南紀勝浦温泉
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南紀勝浦温泉(なんきかつうらおんせん)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町(旧国紀伊国)にある温泉である。もともと勝浦温泉と呼ばれていたが、温暖なリゾート地の南紀のイメージもあり、観光客の誘致目的と近畿圏外に対するPR目的で、観光協会や宿泊組合らが自ら南紀を冠するようになっている(旅行業界では千葉県の勝浦温泉との差別化を計るために、以前から南紀勝浦と呼んでいる)。もっとも、地元や近畿圏では勝浦温泉で通用するので、南紀を冠しない。
南紀白浜温泉と並ぶ、和歌山県を代表する温泉地であり、世界遺産に登録された那智山や那智滝、熊野三山、吉野熊野国立公園への拠点となっている。また近畿圏、中京圏双方の奥座敷にもなっており、最寄り駅の紀伊勝浦駅へはここへの観光客を乗せて京都・大阪、名古屋の双方から特急列車がやってくる。
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[編集] アクセス
[編集] 泉質
- 含食塩硫化水素泉
- 単純硫黄泉
- 含食塩硫黄泉
- 含硫黄-ナトリウム・カルシウム-塩化物泉
など
[編集] 温泉街
太平洋に面したリアス式海岸、南紀の景勝地である紀の松島一帯に大小のホテル、旅館が集まっている。中には島や岬にホテル、旅館がある。それらの宿泊施設は、観光桟橋からの船便が本土との唯一の交通手段になる。本土側にも飲食店などがあるので、深夜まで船は航行している。また狼煙半島全体を敷地とするホテルには、忘帰洞と玄武洞という太平洋に面した自然の洞窟の浴場があり、南紀勝浦温泉のシンボルにもなっている。
南紀白浜と並ぶ観光拠点であり、行楽向けの温泉として知られるが、日帰りの行楽地ではないため、白浜のようにレジャー施設はさほど発展していなく、むしろ風光明媚な自然を売りにしている。一方、紀伊勝浦漁港は全国有数のマグロ漁基地として知られ、マグロが名物となっている。また、隣の太地町は鯨の調査捕鯨を行っているため、この勝浦でも鯨料理が出されることが多い。
温泉街の外れには共同浴場「はまゆ」が存在し、地元の漁師のなどがよく利用している。
毎年11月には、熊野那智大社への献湯祭が行われる。
[編集] 歴史
古くは2つの異なる温泉であり、古くは磯の湯、や赤島温泉などと呼ばれていた。磯の湯の開湯は弘化以前であると言われる。赤島温泉は開湯年代は不明である。現在では両方とも南紀勝浦温泉と呼ばれている。
温泉地として開けていったのは、大正時代からのボーリング開鑿による。以後は至る所で掘鑿が行われ、源泉の数は優に100を超え、各の旅館が自分の源泉を持っている。
大正時代には、紀州徳川家15代当主である徳川頼倫が訪れた。洞窟の温泉に入浴した際に、「帰るのを忘れるほどである」と賞賛した。その際に入浴した洞窟風呂は現在の忘帰洞であり、命名の理由は賞賛の言葉に因る。
急速に発展したのは1950年(昭和25年)の吉野熊野国立公園指定後である。知名度アップに伴い観光客が増加、昭和30年代には新婚旅行のメッカにもなって、大いに繁栄した。
1978年(昭和53年)には国鉄・紀勢本線(和歌山駅~新宮駅間)の電化により、アクセスが向上した。
山陽新幹線の博多発着以後、国内旅行人気は九州にシフトしたため、宿泊客は一時100万人を割り込み、以後は好不調を繰り返している。
近年は「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界文化遺産指定を受け、残された大自然および文化遺産とともに再び脚光を浴びつつある。