北九州監禁殺人事件
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北九州監禁殺人事件(きたきゅうしゅうかんきんさつじんじけん)は、2002年(平成14年)3月に北九州市小倉北区で発覚した監禁、殺人事件である。
家族に殺し合いをさせ、児童にまで殺人や遺体の解体を行わせており、世界的にもほとんど類をみない残虐な事件と言える。あまりの残虐さに、第一審で検察側は「鬼畜の所業」と容疑者男女を厳しく非難した。
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事件の発覚
事件は、少女A(当時17歳)が祖父の家に助けを求めてきたことから始まる。当初は男Xと女Yの2人による「少女への傷害と監禁事件」と思われた。しかし、暴行を行ったと思われる男女が、容疑や名前も含めて完全黙秘を続け、身元もはっきりわからなかった。
その後、少女Aの証言により、男Xと女Yは、少女の父親Bの知り合いで、5~6年前から4人で暮らすようになったが、暮らし始めて約1年後にBが行方不明になり、その後は3人で暮らしていたことがわかる。
後日、別の場所で4人の子どもが発見される。少女は、この4人の世話をさせられていた模様。4人のうち、発見された双子の子どもの親は、ここに預けられていたことすら知らなかった。残り2人については後日、DNA鑑定で容疑者の子供と判明。
数日後、少女Aが「自分の父親B(当時34歳)は男Xと女Yに殺された」と証言したことから、事件は大きく動くことになる。さらに、少女Aは、女Yの父親C(当時61歳)、母親D(当時58歳)、妹E(当時33歳)、妹の夫F(当時38歳)、めいG(当時10歳)、おいH(当時5歳)の6人が殺害され、遺体は解体されて海などにばらまかれたと証言した。
警察は、少女Aの証言を元に「殺害現場と思われる場所の配管」まで切り出し、DNA鑑定を行ったが、時間がたっていることと、なにより7人の遺体がすでに完全に消滅しているため、物的証拠が何もないという状態であった。
最後は、女Yが自白することで、改めて事件の概要が判明した。
事件の概要
少女Aおよび女Yの証言によれば、事件の概要は次のとおりである。
父娘二人
容疑者の男Xと女Yは、布団販売業を営んでいたが、二束三文の布団を高値で販売する詐欺的な商法や客を脅して無理やり布団を買わせる暴力的な商法が警察の知るところとなり、詐欺罪と恐喝罪で警察に指名手配された。そこで、XとYは北九州市内に潜伏し、少女Aと少女の父親Bと同居するようになる。1996年2月、XとYは、電気ショックを与えるなどの拷問を繰り返したり、食事を満足に与えないなどBを虐待して衰弱死させた(第1の殺人)。容疑者の男Xは、容疑者の女Yと少女Aに遺体の解体を命じ、Bの遺体は海に投じられた。XとYは、少女Aに度々、虐待を繰り返し、監視下に置いた。
一家六人
その後、男Xは、女YがBを殺したことを口実に、Yの父母および妹一家を恐喝し、消費者金融などから金を借りさせるなどして、金品を巻き上げた。やがて、Yの父母および妹一家が金を借りられなくなると、XとYはYの父母および妹一家を監禁し、拷問によって自分たちの言うことを聞かせ、さらに互いが争うように疑心暗鬼に陥らせた。
大人四人
1997年12月、容疑者の男Xは、容疑者の女Yに命じて、Yの父親Cに通電させ、Cは死亡した(第2の殺人。ただし、第一審では傷害致死と認定。)。容疑者の男Xは、容疑者の女Yとその一族に遺体の解体を命じた。さらに度重なる通電によって奇声を発するようになったYの母親Dの殺害を女Y・女の妹E・女の妹の夫Fに命じ、1998年1月、絞殺させた(第3の殺人)。さらに、度重なる通電によって耳が遠くなった女の妹Eに対して、容疑者の男Xは「おかしくなった」などと因縁をつけ、女の妹の夫Fと女のめいGに殺害を命じ、1998年2月、絞殺させた(第4の殺人)。度重なる殺害や遺体の処理で妹の夫Fが衰弱すると、容疑者の男Xは浴室にFを閉じ込めて、1998年4月、衰弱死させた(第5の殺人)。
子供二人
1998年5月、大人たちが全員死亡すると、容疑者の男Xは、容疑者の女のめいGを脅して、容疑者の女YとGに、女の甥でGの弟であるHを殺させた(第6の殺人)。翌6月には、Xは女の姪Gに度重なる拷問を加えて衰弱させ、女Yと少女AにGを絞殺させた(第7の殺人)。
