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安岡正篤 - Wikipedia

安岡正篤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

安岡 正篤やすおか まさひろ1898年明治31年)2月13日-1983年昭和58年)12月13日)は、陽明学者・東洋思想家。

目次

[編集] 経歴

現在の大阪市中央区生まれ。1922年大正11年)に東京帝国大学の卒業記念として執筆され出版された『王陽明研究』が反響を呼ぶ。文部省に入省するも半年で辞し、「東洋思想研究所」を設立する。拓殖大学東洋思想講座講師をする傍ら「金鶏学院」・「日本農士学校」などを創設、東洋思想家・東洋古典研究家として軍部革新官僚華族などに影響を与え、その名を馳せた。北一輝大川周明猶存社のメンバーでもあった。年上である八代六郎(元海軍大将)、山本五十六、更には蒋介石などとも親交があり、二・二六事件の首謀者西田税らに影響を与えた一人とも言われる。また戦時中には大東亜省顧問として外交政策などに関わった。

敗戦後、安岡が創設した各団体や学校は連合国軍最高司令官総司令部により解散を命じられ財産は没収、安岡自身も大東亜省奉職を理由に公職追放される。その後は「師友会」(後の全国師友協会)を結成、機関紙『師と友』の発行や全国各地を巡っての講演、更にはラジオによる講話などを通じた東洋古典思想の普及活動に転じた。一方で政財界とのパイプは保ち続け、自民党政治の中で東洋宰相学、帝王学に立脚し元に常に政治家たちの「精神的指導者」「陰の御意見番」、「首相指南役」の位置にあったとされる。GHQによる「3S政策」の存在の可能性を著書『運命を創る―人生訓―』(プレジデント社・1985年)中で唱えた。 安岡自身は政治の表舞台に出ることを好まず、その生涯の多くは東洋古典の研究と人材育成に捧げられた。

「全国師友協会」は遺言もあって解散したが、各地域の支部がそれぞれ独立した団体として活動を続け、その思想を継承している。

[編集] 主な事績等

戦前にあっては血盟団事件に「金鶏学院」の関係者が多く連座したため安岡も一時関与を疑われた。また安岡が、五・一五事件二・二六事件の首謀者の一員とされる大川周明北一輝と東京帝国大学時代に親交があったことからこれらの事件への関与を指摘する向きもあるが、安岡自身はこのことについて何も語っておらず、現在ではこれらへの関与を否定する見方が一般的である。一方で特に海軍関係者との親交や大東亜省顧問としての活動が挙げられるが、具体的に何に何処まで関与したかはほとんで明らかにされていない。

戦後にあっては、自民党政治の中で東洋宰相学、帝王学に立脚し、実践的人物学、活きた人間学を元に多くの政治家や財界人の精神的指導者や御意見番の位置にあった。やはりその活動には謎の部分が多いが、安岡を師と仰いだとして知られる政治家には吉田茂池田勇人佐藤栄作福田赳夫大平正芳などが挙げられる。

  • 昭和20年8月15日の終戦の詔書(玉音放送)の草案に対して、加筆したとされる。
  • 歴代首相に施政方針演説の推敲を依頼されていたと言われる。
  • 池田勇人の派閥研究会「宏池会」の命名者である。
  • 佐藤栄作の首相就任前の訪米時に応対辞令の極意を授け、このときのケネディ大統領との会談がケネディに沖縄返還交渉開始を決断させたと言われる。
  • 元号平成」の名を考案したとされる。

[編集] 年譜

葬儀

葬儀は1984年1月25日青山葬儀所で、葬儀委員長に岸信介、同副委員長に稲山嘉寛・大槻文平・田中秀雄。委員に新井正明・江戸英雄平岩外四の各氏により勧行。政界からは中曽根総理を始め、田中福田鈴木の各歴代総理が並び中華民国の馬樹礼、韓国朴泰俊等高官の参列。会葬者は2千有余であった。

再婚

1983年、当時銀座のバーのマダムであった細木数子と再婚の約束を交わした[1]が、当時85歳で、認知症の症状があったと言われ、40歳近く歳の離れた女性との再婚であり、実際の結婚生活がほとんどなかったことから安岡家の親族が猛反対したが、細木が安岡と交わしたとされる「結婚誓約書」なるものを元に、婚姻届を提出し、受理されたことで、安岡家は東京地裁に「細木との婚姻の無効」を求める調停を申し立てた。その翌月安岡は他界。調停は婚姻はなかったこととして、細木が初七日で戸籍を抜く事(結婚生活は、事実上無し)で決着した。


[編集] 著作紹介

[編集] 参考図書

  • 『郷土偉人伝 安岡正篤物語』(奥田哲郎著:河内新聞社刊)
  • 『安岡正篤 人生は難題克服に味がある』 芳村玲好 編著 三五館
  • 『安岡正篤の真実』 塩田潮 編著 ワック
  • 『安岡正篤の研究』 川井良浩 編著 明窓出版
  • 『月刊BOSS』2006年10月号 株式会社経営塾
  • 『金鶏学院の風景』2003年5月 亀井俊郎編著 邑心文庫
  • 『安岡正篤一日一言[1]』2006年7月 安岡正泰編著 致知出版
  • 「愛国団体一覧表」出版地・出版者・出版年未記載。ガリ版。90頁。24cm。オックスフォード大学ボドリアン図書館所蔵。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注

  1. ^ 溝口敦『魔女の履歴書』pp.123-124(講談社2006年)によると、細木は安岡を籠絡した手段について問われた折「お酒よ、お酒。家じゃ飲ましてもらってないようだから、わたしが好きなだけ飲ましてる。お酒で"殺した"のよ」「ドジョウと同じ」と答えたという。


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