国鉄御殿場線への「片乗り入れ」に際し、1955年に東急車輛製造にて2両、製造された気動車である。それぞれ、小田急キハ5000形5001号車・5002号車と名づけられ、価格は1両約2,100万円であった。なお、本形式は、小田急電鉄(旧・小田原急行鉄道および東京急行電鉄(大東急)時代を含めて)初の気動車であったほか、試作であった国鉄キハ50形に次ぐ日本初のDMH17形の2エンジン実用車であり、日本初の優等列車専用の気動車でもある。
[編集] キハ5100形
1956年に検査時の予備車として1両が、国鉄御殿場線への片乗り入れが好調であったことから1959年にもう1両が、東急車輛製造にてキハ5000形の増備車として登場した。キハ5000形とは、座席の間隔と窓の数が異なっている。
[編集] 諸元
[編集] 形式・番号
- キハ5000形:5001号車・5002号車
- キハ5100形:5101号車・5102号車
[編集] 艤装
- 全長:20560mm 全幅:2744mm 全高:3855mm
- 自重:40t(運転整備重量)38t(空車)(キハ5000形)、37t(キハ5100形)
- 台車:1軸駆動、ウイングばね式のTS-104(キハ5000形)、TS-104A(キハ5101)、TS-104B(キハ5102)
- 9mm厚のプレス鋼板を溶接で組み立てたウイングバネ式・オイルダンパ装備の1軸駆動台車で、軽量化・剛性の確保に考慮した高速防振台車として東急車輛で設計・製作されたものである[2]。ブレーキ装置は長距離の勾配線区の走行に備えて両抱式としている。
- 機関:DMH17B1×2(キハ5000形、キハ5100形5101号車)、DMH17C×2(キハ5100形5102号車)
- 出力:定格出力180PS/1500rpm、最大出力235ps/1800rpm×2[3](DMH17B1)
- 変速機:TC-2×2[4]
- 減速比:1:2.976
- DMB17B1は水冷4サイクル、直列8気筒、排気量16.98lで国鉄DMH-17Bから予燃焼室と圧縮比の16から17への変更など[5]で定格出力を160PSから180PSに増強した他、燃料噴射ポンプ、軸受メタル、シリンダライナ、起動電動機などを改良したものである。また、燃料消費率も195g/PS/hから190g/PS/hと若干改善されている[6]。
- エンジンは2台のうち1台を選択して運転することも可能となっていた。
- 夏期の25パーミル運転時の冷却水沸騰を防止するため、放熱器[7]に水を噴射する機関冷却水散水装置をキハ5100形に設置した。
- DMH17系の2エンジン車は国鉄キハ50がキハ5000形登場の前年の1954年に2両試作されていたが、全長22000mm、台車中心間長15700mmと大形で使用線区にも制限があるものであったが、キハ5000形では全長20560mm、台車中心間長14300mmと通常のサイズとすることに成功した。なお、国鉄でも1956年からキハ51形がほぼ同じ全長20600mm、台車中心間長14300mmで製造され、同じ御殿場線でも使用されている。
- 制動方式はキハ10系のDA-1系に中継弁を追加して改良を施したDAR式として、ブレーキの遅れの解消と空気消費量の減少を図ったが、これは後の国鉄キハ57系と同形式のものである。空気圧縮機はレシプロ式3気筒、容量630l/minのC-600を機関からベルト駆動する。
- 電気回路は基本的にはキハ50形と同一であるが、2基の機関を別個に始動、停止ができるようにしたほか、表示灯回路も機関ごとに設置、電源回路を2機の発電機ごとに2ブロックに分離、帰路回路を帰路スイッチ経由でバッテリーに戻す回路[8]に変更するなどの改良がなされた。
- 性能:平坦線最高速度101km/h、25パーミル勾配速度:46km/h、燃料消費量(新宿-御殿場)0.71l/km・(松田-御殿場)1.42l/km
[編集] 車体
- 両運転台
- 定員:
- 5000形:94名(1957年に82名に変更)
- 5100形:82名
