塩浜駅
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塩浜駅 | |
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近鉄塩浜駅西口 |
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しおはま - Shiohama | |
所属事業者 | 近畿日本鉄道(駅詳細) 日本貨物鉄道(駅詳細) |
所在地 | 三重県四日市市御薗町 |
塩浜駅(しおはまえき)は、三重県四日市市御薗町にある近畿日本鉄道名古屋線・日本貨物鉄道(JR貨物)関西本線貨物支線の駅である。両者の駅は隣接しているものの、線路は繋がっておらず独立している。
目次 |
[編集] 近鉄塩浜駅
近鉄 塩浜駅 | |
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東口 |
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しおはま - SHIOHAMA | |
◄海山道 (1.2km)
(1.8km) 北楠►
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所属事業者 | 近畿日本鉄道 |
所属路線 | 名古屋線 |
キロ程 | 40.8km(近鉄名古屋起点) |
電報略号 | シオ |
駅構造 | 地上駅(橋上駅) |
ホーム | 2面4線 |
乗降人員 -統計年度- |
5,928人/日 -2005年- |
開業年月日 | 1919年(大正8年)10月25日 |
[編集] 駅構造
2面4線の島式ホームを持ち待避可能な地上駅で、橋上駅舎を備える。ホーム有効長は6両。改札口は1ヶ所のみで、駅出入口は東西双方に1ヶ所ずつある。近鉄塩浜検修車庫(車両工場)が隣接している。便所は改札内橋上駅舎内にあり、男女別の水洗式。しかし、ホームへ向かう際には死角になるようなところに設置されている。
1 | ■名古屋線(下り待避線) | 津・鳥羽・賢島・大阪方面 |
---|---|---|
2 | ■名古屋線(下り本線) | 津・鳥羽・賢島・大阪方面 |
3 | ■名古屋線(上り本線) | 四日市・桑名・名古屋方面 |
4 | ■名古屋線(上り待避線) | 四日市・桑名・名古屋方面 |
1番のりばからは名古屋方面への出発も可能である。
自動改札機、自動精算機(回数券カードに対応。但し、スルッとKANSAI及びJスルーカードには非対応)がある。自動精算機ではICOCAへのチャージができる。正式にアナウンスされてはいないが、券売機(新型のタイプ)に同カードを挿入することにより切符を購入することができる。窓口にて特急券・定期券の購入が可能である。
長らく構内アナウンスが自動放送化されていなかった(その都度駅員が案内放送を行っていた)が、2005年2月ころに自動音声化された。
また、当駅に停車する急行・普通列車の大半はこの駅で乗務員交代を行う。
[編集] 利用状況
主として通学・通勤用に利用される。塩浜駅の利用状況の変遷を下表に示す。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。年度間の比較に適したデータである。
- 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
- 2005年11月8日の調査結果によると、1日の利用客は5,928人。この数字は…
- 近鉄の全調査対象駅(323駅、但し調査当時の数)中、106位。
- 名古屋線の駅(44駅、他線接続駅含む)の中では、14位。
- 三重県内の近鉄の駅(116駅、但し調査当時の数)の中では、15位。
- 2005年11月8日の調査結果によると、1日の利用客は5,928人。この数字は…
- 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果 人/日 |
特記事項 | ||||
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通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1950年(昭和25年) | 1,110,840 | ←←←← | 480,375 | 1,591,215 | |||
1951年(昭和26年) | 1,377,840 | ←←←← | 535,306 | 1,913,146 | |||
1952年(昭和27年) | 1,339,440 | ←←←← | 570,342 | 1,909,782 | |||
1953年(昭和28年) | 1,384,290 | ←←←← | 635,672 | 2,019,962 | |||
1954年(昭和29年) | 1,397,310 | ←←←← | 647,521 | 2,044,831 | |||
1955年(昭和30年) | 1,489,530 | ←←←← | 595,554 | 2,085,084 | |||
1956年(昭和31年) | 1,585,860 | ←←←← | 604,907 | 2,190,767 | |||
1957年(昭和32年) | 1,662,150 | ←←←← | 676,636 | 2,338,786 | |||
1958年(昭和33年) | 1,655,340 | ←←←← | 712,619 | 2,367,959 | |||
1959年(昭和34年) | 1,973,100 | ←←←← | 745,128 | 2,718,228 | |||
1960年(昭和35年) | 2,084,040 | ←←←← | 703,384 | 2,787,424 | |||
1961年(昭和36年) | 2,514,000 | ←←←← | 775,034 | 3,289,034 | |||
