大西洋憲章
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大西洋憲章(たいせいようけんしょう、Atlantic Charter)は、1941年8月の大西洋会談において、英国首相のウィンストン・チャーチルと、アメリカ合衆国大統領のフランクリン・ルーズベルトによって調印された憲章。
ニューファンドランド島沖の戦艦、プリンス・オブ・ウェールズ上で調印された。太平洋戦争開戦前で合衆国はまだ参戦していなかったが、この憲章は戦後の世界構想を述べたものである。
八項目からなり、その内容は要約すると以下になる。
- 合衆国と英国の領土拡大意図の否定
- 領土変更における関係国の人民の意思の尊重
- 政府形態を選択する人民の権利
- 自由貿易の拡大
- 経済協力の発展
- 恐怖と欠乏からの自由の必要性
- 航海の自由の必要性
- 一般的安全保障のための仕組みの必要性
憲章の第3条については、ルーズヴェルトとチャーチルの間で見解の相違があった。ルーズヴェルトがこの条項が世界各地に適用されると考えたのに対し、チャーチルはナチス・ドイツ占領下のヨーロッパに限定されると考えた。つまり、イギリスはアジア・アフリカの植民地にこの原則が適用されるのを拒んでいた。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 大西洋憲章(英米共同宣言) - 東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室