小室ファミリー
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小室ファミリー(こむろファミリー)とは、音楽プロデューサーの小室哲哉がプロデュースまたは楽曲提供した歌手たちを呼ぶ総称。
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[編集] 概要
1994年から小室プロデュース作品が軒並みヒット。ファミリー入りするための定義はないが、小室プロデュースの曲が代表曲になると、たとえ1曲の提供であってもファミリーだと世間的に認知される事が多い。また、小室の右腕とされる久保こーじのプロデュースも含まれ、小室ファミリーと定義される歌手は100組を軽く超えるとされる。
なお、TM NETWORKや渡辺美里、浅倉大介、松本孝弘、FENCE OF DEFENSEなど、1980年代から、小室のプロデュース業が顕著になった1994年までの間に小室と関係のあったミュージシャンは小室ファミリーに含まれないことが多く、TM NETWORK関連アーティストとして、TMファミリーといって区別されるケースが多い(ただし、久保こーじは小室ファミリーに分類されることが多い)。
また、2002年に「songnation」として、小室から楽曲提供されたavex系アーティストたち(浜崎あゆみ、BoA、倖田來未、Every Little Thingの持田香織、元Do As Infinityの伴都美子、m-floのVERBALなど)と玉置成実(2005年にTM NETWORKの「Get Wild」をカバーしている)、バブル青田(2006年に「ロンドンハーツ」(テレビ朝日)の企画で小室がプロデュースを手掛けた)、次長課長などH Jungle with tを除く吉本芸人も、1990年代の小室ブームから時期が外れているため、小室ファミリーに分類されることは少ない。
このことを考えると、「小室ファミリー」とは、下記に挙げられた1994年~1999年にかけて小室からプロデュース、または楽曲提供されて、デビューもしくはブレイクした歌手のことを指すと考えるのが妥当であろう。
隆盛時は小室神話によって、『ASAYAN』などでは小室名義のオーディションが数回企画されたり、有望新人を小室プロデュース曲でデビューさせることが流行った。しかし鈴木あみ以外思うような売上が出ず、皮肉にも同じファミリーメンバーでの競争も起こった。このような形態でデビューし現在も活動している歌手は非常に少ない。1998年からつんくプロデュースが台頭し、また2000年頃から小室自身が、日本の音楽シーンの中心からやや離れたプログレやトランスに傾倒し、ヒット曲を出さなくなるといった活動停滞もあって、小室名義のオーディションは縮小された。
ビーイング所属アーティスト同様、dosやKiss Destination等解散宣言が出されないまま、自然消滅したグループもある。篠原涼子(TPD時代を含めて)やtrfを始め、小室がプロデュースするのは大概2年~3年程である。globeのように10年続くというのは稀有である。これは契約期間が最初から定まっているためであり、小室の手から離れてアーティストを送り出すという意味合いもあるのだが、悪い印象を持つものもいる。
[編集] 主なファミリーメンバー
- 内田有紀
- hitomi
- H Jungle with t
- dos
- 大賀埜々
- 天方直実
- TRF(Tetsuya komuro Rave Factory)
- 安室奈美恵
- 華原朋美
- globe
- 観月ありさ
- 篠原涼子
- 鈴木あみ
- Kiss Destination
- Ring
- トーコ
- 未来玲可
※順不同。単発及び、現在は別プロデュースのミュージシャン、歌手も含む。
1997年1月1日には、プロデュースしてきた歌手などに声をかけ「TK presents こねっと」として『YOU ARE THE ONE』をリリース。「こねっと」とは「子供ネットワーク」からきており、小学校にインターネットを普及させようとする小室独自のプロジェクトの名称である。この活動に参加した歌手達を小室ファミリーの集大成・最盛期と見る人も多い。
[編集] 小室ブーム
小室ブーム(こむろブーム)とは、1990年代半ばに起こった、小室哲哉のプロデュース楽曲がオリコンチャートの上位を埋め尽くした現象のこと。
[編集] ブーム到来
1992年~1993年、バンドブームが衰退し、「ビーイングブーム」が起こった。その後、ビーイングブームの衰退と前後して、1994年TM NETWORKの終了の頃から複数のアーティストへのプロデュースを本格化し、trf、ANISS、大谷健吾、hitomiによる小室ファミリーの原型ができ上がった。しかし、trf、ANISS、hitomiのデビュー曲ではオリコンチャートの100位以内にも入ることができず、ラジオでもOAされることは少なかった。また、ソニー所属である小室が他社の作品をプロデュースすることに対する反感も相当強かった。
しかし、trfの「EZ DO DANCE」(最高位15位)や「寒い夜だから…」(初登場16位、最高位8位、当初はノンタイアップ)などがロングヒットし、中森明菜の「愛撫」がカップリング曲ながら注目を集め、東京パフォーマンスドールの篠原涼子が「篠原涼子 with t. komuro」名義で出した「恋しさと せつなさと 心強さと」が、初登場27位からチャート1位まで上昇し、大谷健吾が原宿を中心に人気を集め(オリコン「The Ichiban」などのアンケートで上位に入った)、ここからプロデューサーとしての小室哲哉に注目が集まった。trfは「survival dAnce ~no no cry more~」「BOY MEETS GIRL」「CRAZY GONNA CRAZY」など5作品連続でミリオンセラーを記録、ダウンタウンの浜田雅功に「H jungle with t」名義で提供した「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」が予言通りダブルミリオンを獲得したことでプロデューサーとしての地位を確固たるものにした。(小室哲哉の主なプロデュース作品は、「小室哲哉提供楽曲一覧」参照)