1962年(昭和37年) | 2,670,900 | ←←←← | 804,314 | 3,475,214 | |||
1963年(昭和38年) | 2,454,570 | ←←←← | 866,995 | 3,321,565 | |||
1964年(昭和39年) | 2,859,900 | ←←←← | 964,425 | 3,824,325 | |||
1965年(昭和40年) | 2,793,990 | ←←←← | 899,558 | 3,693,548 | |||
1966年(昭和41年) | 2,719,020 | ←←←← | 719,021 | 3,438,041 | |||
1967年(昭和42年) | 2,753,640 | ←←←← | 742,505 | 3,496,145 | |||
1968年(昭和43年) | 2,520,780 | ←←←← | 744,852 | 3,265,632 | |||
1969年(昭和44年) | 2,349,510 | ←←←← | 730,240 | 3,079,750 | |||
1970年(昭和45年) | 2,484,720 | ←←←← | 693,571 | 3,178,291 | |||
1971年(昭和46年) | 2,403,090 | ←←←← | 681,308 | 3,084,398 | |||
1972年(昭和47年) | 2,271,840 | ←←←← | 637,886 | 2,909,726 | |||
1973年(昭和48年) | 2,196,660 | ←←←← | 605,025 | 2,801,685 | |||
1974年(昭和49年) | 2,271,780 | ←←←← | 594,844 | 2,866,624 | |||
1975年(昭和50年) | 2,269,620 | ←←←← | 594,719 | 2,864,339 | |||
1976年(昭和51年) | 2,049,480 | ←←←← | 533,145 | 2,582,625 | |||
1977年(昭和52年) | 1,914,210 | ←←←← | 519,753 | 2,433,963 | |||
1978年(昭和53年) | 1,837,890 | ←←←← | 504,065 | 2,341,955 | |||
1979年(昭和54年) | 1,689,660 | ←←←← | 491,703 | 2,181,363 | |||
1980年(昭和55年) | 1,532,250 | ←←←← | 483,878 | 2,016,128 | |||
1981年(昭和56年) | 1,488,330 | ←←←← | 458,685 | 1,947,015 | |||
1982年(昭和57年) | 1,384,170 | ←←←← | 449,027 | 1,833,197 | 11月16日 | 9,890 | |
1983年(昭和58年) | 1,280,460 | ←←←← | 427,354 | 1,707,814 | 11月8日 | 9,422 | |
1984年(昭和59年) | 1,246,110 | ←←←← | 397,191 | 1,643,301 | 11月6日 | 8,994 | |
1985年(昭和60年) | 1,197,570 | ←←←← | 388,848 | 1,586,418 | 11月12日 | 8,512 | |
1986年(昭和61年) | 1,190,250 | ←←←← | 400,475 | 1,590,725 | 11月11日 | 8,864 | |
1987年(昭和62年) | 1,175,790 | ←←←← | 387,042 | 1,562,832 | 11月10日 | 9,079 | |
1988年(昭和63年) | 1,157,130 | ←←←← | 398,863 | 1,555,993 | 11月8日 | 8,830 | |
1989年(平成元年) | 1,123,170 | ←←←← | 394,546 | 1,517,716 | 11月14日 | 8,377 | |
1990年(平成2年) | 1,105,620 | ←←←← | 400,041 | 1,505,661 | 11月6日 | 7,916 | |
1991年(平成3年) | 1,095,810 | ←←←← | 398,083 | 1,493,893 | |||
1992年(平成4年) | 1,066,170 | ←←←← | 403,497 | 1,469,667 | 11月10日 | 7,810 | |
1993年(平成5年) | 1,027,230 | ←←←← | 393,831 | 1,421,061 | |||
1994年(平成6年) | 961,680 | ←←←← | 353,895 | 1,315,575 | |||
1995年(平成7年) | 972,660 | ←←←← | 364,790 | 1,337,450 | 12月5日 | 7,590 | |
1996年(平成8年) | 913,920 | ←←←← | 333,883 | 1,247,803 | |||
1997年(平成9年) | 853,920 | ←←←← | 313,980 | 1,167,900 | |||
1998年(平成10年) | 809,370 | ←←←← | 301,844 | 1,111,214 | |||
1999年(平成11年) | 786,300 | ←←←← | 313,262 | 1,099,562 | |||
2000年(平成12年) | 765,300 | ←←←← | 314,320 | 1,079,620 | |||
2001年(平成13年) | 728,880 | ←←←← | 305,937 | 1,034,817 | |||
2002年(平成14年) | 730,680 | ←←←← | 310,428 | 1,041,108 | |||
2003年(平成15年) | 736,950 | ←←←← | 311,712 | 1,048,662 | |||
