大阪市立美術館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
||||
---|---|---|---|---|
情報 | ||||
正式名称 | ||||
愛称 | ||||
前身 | ||||
専門分野 | 日本美術、東洋美術 | |||
事業主体 | 大阪市 | |||
管理運営 | ||||
年運営費 | ||||
延床面積 | 7006m² | |||
研究職員 | ||||
開館 | 1936年5月1日 | |||
閉館 | {{{閉館}}} | |||
所在地 | 〒543-0063 大阪市天王寺区茶臼山町1-82 |
|||
電話 | 06-6771-4874 |
大阪市立美術館(おおさかしりつびじゅつかん、Osaka Municipal Museum of Art)は、大阪市天王寺区にある美術館。館の所在地は住友家本邸のあった場所で、住友家から美術館の建設を目的に日本庭園「慶沢園」とともに敷地を寄贈され、1936年に開館した。建物は伊藤正文と海上静一によって設計された。名誉館長(前館長)は蓑豊。
目次 |
[編集] 概要
日本の国公立美術館の中でも歴史は古く、美術団体展や大規模企画展の貸し会場となるだけではなくコレクションを持ち常設展示をする意向が当初からあった。市による購入の他、主に大阪市民などのコレクターの寄付で8000点を超える収蔵品が形成されてきた。仏教美術、エトルリアなど地中海文明の美術、充実した中国の絵画や書、日本の江戸期・明治以降の絵画、ほか金工・漆工・陶磁など貴重な工芸品を数多く有する東洋美術の宝庫である。
美術団体展を複数並行して行える地下展覧会室(4室)が近年増築された。又、併設されている美術研究所では素描、絵画、彫塑の実技研究を行っており、ここから日本画、洋画、現代美術、建築など多くの作家を輩出してきた歴史がある。
65歳以上の大阪市民は特別展、平常展ともに無料で入館できる。
[編集] 主な収蔵品
大阪市立美術品の所蔵品には個人コレクションの寄贈または購入によるものが多い。代表的なものに、中国書画の阿部コレクション、中国石仏の山口コレクション、日本の蒔絵、根付、印籠等のカザール・コレクション、日本古美術の田万コレクションなどがある。又、展示品の中には大阪府を中心とした関西地区の社寺からの寄託品もある。
[編集] 重要文化財
- 絹本着色伏生授経図 1巻 伝王維 唐時代(阿部コレクション)
- 紙本墨画明妃出塞図(めいひしゅっさいず)宮素然筆 中国・金時代(阿部コレクション)
- 絹本淡彩盤谷図 董其昌筆 明時代(阿部コレクション)
- 尾形光琳関係資料 一括
- 絹本着色潮干狩図 葛飾北斎筆
- 堀河中納言家歌合・一条大納言家歌合
- 米芾(べいふつ)草書帖 宋時代
- 蘇軾(そしょく)書李白仙詩巻 宋時代(阿部コレクション)
- 天命極楽律寺尾垂釜 文和元年(1352)
- 萩薄扇面双雀鏡(田万コレクション)
- 松喰鶴鏡(田万コレクション)
- 湯瓶(田万コレクション)
- 横井廃寺出土品(田万コレクション)
[編集] その他の主な収蔵品
- 狩野宗秀 『四季花鳥図』(江戸時代)
- 尾形光琳 『燕子花図』『円型図案集』(江戸時代)
- 池大雅 『竹林書屋図』(江戸時代)
- 岸駒 『牡丹孔雀図』(1785年)
- 葛飾北斎 『潮干狩図』(江戸時代)
- 岡田米山人 『紫霊蒼龍図』(1817年)
- 村山槐多 『自画像』(1918年)
- 島成園 『伽羅の香』(1920年)
- 佐伯祐三 『パリの教会』(1924年)、『パリの裏街』(1924年)
- 赤松麟作 『琵琶湖』(1929年)
- 鍋井克之 『刈田の雨』(1933年)
- 児玉希望 『枯野』(1936年)
- 橋本関雪 『唐犬』(1936年)
- 鳥海青児 『北京天壇』(1941年)
- 上村松園 『晩秋』(1943年)
- 北野恒富 『星』(1939年)
[編集] 交通
- JR 大阪環状線 天王寺駅 徒歩5分
- 大阪市営地下鉄御堂筋線 天王寺駅 徒歩5分
- 大阪市営地下鉄谷町線 天王寺駅 徒歩5分
- 近鉄南大阪線 大阪阿部野橋駅 徒歩5分
[編集] 市立近代美術館計画
このほかに、大阪市は19世紀以降の近代美術・現代美術のコレクションを形成している。日本画の北野恒富・島成園、写真の安井仲治、現代美術の吉原治良など大阪を舞台に活躍した作家、佐伯祐三ら大阪にゆかりのある作家、モディリアーニやコンスタンティン・ブランクーシ、ゲルハルト・リヒターなど海外の重要な作家の作品を所有している。佐伯祐三の作品を一括して寄贈されたことがこの計画の始まりであり、市制100年を記念して大阪市立近代美術館建設計画が発表され、以後コレクションの形成が進んできた。特に16億円で購入したモディリアーニの作品は話題となり議論を呼んだ。
大阪市立近代美術館は、中之島にある国立国際美術館北隣の大阪大学医学部跡地に建設される予定だった。が、予定地から蔵屋敷跡が発掘された事に加え、市が財政難に陥り建設費(約280億円)が捻出出来ず、2004年からは長堀通沿いの東急ハンズ心斎橋店傍にある出光美術館跡のスペースを、「大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室」と言う名前で所蔵品の展示を行ってきた。現在建設予定地だった所は時間貸し駐車場となっているが、2007年新年度予算案に約500万円を調査費として計上し当初の事業計画を見直した上で、約5年ぶりに建設に向けて事業が再開される事となった。