楽曲提供のみに留まらず、エンジニアリングからA&R業務までのプロジェクト全体を統括するプロデューサーとして業界内でも期待を集めたが、1994年から95年前半のAntinosによる欧米型マネージメント体制(ワン・アーティスト/ワン・マネージメント)は、プロデューサーとしての楽曲大量生産に対応できるものではなく、やがて破綻した。楽曲製作以外の部分を肩代わりする存在の出現が望まれ(1994,オリコン年鑑など)、プライム・ディレクションやバーニングなどによる集団管理体制が次第に構築されていった(月刊 Views, 1996年8月号, 講談社など)。
この体制の元でglobe、dosなどがデビューし、安室奈美恵、華原朋美などのプロデュースとともに成功を収め、1996年から1997年にかけて、いわゆる小室ファミリーによる小室サウンドが大量生産されていった。また、広告代理店の電通内に小室哲哉チームが作られ、単なるタイアップ曲の枠を越えて、コンサートの冠スポンサー、ウェブサイト「TK Gateway」との連携など重層的なメディアミックスが仕掛けられた。この時代にプロデュースを受けたアーティストが、小室ファミリーに分類されることが多い。
ただし、華原朋美は予想外のブレイクにより歌謡曲指向への転換を余儀なくされ、華原朋美のリミックス作品が発売中止となった。同レーベルよりデビューしたH.A.N.D.のプロデュースがアルバム1枚で終わり、海外向けプロジェクトEUROGROOVEが終了するなど、小室哲哉の活動の方向性も大きく転換することとなった。また、小室ファミリーの肥大化は、集団管理体制にも綻びを徐々に生じさせていくこととなった。
[編集] 衰退
1997年頃から新たなムーヴメントが起こり、CD不況の煽り、新たなジャンルの確立、新たなプロデューサーの台頭により、1998年ごろから小室プロデュース作品は徐々に失速を始めていった。1997年に安室奈美恵「CAN YOU CELEBRATE?」が年間ランキング1位を獲得したものの、翌98年には小室作品がTOP30にランクインしないなど、その失速は急激なものだった。
- 1997年、GLAYから始まったベストアルバムブームで、再び1990年代前半のアーティストが注目されるようになった(B'z、サザンオールスターズ、ZARD、松任谷由実など)。
- 1999年~2001年に宇多田ヒカル、倉木麻衣などのR&Bブーム。
- 浜崎あゆみ、MISIA、小柳ゆきなどの新たな「歌姫」(女性ソロシンガー)の登場。
- Mr.Children、SPEED等トイズファクトリー勢のセールスの向上。特にSPEEDは同世代の中高生の人気がかなり高かった。
- モーニング娘。等のつんくファミリーの台頭。SPEEDと入れ替わるように、同世代の人気を掌握した。
- 小室プロデュースからの独立。
これらの影響が一気に押し寄せてきたため、1998年のglobeがレコード大賞受賞したのを最後に一連の賞レースから遠のくこととなった。
[編集] 主なチャート記録
- 安室奈美恵「CAN YOU CELEBRATE?」で、邦楽女性ソロアーティスト売上歴代1位を獲得。
- H Jungle with t「WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント~」で、お笑い芸人によるCD売上歴代1位を獲得(EPを含めると歴代2位)。
- 日本レコード大賞で、1995年:trf「Overnight Sensation~時代はあなたに委ねてる~」、1996年:安室奈美恵「Don't wanna cry」、1997年:安室奈美恵「CAN YOU CELEBRATE?」、1998年:globe「wanna Be A Dreammaker」と、プロデュース作品が4年連続大賞獲得。
- オリコン作詞家・作曲家ランキングで4年連続1位(1994年~1997年)。
- オリコン編曲家ランキングで3年連続1位(1995年~1997年)。
- 1996年4月15日付のシングルランキングで、小室ファミリーが上位5位を独占(安室奈美恵、華原朋美、globe、dos、trf)。同じプロデューサーの独占は1993年7月5日付にビーイング勢が獲得して以来。
- 年間アーティスト・トータルセールス、1994年~1996年の間、小室プロデュースアーティストが首位獲得。(94、95年、trf、96年、globe)
- ソロおよび自身が参加したユニットとしては、TMN時代と含めると、6つのユニットで1位を獲得している。(ソロ、TMN、篠原涼子 with t.komuro、H Jungle with t、globe、TK presents こねっと)
- 94年、篠原涼子 with t.komuro「恋しさと せつなさと 心強さと」、95年、H Jungle with t「WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント~」、96年、globe「DEPARTURES」、97年、安室奈美恵「CAN YOU CELEBRATE?」のダブルミリオン作品を4年連続でヒットさせた。
- 著作権使用料の分配額で決定されるJASRAC賞においても、小室が作詞・作曲を手がけた楽曲が最優秀賞である金賞を4回(1994年・1995年・1996年・1998年)獲得している(史上最多)。