容疑者の女の甥Hと姪Gは、大人たちの事情もわからないまま事件に巻き込まれ、殺害や遺体の解体を手伝わされた。それだけでも、恐ろしい出来事なのだが、容疑者の男Xは子どもたちにも通電による拷問を加え、監視下に置いていた。
そして、甥Hと姪Gにとっての父親(容疑者の女の妹の夫F)が死亡すると、姪Gは「このことは誰にも言いません。弟(H)にも言わせません」と容疑者の男Xに対してお願いし、自宅への帰宅を願い出ている。それに対し、容疑者の男Xは「死体をバラバラにしているから、警察に捕まっちゃうよね。弟Hが何もしゃべらなければいいけど、そうはいかないんじゃないかな。弟Hは可哀相だから、お母さん(E)のところへ行かせてやる?」と暗に甥Hを殺すことを命じ、姪Gは甥Hに「お母さん(E)のところに連れて行ってあげる」とうそをついて、自分の弟Hを絞殺させた。
その後、容疑者の男Xは「あいつは口を割りそうだから処分しなきゃいけない」などと容疑者の女Yに殺害をもちかけ、姪Gに満足な食事を与えず、通電を繰り返し、女Yと少女Aに絞殺を命じた。そのとき、Gは静かに横たわり、首を絞めやすいように首を持ち上げたという。
このようないたいけな児童まで、自分の祖父母や両親の殺害や遺体解体に参加させ、さらには姉に弟を殺させ、残った姉も容赦なく殺すといったやり方は前代未聞である。第一審判決では、この点について、「見逃せないのは、児童が犯行の巻き添えや痛ましい犠牲になっていることである。これらは犯行の残忍で冷酷な側面を如実に示している」と指摘している。
遺体は全て解体された後、鍋で煮込まれ、海や公衆便所などに投棄された。
そのため、遺骨等を警察はほとんど回収できず、検察側は少女Aおよび容疑者の女Yの証言に依拠せざるを得なかった。また、容疑者の男Xは、容疑者の女Yなどに「片付けておけ」などと命じ、明確に殺害を命じていなかったことから、容疑者の男Xを殺人罪で裁くことが出来るのかが裁判で注目された。
容疑者の男女
- 容疑者の男X-1961年4月28日生。北九州市小倉北区出身。両親は畳屋。七歳のとき父が実家の布団販売業を引き継ぐため柳川市に転居。高校卒業数年後に父の店を受け継ぎ有限会社化のちに株式会社にする。社名ワールド。1992年に指名手配されるまで詐欺商法を繰り返す。1992年前妻と離婚。病的な嘘つきでイメージ意識が強く目立ちたがり屋。饒舌でいくつもの顔を持ち、エリートを演じる傾向がある。礼儀正しく愛想が良いが、猜疑心・嫉妬心が強い。異常なまでに執念深く嗜虐的。神経質で臆病な面もあるが虚勢を張る。
- 容疑者の女Y-1962年2月25日生。久留米市出身。短大を出て幼稚園教諭になる。1980年、同窓生である容疑者の男に誘われ、1982年頃から交際が深まる。その後、男と共に指名手配になる。従順で没個性的。
その他の被害者
- ワールド(Xが経営していた会社)の元従業員男性-指名手配で逃亡中の容疑者の男に同行。金の工面をしていたが虐待に耐えかね逃走。
- 容疑者の男Xの同窓生女性-結婚を餌に1180万円を奪われる。1994年3月に大分県の別府湾に飛び込み自殺(他殺説あり)。93年9月に当時一歳だった女性の子供も不自然な事故死をしている。
- 少女の父親Bの友人の元妻-少女の父親Bを介してXと知り合う。容疑者の男Xは、京大卒の河合塾講師を装い結婚を約束、この女性は3歳の次女を連れて同居を始める。5ヶ月間監禁されたが1997年3月にアパートの2階から飛び降り逃走。その後は精神科に長期入院。次女は容疑者Xによって前夫の自宅付近に置き去り。
裁判
2005年9月28日、福岡地方裁判所小倉支部において第一審判決がくだされた。裁判所は、容疑者の女Yと少女Aの証言がほとんど一致し、容疑者の女Yは自分にとって不利なことも進んで証言していること、一方、無罪を主張する容疑者の男Xの証言には一貫性がないことなどから、容疑者の男女が「少女の父B、容疑者の女の父C・母D・妹E・妹の夫F・甥H・姪Gの計7人を死に至らしめた」と認定した。
ただし、容疑者の女の父親Cに関しては「蘇生させようとした」ことから殺意はみとめられないとして「傷害致死」とし、それ以外を「殺人」と認定した。
裁判長は、容疑者の男女両名を「甚だしい人命無視の態度には戦慄(せんりつ)を覚える」「残酷、非道で血も涙も感じられない」「悪質さが突出し、犯罪史上まれに見る凶悪事件」と厳しく非難し、死刑の判決を下した。容疑者の男Xは即日、控訴した。女Yも控訴。