富岡定俊
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富岡 定俊(とみおか さだとし、1897年3月8日 - 1970年12月7日)は、日本の海軍軍人、華族。最終階級は海軍少将。男爵。
[編集] 経歴
広島県出身。富岡定恭海軍中将の長男として生れる。高千穂中学校を経て、1917年11月、海軍兵学校(45期)を卒業。同年7月には、父の死去に伴い男爵を襲爵。駆逐艦「帆風」航海長、給油艦「尻矢」航海長、第2艦隊参謀などを経て、1929年11月、海軍大学校(甲種27期)を首席で卒業。
フランス駐在(国際連盟海軍代表部)、「衣笠」航海長、軍令部出仕兼参謀、第7戦隊参謀、海軍省人事局第1課局員、第2艦隊参謀、海大教官、軍令部第1部第1課長を歴任、「大淀」艦長、南東方面艦隊参謀副長などを歴任し、1943年11月、海軍少将に進級。南東方面艦隊兼第11航空艦隊参謀長を経て、終戦時には軍令部第1部長であった。アメリカ海軍の戦艦ミズーリで行われた降伏文書調印式には随員として参加している。戦後、海軍省出仕(資料調査)、第二復員省大臣官房史実部長を歴任。資料調査会理事長を勤めた。
[編集] 著書
- 『開戦と終戦』毎日新聞社、1968年。
[編集] 資料
- 史料調査会編纂『太平洋戦争と富岡定俊』軍事研究社、1971年。