大里村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
沖縄県では珍しく海が無い自治体であった。南風原町、東風平町、具志頭村との合併を協議していたが意見の一致を見ず、2004年9月30日に合併協議会が解散となったが、玉城村、知念村、佐敷町との4町村で合併し、南城市(なんじょうし)が2006年1月1日に誕生し、消滅した。村役場は仲間に置かれ、合併後は南城市役所大里庁舎となった。
目次 |
[編集] 地理
[編集] 字一覧
- 稲嶺(いなみね)
- 大里(おおざと)
- 大城(おおしろ) - 明治まで大里間切に属していた
- 高平(たかひら)
- 仲間(なかま)
- 古堅(ふるげん)
- 嶺井(みねい)
[編集] 隣接する自治体
- 南風原町(1980年3月まで南風原村)
- 東風平町(1979年9月まで東風平村、現在の八重瀬町)
- 与那原町(1949年まで村内の一部だった)
- 佐敷町(1980年3月まで佐敷村、現在の南城市)
- 玉城村(現在の南城市)
- 具志頭村(現在の八重瀬町)
- 1949年に与那原町分立前は西原村(現在の西原町)にも隣接していた
[編集] 歴史
大里の地名は古くから史上にあらわれ、三山時代(1314~1429年)には「島添大里」として南山王の拠点であった「島尻大里」(旧高嶺村・現糸満市)と区別されていた。島尻大里のほうは17世紀後半に高嶺間切と改称されている。
- 1609年の検地の際、大里間切は25村からなっていた。
- 1737年 新里・小谷・津波古を佐敷間切に、神里を南風原間切に分離。与那覇と宮城を南風原間切から、稲福・大城・目取真を玉城間切から編入
- 1908年4月1日 島嶼町村制に大里間切から大里村となる。大里・古堅・嶺井・与那原・上与那原・板良敷・仲間・高平・稲福・大城の10字。
- 1949年4月1日 北部海沿いの与那原・上与那原・板良敷の3字(与那原・与原・大見武・当添・板良敷・上与那原・の6行政区)が分立し、与那原町となる。それに伴い大里村は7字18行政区となり、村役場が中央部の字仲間に移転する。
- 1985年11月1日 村花・村木が制定される。
- 1990年 大里グリーンタウンなどの住宅地ができ、行政区が18から21になる。
- 2006年1月1日 玉城村・佐敷町・知念村と合併し、南城市となり消滅。
[編集] 現在の南城市大里地域
合併後、住所は南城市の次に旧村名の「大里」が頭につき「南城市大里字○○」となった。字大里でも「大里字大里」となる。
[編集] 交通
- 道路
- 沖縄県道77号糸満与那原線(主要地方道)
- 沖縄県道86号南風原知念線(主要地方道)
- 沖縄県道17号線
- 沖縄県道48号線
- 沖縄県道236号玉城那覇自転車道線(沖縄のみち自転車道)
- 路線バス
琉球バス交通、沖縄バスが旧村内を通っている。36番・糸満新里線を除きすべて那覇バスターミナルから市内各地とを結んでいる。
- 36番・糸満~新里線(沖縄バス) この路線のみ唯一糸満バスターミナル発。県道77号を通る
- 40番・大里線(沖縄バス) 主に県道86号を通る(半分以上が旧村内の大城止まり)
- 51番・百名(船越経由)線(琉球バス交通) 県道48号を通る
- 53番・志喜屋線(琉球バス交通) 県道48号を通る
- 54番・前川線(琉球バス交通) 目取真経由のみ県道48号→県道17号を通る
- 109番・大里(真境名経由)線(沖縄バス) 主に県道86号を通る(旧村内の大城止まり)
[編集] 教育
- 南城市立大里中学校
- 南城市立大里北小学校
- 南城市立大里南小学校
- 南城市立大里北幼稚園
- 南城市立大里南幼稚園