- 正面は2100形同様の貫通扉付きのスタイルであるが、正面窓が大きい、国鉄乗り入れの関係で尾灯が腰部にある、窓枠が軽合金製製であるなどの特徴がある。キハ5100形では正面窓の幅が800mmから730mmに狭まり一般的な小田急スタイルに近くなっている。後に正面窓が2400形と共通の小さなものに変更されたてHゴム支持化されたが、2100形と同様に枠が残った。
- 側面は片側1扉(手動)で各ボックスに1箇所ずつ幅1000mm×高850mmの2段上昇式の窓が配置される。窓配置はキハ5000形がd13Dd、キハ5100形がd11Dd、また、窓枠が2200形までの木枠から2300形同様の軽合金枠に変更となった。運転台直後の窓および扉の窓には御殿場線内でのタブレット交換時のガラス破損防止用の保護棒と網が設けられており、この網を車両限界内に納めるため、車体幅が他の小田急車より狭い2620mmとなっている。
- 車体構造は2100形と同様の軽量構造であり、台枠横梁には軽量穴が設けられているが、通常の気動車と異なり外板2.3mm、屋根1.6mmと電車と同じ板厚[9]であった。
- 内装は壁面がクリーム色の2.5mmデコラ板、天井が白色の1.2mm鋼板、床が1.6mmの鋼板に3mmの暗緑色の床材で構成された他、座席はエンジ色のビニロンモケットの座布団と背摺にビニール製の白色枕カバーが付、カーテンはクリーム色、荷棚などの金物は真鍮にクロームメッキのものであった。また、トイレ付、室内灯は24V40W×15、20W×12(キハ5000形)もしくは24V40W×11、20W×10(キハ5101号車)のいずれも白熱灯であった。
- 扉は片引戸で高さ220mmのステップがあり、御殿場駅と新宿駅の2種のホーム高さに対応するよう補助踏み段が設けられていた。なお、床面高さは1200mmで電車より30~40mm程度高かった。
- キハ5102号車では正面貫通扉に幌枠が付き、小田原方に幌をつけ、重連時には通り抜けできるようになったほか、室内灯の蛍光灯×20化、前照灯のシールドビーム化、前面下部のステップの小型化などの変更がなされた。なお、残りの3両も1959年中にこの仕様に改造され、小田急タイプの貫通扉手摺りも撤去された。
- 座席配置は固定クロスシート(いわゆるボックス式シート)でキハ5000形では営業上の要請から1320mm間隔と狭いものとして定員94人を確保していたが、キハ5100形では1520mmに拡大し、定員を82名とした(キハ5000形も後に同仕様に改造された)。同様の理由でキハ5000形では狭かった運転室の奥行きもキハ5100形では100mm延長された。なお、キハ5000形では車体中央のボックスの片側を煙道としていたがキハ5100形は背摺りの間に間隔をとって煙道を配置した。
- 1962年2月までに天井に扇風機が1両あたり5基設置された。
- 塗装
- キハ5000形及びキハ5100形5101号車は、当時の小田急特急色であった『ダークブルーにオレンジイエロー』で登場。その後、キハ5100形5102号車登場に伴い、『クリームに朱帯』となる。
- キハ5100形5102号車は、当初から国鉄キハ55系気動車の「国鉄準急色」に近い『クリームに朱帯』を採用したが、これは当時の社長の安藤楢六自身が東京都電を基に決定したものである。
- キハ5001、5002、5101号車も後に同じ塗装となったが、前述の幌枠設置などの改造と同時に塗装が変更されたのはキハ5001号車のみで、5002、5101号車は当初塗装のみ変更されため、短期間ながら旧形態で新塗装の時期があった。
[編集] 歴史
- 1955年8月 キハ5000形5001,5002号車竣工
- 1955年9月10日 小田急線内での性能試験及び習熟訓練運転開始
- 1955年9月20日 御殿場線内での性能試験及び習熟訓練運転開始
- 1955年10月1日 "特別準急"という種別で小田急新宿駅-御殿場駅間に、「銀嶺」・「芙蓉」の列車愛称をもって毎日各1往復ずつの運行を開始
- 1956年6月 キハ5101形5101号車竣工
- 1956年7月 多客期に3連での運航を開始
- 1957年 キハ5001、5002号車座席配置改造認可
- 1959年5月 キハ5100形5102号車竣工
- 1959年7月2日 「朝霧」・「長尾」2往復を増発し、4往復体制となる
