学校体系
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学校体系(がっこうたいけい)とは、学校制度において、進学元学校と進学先学校の接続体系のことである。
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[編集] 学校体系の種類
学校体系には、次のような種類がある。
- 単線型学校体系
- 現在の日本の義務教育制度で行なわれているような、進路によって学校が分かれない教育制度のことである。段階型学校体系とも言われる。
- 分岐型学校体系
- 戦前の日本で行なわれていたような、初等教育が行われる学校の種類は単一に限定されているものの、その後の進路によって学校が分かれる教育制度のことである。
- 一般的には、分岐型学校体系は技術系と学術系を分けやすい教育制度とされる。これが(日本などの)学歴社会の視点からするとエリート(学術)と非エリート(技術)の分別に便利な教育制度とされるが技能系においての高度な教育・資格・職歴が存在する場合そう一概に決められるものではない。
- また一度技能系に分岐した進路から関連する大学の学部に進むことも可能である。フォーク型学校体系とも言われる。
- 複線型学校体系
- ヨーロッパなどで過去に見られた、上流階級用の学校と庶民階級用の学校が、初等教育から高等教育まで一貫して分かれているなど、全国民が共通で学ぶ学校が存在しない教育制度のことである。
[編集] 学校体系の歴史
[編集] 世界
近代より前は、年少者から年長者までの一貫した学校体系が整備されていたわけではなく、大学のような高等教育を行う学校と、庶民の日常生活に必要な読み書き計算を教える学校は、完全に別々なものであった。下級学校を卒業した後に上級学校に進学するという考え方は、比較的近代のものである。
近代になると、年少者から年長者までの広い年代において教育に対する需要が発生し、大学の下には進学元となる予備学校を、庶民の学校の上には進学先となる補習学校を作る動きが生じた。この時に、大学などを基盤として上級学校から下級学校へと整備された学校体系は、下層型学校系統などとも呼ばれ、反対に庶民の学校などを基盤として下級学校から上級学校へと整備された学校体系は、上層型学校系統などとも呼ばれる。
近代のヨーロッパの多くの国々では、下層型学校系統と上層型学校系統が併存する複線型学校体系となったが、後に小学校などの初等教育を行う学校を共通にすることで、分岐型学校体系となった国も多い。単線型学校体系は、その後、分岐型学校体系を更に整理するなどして見られるようになった。
[編集] 日本
江戸時代の日本では、主に庶民の子弟が初等教育を受ける寺子屋と、主に武士の子弟が高等教育を受ける藩校があったが、寺子屋を卒業したら藩校に入学するという制度ではなく、それぞれの学校は、他の学校とのつながりがない単独のものだった。
明治時代から大正時代の学校制度は、尋常小学校卒業後に就職するか、高等小学校に進むか、中学校・高等女学校に進むかなど、比較的早期に進路が決定される分岐型学校体系であり、特に大学などの高等教育段階の学校は、かなり多極化していた。大正時代から昭和初期にかけては、1918年(大正7年)に大学令の制定を始めとして、高等教育段階の学校を大学に統合しようとする動きや、1941年(昭和16年)の国民学校令で義務教育を6年間から8年間へと延長を図る動きがあった。しかし、一部は当時に実現したものの、義務教育の延長が実際にされ、高等教育が本格的に大学に一本化されたのは、1947年(昭和22年)の学校教育法の制定以後だった。
当初の学校教育法では、小学校に続く、3年制の中学校を全入にして、中学校の卒業以後も高等学校を経て大学に進学するという、学校体系の完全な一本化が目指された(ただし、障害児などを対象とする特殊教育では、幼小中高に準じた一貫制の学校が作られた)。しかし、完全に対応しきれない部分もあり、短期大学が認められたり、高等学校では普通科と職業学科(現在の専門学科)への分化が起こったりした。その後は、学校教育法の改正により、学校の種類がいくつか追加されている。近年は、中高一貫教育の増加に伴い、中学校や中等教育学校への入学の際にその後の進路がある程度固まる傾向も見られている。このような事情もあり、現代の日本の学校制度は、完全な単線型学校体系ではなくなってきているともいわれている。
[編集] 主要国の学校体系
- 日本国
- 一般的には単線型学校体系と言われる。ただし、分岐型学校体系のような要素もある(高等専門学校及び中等教育学校制度)と言われている。
- アメリカ合衆国
- 典型的な単線型学校制度である。
- ドイツ連邦共和国
- 分岐型学校体系である。