出口雄大
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出口 雄大 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県尼崎市 |
生年月日 | 1971年9月23日(36歳) |
身長 体重 |
176cm 79kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 1989年 ドラフト外 |
初出場 | 1995年9月19日 |
最終出場 | 2005年9月14日 |
経歴 | |
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出口 雄大(でぐち ゆうだい、1971年9月23日 - )は、読売ジャイアンツ、福岡ソフトバンクホークスに在籍したプロ野球選手。本名及び旧登録名は出口 幸夫(でぐち ゆきお)。兵庫県尼崎市出身。
目次 |
[編集] 来歴・人物
神戸弘陵高校時代甲子園に出場。1989年、ドラフト外で巨人に入団する。背番号99を与えられ、ほぼ練習生扱いとなっていて入団5年目まで一軍出場はなかった。1994年に登録名を幸夫から雄大に変更。1995年に初となる一軍出場を果たす。初打席ホームランというデビューを果たし、1996年は73試合に出場。層の厚い外野布陣であったが、代走・守備要員として一軍に定着しかける。高橋由伸の入団などで巨人の外野布陣はさらに厚くなり、1998年オフに解雇。
その後、ダイエーの入団テストに合格し入団。毎年開幕ベンチには入るものの、運悪く即怪我→二軍落ちというパターンを繰り返す。同じパターンを繰り返していた同時テスト合格の森山一人外野手と毎年の様に整理要員となるものの王貞治監督の信頼もあつく、「ちゃんと出場すれば2割8分、15本塁打はかたい」と言われ、残っていた。2001年にダイエーで初ヒット。2002年には、秋山幸二の引退宣言もあり、夏場からはライトの守備位置を獲得。打率.268、6本塁打、24打点という成績を残す。
2003年は村松有人が打ち出した為、レギュラーの座は明け渡したものの、左投手用の代打や守備要員として一軍に定着する。後半戦は村松が怪我のためその間の代役も果たした。阪神タイガースとの日本シリーズでも、1番ライトとして先発出場した。持病のヘルニアに悩まされ、満足にバットを振れない中、それなりに自分の地位を獲得してきたが、2005年には大村直之のFA入団、同期の宮地克彦の活躍により、開幕ベンチを失う。5月に一度一軍に上がったものの、5月19日福岡ドームでの古巣・巨人戦で二岡智宏の打球を右翼守備で、ダイビングキャッチを試みたがボールを蹴ってランニングホームランにしてしまうという失態を犯してしまい、9月まで一軍には呼ばれなかった。
同年9月、戦力外通告を受ける。12球団合同トライアウトに望むものの、獲得意思を示した球団はなく現役引退。この様子は、2005年12月28日にTBSで放送された『プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達』の中で紹介された。ホークスでは、同期の鳥越裕介、田之上慶三郎、宮地克彦らと非常に仲がよく、「71年会」と呼ばれた。コンバット満からは、川崎宗則が一軍定着するまで「ホークスで一番の男前」と言われていた。
2007年からはホークスジュニアアカデミーのコーチを務める。
[編集] 通算成績
- 304試合 打率.235(540打数 127安打) 13本塁打 68打点 18盗塁
[編集] 背番号
- 99(1990年)
- 66(1991年~1998年)
- 62(1999年~2003年)
- 4(2004年~2005年)