- 1959年6月8日 キハ5001、5002、5101号車室内灯蛍光灯化、前照灯シールドビーム化、幌枠設置改造認可
- 1959年6月 キハ5001号車幌枠設置、前面ステップ小型化、前照灯シールドビーム化改造施工、塗装変更実施
- 1959年9月19日 皇太子が新宿から御殿場までご乗車
- 1961年8月 キハ5100形に機関冷却用散水装置設置[10]
- 1968年6月30日 御殿場線が翌7月1日に電化されることに伴い運用離脱
- 1968年7月1日 キハ5000形キハ5001、キハ5101形5002、5101、5102号車廃車
- 1968年12月13日 キハ5001、5002、5101、5102号車を関東鉄道が譲受の認可
- 1968年12月19日 キハ5001、5002、5101、5102号車形式変更届出、それぞれキハ751形751、752号車、キハ753形753、754となる
- 1969年1月28日 キハ751、752、753、754号車車体改造、ロングシート化改造認可
- 1988年3月31日 キハ751、753号車廃車
- 1988年9月30日 キハ752、754号車廃車
[編集] 運行
- 1955年10月1日の改正から1日2往復(午前1往復:銀嶺、午後1往復:芙蓉)で運行された。行路は以下のとおりで所用時分は約105分。
- 905 新宿7:30→御殿場9:13
- 906 御殿場10:35→新宿12:20
- 907 新宿13:25→御殿場15:11
- 908 御殿場17:40→新宿19:26
- 1957年当時の行路は以下のとおり
- 回2905B 経堂6:59→新宿7:15
- 2905銀嶺 新宿7:30→御殿場9:10
- 2906銀嶺 御殿場10:40→新宿12:20
- 回2906A 新宿12:24→経堂12:40
- 回2907B 経堂12:59→新宿13:15
- 2907芙蓉 新宿13:30→御殿場15:18
- 2908芙蓉 御殿場18:02→新宿19:42
- 回2908A 新宿19:51→経堂20:18
- 1959年7月2日から1日4往復(銀嶺、朝霧、芙蓉、長尾)に増強された。1964年11月5日改正時点での行路は以下のとおり。
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- 列車は号車指定の定員制であった。
- 乗客数によっては朝の列車を2~3両編成で御殿場まで運行し、御殿場で1~2両を開放して構内に留置、夕方の列車に連結して戻るという運用が行われた。なお、冬季でも機関を停止して留置していたため夕方の機関始動に苦労をしたという逸話が残っている。
[編集] 廃車・譲渡
[編集] 廃車
- 御殿場線の電化により直通の任務を3000形「SSE」に譲り1968年に廃車された。
[編集] 関東鉄道キハ751形・キハ753形
- 廃車後に4両とも関東鉄道に譲渡され、それぞれキハ751形751・752とキハ753形753・754となったが、この際に日本車輌製造でブレーキ装置の変更、乗降扉の増設(外吊り式2箇所を追加し片側3扉に変更、キハ751形がd1D5D5Dd、キハ753形がd1D4D4Ddとなった)、ロングシート化、便所の撤去などの改造を実施している。また、機関を150/160PSの1エンジン車と換装する工事も実施されている。改造後の諸元は以下のとおり。
- 自重:39.5t(キハ751形)、38.5t(キハ753形)
- 定員:110(うち座席62)名
- 機関(1983年時点):DMH17B1×1/DMH17BX×1(キハ751)、DMH17×1/DMH17B×1(キハ752)、DMH17B×2(キハ753)、DMH17×1/DMH17B1×1(キハ754)[11]
- 塗装は当初は下半分オレンジ、上半分クリーム色をベースに、車体裾部にクリーム色、オレンジ部分の上辺に赤色、幕板上部分にオレンジ色のそれぞれ細帯を入れたものであった。
- 関東鉄道では2エンジンのまま、同じく小田急から譲渡された元1600形のキクハ1形1~4とキサハ65形65~67などと組んで常総線で使用された。
- 老朽化のため、1988年に国鉄から購入した元国鉄キハ30系のキハ300形に置き換えられる形で廃車となった。
[編集] その他