2004年(平成16年) | 725,340 | ←←←← | 306,150 | 1,031,490 | |||
2005年(平成17年) | 717,840 | ←←←← | 307,720 | 1,025,560 | 11月8日 | 5,928 | |
2006年(平成18年) | ←←←← | ||||||
2007年(平成19年) | ←←←← |
[編集] 歴史
- 1919年(大正8年)10月25日 - 伊勢鉄道海山道~楠間開通時に開業。
- 1926年(大正15年)9月21日 - 伊勢鉄道が伊勢電気鉄道に社名変更。
- 1936年(昭和11年)9月15日 - 参宮急行電鉄が伊勢電気鉄道を合併。参宮急行電鉄伊勢線の駅となる。
- 1941年(昭和16年)3月15日 - 大阪電気軌道が参宮急行電鉄を合併、関西急行鉄道の駅となる。
- 1941年(昭和16年)8月18日 - 海山道~塩浜間複線化。
- 1944年(昭和19年)6月1日 - 関西急行鉄道が南海鉄道(現在の南海電気鉄道の前身)と合併、近畿日本鉄道の駅となる。
- 1986年(昭和61年)6月23日 - 橋上駅舎化。
- 2007年(平成19年)4月1日 - PiTaPa対応開始。
[編集] JR貨物塩浜駅
JR貨物 塩浜駅 | |
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構内での貨物列車の入換作業の様子。画像右上の線路脇の白い建物がJR貨物の駅舎(2006年3月) |
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しおはま - Shiohama | |
◄四日市 (3.3km)
(-km) -►
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所属事業者 | 日本貨物鉄道(JR貨物) |
所属路線 | 関西本線(貨物支線) |
キロ程 | 3.3km(四日市起点) |
駅構造 | 地上駅 |
開業年月日 | 1944年(昭和19年)6月1日 |
備考 | 貨物専用駅 |
[編集] 駅構造
近鉄塩浜駅に隣接し駅の着発線を有する操車場と、近鉄海山道駅に隣接する側線群からなる。
着発線は到着線1線と出発線1線からなる。最も西側(近鉄塩浜駅寄り)の線路が到着線で、その東隣が出発線となっている。出発線の東側には貨車留置線が計10本敷設されている。
着発線から南へ伸びる線路がある。その線路は途中で2つに分かれ、片方は昭和四日市石油専用線に、もう片方は石原産業専用鉄道に繋がっている。昭和四日市石油専用線は同社四日市製油所へ伸びており、線路上にタンク車用の石油荷役設備が置かれている。かつてはこの専用線から分岐し、四日市製油所の北側にある三菱化学四日市事業所(旧・三菱油化四日市工場)へ向かう専用線が存在した。石原産業専用鉄道は3km以上の長さを有し、同社の四日市工場へ続いている。
近鉄海山道駅隣には本線から分岐する側線3本があり、側線の南端からは三菱化学四日市事業所(旧・三菱化成工業四日市工場)へ伸びる専用線が分岐している。
構内はすべて非電化である。専用線内の入換作業は小型ディーゼル機関車(スイッチャー)が担当し、その他の駅構内の入換作業はJR貨物が保有する本線牽引機(DD51形など)が担当する。昭和四日市石油専用線の入換作業は日本通運四日市支店保有、三菱化学専用線の入換作業は日本トランスシティ保有のスイッチャーが行い、石原産業専用鉄道の入換作業は同社保有のスイッチャーが行う。
[編集] 取扱う貨物の種類
当駅は、専用線発着のコンテナ貨物と、専用線発着の車扱貨物の取扱駅である。取扱品は石油や化成品が主なものである。
石油はタンク車で昭和四日市石油専用線から発送される。発送先は南松本駅(日本オイルターミナル松本営業所)。化成品はタンクコンテナで輸送される酸化エチレンや、タンク車で輸送される液体塩素である。酸化エチレンは奥野谷浜駅(三菱化学鹿島事業所)から三菱化学専用線へ運ばれ、液体塩素は昭和町駅(東亞合成名古屋工場)から石原産業専用鉄道へ運ばれる。
[編集] 貨物列車
上り列車(四日市方面)は高速貨物列車(タキ1000形貨車のみで編成)が1日1本、専用貨物列車が1日5本運行されている。下り列車(当駅終着)は高速貨物列車(コンテナ車のみで編成)が1日1本、専用貨物列車が1日5本運行されている。
[編集] 利用状況
- 2003年度の発送貨物は744,699トン、125,396トンであった。
[編集] 歴史
- 1944年(昭和19年)6月1日 - 開業。
- 1944年(昭和19年)8月16日 - 石原産業専用鉄道運輸開始。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR貨物の駅となる。
- 2001年(平成13年)1月14日 - 奥野谷浜-当駅間の酸化エチレン輸送を開始。
[編集] 駅周辺
[編集] 路線バス
- 三重交通(四日市市自主運行バス)
- 塩浜駅前
- 92系統 県立総合医療センター・高花平
- 92系統 磯津
- 塩浜駅前
[編集] 隣の駅
- 日本貨物鉄道(JR貨物)
- 関西本線貨物支線
-
- 四日市駅 - 塩浜駅
-
[編集] 関連項目
近鉄名古屋線 |
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近鉄名古屋 - 米野 - 黄金 - 烏森 - 近鉄八田 - 伏屋 - 戸田 - 近鉄蟹江 - 富吉 - 佐古木 - 近鉄弥富 - 近鉄長島 - 桑名 - 益生 - 伊勢朝日 - 富洲原 - 近鉄富田 - 霞ヶ浦 - 阿倉川 - 川原町 - 近鉄四日市 - 新正 - 海山道 - 塩浜 - 北楠 - 楠 - 長太ノ浦 - 箕田 - 伊勢若松 - 千代崎 - 白子 - 鼓ヶ浦 - 磯山 - 千里 - 豊津上野 - 白塚 - 高田本山 - 江戸橋 - 津 - 津新町 - 南が丘 - 久居 - 桃園 - 伊勢中川(>>上本町・宇治山田・賢島方面) |