宮川大助・花子
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宮川大助・花子(みやがわだいすけ・はなこ)は漫才コンビ。所属事務所は吉本興業。2人は実際の夫婦である。
いわゆるしゃべくり漫才のベテランコンビ。なんばグランド花月(NGK)の舞台に出演している。
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[編集] メンバー
- 宮川大助
- 漫才ではツッコミ担当 血液型はB型
- 本名 松下孝美(まつした たかみ)
- 1950年10月3日生まれ
- 鳥取県西伯郡余子村大字竹内(現境港市竹内町)出身
- 鳥取県立米子工業高等学校卒業
- 師匠は宮川左近(宮川左近ショー)
三菱電機勤務を経て芸能界入り。吉本内では池乃めだか、メッセンジャー黒田、田村裕(麒麟)と並んで「物凄い貧乏生活を経験した吉本芸人」と称されることがある。
- 宮川花子
- 漫才ではボケ担当 血液型はAB型
- 本名 松下美智代(まつした みちよ)
- 1955年8月28日生まれ
- 大阪府大阪市出身
- 師匠はチャンバラトリオ
- 弟子入り前は婦人警察官であった。しかし、近年、テレビ番組においては婦警ではなく「元警備会社」と紹介されていた。
漫才ではかかあ天下であるが、実生活では亭主関白であるとされる。2006年、結婚30周年(真珠婚式)を迎えた。
弟子は沖縄出身でクイズ!紳助くんで活躍する宮川たま子。
[編集] 芸歴
以前は、大助は宮川小助と「大助・小助」(松竹芸能所属)というコンビを組んでいたが解散。一時芸人を廃業していたが、1979年、大助が妻である花子を誘い「宮川大助・花子」を結成する。当初は大助がよく喋り、花子が相槌を打つ役割であったが、周囲の勧めもあって現在の花子がよく喋り、大介が相槌を打つ形に変更して評判になる。その後上方漫才の賞をいくつも獲得し(後述)、現在の地位を確立。
しかし、1988年頃から花子が体調を崩し、活動を一時休業することもあった(後に胃癌であったことが発表される)。その頃は実生活でも絶望した花子が荒れるなどして夫婦関係の危機もあったらしいが、病気とともに夫婦の危機も克服。以後は漫才のスタイルも多少変化し、花子が大助を一方的になじるような形から、花子が大助の人柄を観客に自慢するようなオノロケも見られるようになった。後に「愛を見つけた」と言う著書を出版し、ドラマ新銀河「愛を見つけた」と言う題でドラマ化された。
漫才では花子が主導権を握っているが、ネタはすべて大助が考え、稽古の主導権も握っている。花子はそれに従うというスタイルである。とはいえ、大助は封建的なまでに亭主関白という訳ではなく、実際の夫婦仲は良い。大助は浮気のスキャンダルが何度となく発覚しているがそれすらもネタ(公開謝罪会見を行なうなど)にする気骨を見せ、大半の夫婦漫才コンビが離縁する中で「大助・花子」は数少ない現役夫婦コンビである。
2007年2月、大助が軽度の脳出血により入院・加療のため休業することが発表され、同年5月まで大助の療養中は花子が一人でステージに立っていた。大助が倒れた当初、花子は娘に「棺桶をもう一つ用意して」と、心中をも覚悟したと後に語っている。5月24日にNGKにて復帰。
[編集] 受賞歴
- NHK上方漫才コンテスト 優秀努力賞(1979年)
- 上方お笑い大賞 銀賞(現・最優秀新人賞)、金賞、大賞
- 上方漫才大賞 新人賞、奨励賞、大賞
- 花王名人大賞 新人賞、名人賞
ほか
[編集] 出演作品
- テレビ
- マイルド欽ドン! (フジテレビ) - 当初大助のみ出演の予定だったが、特別出演した花子が予想外に好評だったため、結局二人で出演することになった
- バラエティー生活笑百科 (NHK)
- 新・天までとどけ (TBSテレビ)- 大助のみ(標準語によるセリフを使っていた)
- 旅の香り (テレビ朝日)
他、関西ローカル番組や演芸番組、NHK大阪放送局制作のNHK朝の連続テレビ小説にしばしば出演。
- 映画
- 男はつらいよ 寅次郎紅の花 (阪神大震災に被災した神戸のパン屋の夫婦役)
[編集] 関連項目
- 竹内村 - 出身地
- 大助の元相方は小助は現在の松竹芸能所属の宮川青丸・とん子の青丸にあたる。