- 当初は小田急には内燃車の運転資格を有する社員がいなかったため、「気動車」を運転することは出来なかったが、日本国有鉄道千葉鉄道職員養成所で乗務員5名、助役3名と検車掛8名に教育を受けさせた。
- その後は社内で最初の8名により、さらに運転士5名の養成が2度行われた。
- さらに「動力車操縦者運転免許に関する法律」発効後の1962年には経堂の教習所で甲種内燃車の5名の養成が行われて気動車の運転士は20名となった、なお、同様に気動車(熊谷線(廃止)のキハ2000形)を持っていた東武鉄道の運転士3名も同時に養成が行われた。
- 気動車の特長を活かして、事故時の救援車として使用されることもあり、1961年の多摩川での踏切事故時にも、橋梁から転落せずに線路上に残った2400形2両を経堂まで重連で牽引した。また、御殿場線電化後も救援車として残すことが検討されたが実現しなかった。
[編集] 鉄道模型
- Nゲージでは、かつてKitcheNよりキハ5000形とキハ5100形が金属製ボディーキットとして販売されていた。
- HOゲージでは、かつてモデル8よりキハ5000形とキハ5100形が金属製ボディーキットとして販売されていた。
[編集] 参考資料
- 能村武雄「小田急キハ5000形要説」」『電気車の科学 第90、91号』
- 「小田急の・・・・新宿-御殿場直通運転試乗記」『電気車の科学 第91号』
- 生方良雄「私鉄車輌めぐり(37) 小田急電鉄」『鉄道ピクトリアル No.99-102』鉄道図書刊行会
- 生方良雄「私鉄車輌めぐり 小田急電鉄(補遺)」『鉄道ピクトリアル No.143』鉄道図書刊行会
- 生方良雄「御殿場線乗り入れ列車の思い出」『鉄道ピクトリアル No.546』鉄道図書刊行会
- 川島常雄「新宿-御殿場間直通列車 キハ5000形に乗務した頃」『鉄道ピクトリアル No.679』鉄道図書刊行会
- 生方良雄「小田急の特急ロマンスカー」、刈田草一「小田急ロマンスカー運転史」『レイル No.1』プレス・アイゼンバーン
- 深谷則雄、宮崎繁幹、八木邦英『小田急電車回顧 別巻』多摩湖鉄道出版部
- 私鉄倶楽部「関東地方のローカル私鉄 現状5 関東鉄道」『鉄道ピクトリアル No.418』鉄道図書刊行会
- 『私鉄の車両8 関東鉄道』保育社
[編集] 脚注
- ^ キハ5100形の空車重量は37t
- ^ のちの国鉄DT22と外観上は似ているが、荷重を側受のみで支持し、ボルスタは牽引力のみを伝達する構造である点が異なる
- ^ 定格時トルク:86kgm、燃料ポンプ:ボッシュ形PE8B90、振興造機(現・神鋼造機)製
- ^ 変速1段直結1段手動変速、乾式単板クラッチ、振興造機製
- ^ そのほかピストン頂部の形状変更、予燃焼室の変更により予燃焼室対全燃焼室比を40%に変更、墳口数の変更を実施
- ^ DMH17系のエンジンは当時国鉄では160PSであったが、私鉄においてDMH17B1やDMH17BXなどの180PSのエンジンを搭載した車両が登場していた
- ^ キハ5000形では機関冷却水用×11、コンバータ油用×3、機関油用×2であったが、散水装置設置車ではエレメントを減らしていた
- ^ キハ50はマイナス側をまとめて車体に落としている
- ^ 日本における鋼製車体の気動車は軽量化のため外板板厚を1.6mmとするのが一般的である
- ^ キハ5100形の機関冷却用散水装置の設置時期については文献により記述が異なり詳細は不明
- ^ DMH17/DMH17B:160PS/1500rpm、DMH17B1/DMH17BX:180PS/1500rpm、なお、キハ751~753に計6台搭載されていた6台のDMH17B1のうち換装された4台はキハ610形612、キハ700形702、キハ703形703、筑波鉄道キハ760形763が搭載していた
[編集] 関連項目
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過去に運用していた車両 | ||||||||
1600形・1700形・1910形・2300形・2320形・3000形「SE」・「SSE」・3100形「NSE」・キハ5000形・キハ5100形(御殿場線直通用) |