堀切
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本項では、地名のうち、特に東京都葛飾区の堀切について述べる。
堀切(ほりきり)は東京都葛飾区西部にある地名である。現在の住居表示には堀切一丁目から堀切八丁目があり、この地域の人口は13,919人(2008年4月1日現在)である。 葛飾区堀切の郵便番号は〒124-0006である。
なお、京成電鉄堀切菖蒲園駅を中心とした生活エリアをまとめて「堀切」または「堀切菖蒲園」と呼んだり、荒川の開削によって分断された東武伊勢崎線堀切駅周辺を加えて「堀切」とすることもある。
東方に東堀切(ひがしほりきり)が隣接しており、現在の住居表示には東堀切一丁目から三丁目までがある。この地域の人口は4,211人(2008年4月1日現在)である。
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[編集] 地理
荒川東岸の低地地域で、対岸は北から足立区、墨田区となる。行政上の町界に接する町名としては北には小菅や西亀有などが、東には東堀切と宝町が、南には四つ木がある。
町の中央を平和橋通りが南北に横切っている。 この平和橋通りと京成本線が交差するあたりに堀切菖蒲園駅がある。 実際の菖蒲園はここより南西に約10分ほど歩いたところにある。
菖蒲園のある綾瀬川沿いには首都高速道路中央環状線が通っており、菖蒲園の北300メートルほどに 堀切ジャンクションがある。ここはかつて堀切橋(旧橋)が架かっていたところである。
ドラマ「3年B組金八先生」のロケ地として有名な東武伊勢崎線の堀切駅周辺は荒川対岸の足立区千住曙町にある。大正年間に荒川が開削される前は地続きであった。また堀切駅自体も現在より東にあったが、開削予定地に当たったため現在地に移動した。なお移動前は堀切園(現 堀切菖蒲園)の最寄駅であった。 現在では葛飾区と堀切駅周辺とは荒川上流の堀切橋を利用し、約1km迂回しないと往来できない。
東堀切はお花茶屋駅が最寄り駅になる地域が多い。
[編集] 交通
[編集] 鉄道
葛飾区域より離れているが、この駅周辺も堀切とされるケースがある。
[編集] 道路・橋梁
- 東京都道308号千住小松川葛西沖線(平和橋通り)
- 東京都道314号言問大谷田線
- 東京都道468号堀切橋金町浄水場線
[編集] 施設
行政
- 堀切区民事務所(堀切三丁目)
教育
- 区立綾南小学校(堀切一丁目)
- 区立堀切小学校(堀切二丁目)
- 区立南綾瀬小学校(堀切六丁目)
- 区立東綾瀬小学校(堀切六丁目)
- 区立堀切中学校(堀切一丁目)
- 区立青葉中学校(堀切八丁目)
医療
- 新葛飾病院(堀切三丁目)
- 堀切中央病院(堀切七丁目)
[編集] 史跡
- 堀切菖蒲園(堀切2-19)
- 天正寺(堀切五丁目)
- 九品寺(堀切六丁目)
[編集] 歴史
堀切村は江戸時代には武蔵国葛飾郡に属した。明治維新後、小菅県を経て東京府に属し、1878年の郡区町村編制法により南葛飾郡の所属となった。1889年5月1日の町村制施行に際して周辺各村と合併して南綾瀬村の一部となる。南綾瀬村は1928年2月1日に町制を施行して南綾瀬町となり、1932年10月1日に東京市に編入されて葛飾区の一部となった。
昭和初期までは東京(江戸)近郊の農村地帯であり、堀切園をはじめとする菖蒲園が集まり著名な行楽地となった。しかし東京市に編入される頃から都市化が進行し、環境の悪化から堀切園以外の菖蒲園は太平洋戦争期までに廃園となった。戦後、高度経済成長期までに工業地として都市化は完了し、現在では住宅に小工場や堀切菖蒲園駅周辺の商店街が混在する地区となっている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 清水硝子による堀切の紹介
- ほりきり発見伝(堀切商店街)