宇多川勝太郎
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宇多川 勝太郎(うだがわ かつたろう、本名:宇田川 秀男(うだがわ ひでお)、1939年12月3日-1989年7月24日)は、1960年代に活躍した大相撲力士である。東京都足立区出身。宮城野部屋(入門時は高島部屋)に所属していた。最高位は東前頭3枚目(1962年1月場所)。得意手は左四つ、寄り。現役時代の体格は179cm、110kg。
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[編集] 経歴
近所に住む肉屋の主人(横綱・吉葉山の知人であった)の紹介で、中学3年生の時に高島部屋に入門。その後吉葉山が高島部屋から独立して吉葉山道場を開きさらに引退後、年寄・宮城野を襲名した事に伴い、吉葉山道場から宮城野部屋へと所属が変更している。1954年9月場所にて初土俵を踏んだが、同期には後の横綱・柏戸がいた。柏戸には出世で先行されたものの、1959年5月場所、19歳の若さで十両に昇進。その時の新十両には自身の他、後に柏戸とともに「柏鵬時代」を築く後の大横綱・大鵬がいた。十両は、優勝1回を含む負け越しなしで4場所で通過。1960年1月場所、大鵬と同時に入幕を果たした。この時の四股名は、本名の宇田川。「宇多川」に改名したのは、1961年5月場所である。
しかし、柏鵬と出世を争ったのもここまでであった。左四つで正攻法の相撲は玄人筋からは評価されたが、攻めが遅かった事が幕内上位への定着や三役への進出を阻んだ。1962年1月場所では自己最高位の東前頭3枚目に進出し5勝を挙げるにとどまったものの、初日に大関・北葉山に土を付けた。他、同年7月場所では4日目に大関・佐田の山を破っており、いわゆる「銀星」は計2個挙げている。新入幕から26場所連続で幕内の座を保ったが、1964年5月場所、十両へと陥落。それ以降は十両と幕内を往復するようになり、さらに1967年3月場所では、西十両16枚目で1勝14敗と大負けして幕下にまで陥落した。その後は休場を続け、幕下60枚目まで下がった同年7月場所限り、27歳の若さで引退。引退後は中村や楯山などいくつかの年寄名跡を借りて相撲協会に残っていたが、病気により親方業を続ける事が困難になったため、1977年12月に廃業した。その後ちゃんこ料理店を開いたが、病気のため6年ほどで店を閉めている。
電池仕掛けで、龍の目が光る化粧廻しで土俵入りをした事もあったという。
[編集] 主な成績
- 幕内在位:31場所
- 幕内成績:207勝258敗 勝率.445
- 現役在位:72場所(新序1場所も含む)
- 通算成績:447勝443敗※15休 勝率.502(※新序での2勝1敗も含む)
- 各段優勝:十両1回(1959年9月場所)
[編集] 改名歴
- 宇田川 勝太郎(1955年1月場所-1961年3月場所)
- 宇多川 勝太郎(1961年5月場所-1963年1月場所)
- 宇多川 秀吾(1963年3月場所-1964年1月場所)
- 宇多川 寿雄(1964年3月場所-1964年7月場所)
- 宇多川 勝太郎(1964年9月場所-1965年5月場所)
- 宇多川 雷藏(1965年7月場所-1966年9月場所)
- 宇田川 勝太郎(1966年11月場所-1967年7月場所)